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オペラ歌手、山本耕平さんの登場
コンセプトムービー
コロナ渦・2020年を振り返って
多くのコンサートが中止
当たり前のようにコンサートに行くことができる、劇場に足を運ぶことができる環境の大切さを痛感する1年だったと思います。耕平さんはどのような心境で過ごされていましたか。
僕もステージなどで歌わない状況が2か月ありました。その時は冷静に未来のための投資の時間にしようと思って勉強していたので、自分ではイタリアでの修行中の時間と同じように過ごしていたつもりだったんです。
ただ、本質的に何が大事かを考える時間となり、自分のポジティブな面もたくさん見つけられたし、再認識する機会でもありました。
積極的に情報発信
1年半前から企画をし、もともと日程が決まっていたリサイタルが8月8日にあって、準備をしていました。それをやるかやらないかということが大きな関心事でした。
僕は漠然と「やるんだ」という信念は持っていました。ただ、未知のウイルスに対して様々に意見が分かれている社会状況では、自分がどう思っているか、いわば自分の“哲学”が決まっていないと絶対にやれないと思っていたんです。今回は制作の過程でその“哲学”を培う機会にもなりました。
そのためには、リスクとどう向き合うかといった、自分なりの考えを持っているということがすごく大事だと思っています。SNSでの発信はその中のほんの一部でしたね。
『五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表 山本耕平テノール・リサイタル』
『五島記念文化賞オペラ新人賞研修成果発表 山本耕平テノール・リサイタル』が、東京文化会館小ホールでコロナウイルス感染拡大防止のガイドラインにしたがって開催されました。
無事に開催できたことへの感謝や、ステージに立てることの喜びをかみしめたコンサートだったのではないでしょうか。改めて率直な心境をお聞かせください。
人が集まっているところにどうやって居ればいいのか、ホールでどう過ごしていいのか皆さんがまだ分からない状態だったんですね。この会をダメにしてはいけないという緊張感をみんなが持っているということが伝わってきて、とても静かだったんですよ。それが本当に印象的で。
だから一生懸命拍手するし、表現しきれない部分は立ち上がって、スタンディングオーベーションしてくださったというのが、ものすごく感動的でした。
人が応援してくれる気持ちって、やっぱり出るものなんですね。忘れられない会になりました。本当にこの機会を作ってくれてありがとうという気持ちが伝わってきます。
様々な業界でコロナが気付かせてくれる事も、多々あったように思います。
『I Love DAiSEN』
最初楽曲を聞いた時は、「どひゃ~!」ってなりました(笑)これ僕にできることあるかなと思いましたね。
MALTAさんの底抜けに明るい楽曲は、僕も触れていて楽しかったです。
山本耕平さんの活動、オペラについて
『Mi manchi』
その中の韓国人のソプラノの友達が、好きな曲なんだと教えてくれたのがこの『Mi manchi』。当時の自分の心境に合っていた部分がすごく大きくて、本当に素晴らしい曲だと思いました。
当時はとても強い思い入れで歌っていたものが、ようやく今10年経って、本当にいい楽曲だなとか、ここが音楽的に好きだなと、ようやくそういう視点で歌えるようになりました。もっとライトになったとも言えるし、自分の血肉にもなったとも言えるし。
訳詞・作詞
元の曲のニュアンスを残したまま日本語の歌詞にするというのは、それはもう本当に大変な苦労なんです。なので専門家に力を借りました。
実際やってみて、「これを一人でやろうとしていたのか、無理だったな」と思いました。
MVの裏話!?
ただ、雨上がりに行っていたので、映像の湿気の感じは本物ですし、そこはプロの技を見ましたね。
「何してるの?」と聞かれて「オペラだよ」と答えると、「オペラって何?」と聞かれて。即答できなくて悔しかったですね。
『魂の中の永遠の海』
作曲家の岩崎琢さんの楽曲も好きだったし、あの話が来た時は嬉しすぎて狂喜乱舞しましたね。
あの曲の難しさは、中~低音域も結構出てくる上に高いところです。しっかりした音質且つ上まで出るというタイプの歌手を探していたようで、色々な人を伝って僕のところまで話が来ました。そういう意味で自分の声質にぴったりのオファーで、余計に嬉しかったです。
ジョジョの話をし始めるとそれだけで1時間はかかってしまうよ(笑)
総合舞台芸術であるオペラ
もとの戯曲になるものがあって、皆さんが小説を読むじゃないですか、その行間にあるものは歌われないわけですよね。
例えば映画だったら、行間にあるものは音楽やカメラの技術が表現するのだけれども、オペラの場合はオーケストラが、その行間の部分をすごく担っているんですね。
そしてその上に演劇的要素があるということで、まさに“総合芸術”ですよね。
2000~3000人のホールまでは生音で届けられるという点で、響きを究極まで研ぎ澄ませているというのが特徴的です。
スポーツ的要素もありつつ、芸術性もあるという点では、フィギュアスケートとも近いかもしれません。
東京二期会について
僕は設立してから何十年にもなってからの世代になるんですけどね。会員数は2000人を超えていて、世界にもこの規模の声楽団体はありません。この点ですごく特殊です。
僕が二期会で主演デビューしたのは29歳でしたが、29歳で30年ぶりの演目をやっているので、それだけ好きな演目に当たる確率は低いということです。それだけの競争率の中で切磋琢磨しているということが一つ。
ほかの団体では外国人を多く登用していたり、言語の数を絞っているところもあります。
オペラ歌手のスケジュール
オーディションの告知があるのがその半年以上前、その何か月も前に我々は楽譜を買って役を掘り下げて練習します。その間にレッスンを受けたり、コーチングを受けたりしてブラッシュアップします。
本当はね、その間の制作過程を見せるってことをやっていかないといけないと思います。だってそれはすごく楽しいことだから。ネタバレしない程度にね。
一つの公演がずれていくわけではなく、複数の公演がずれていって、更に別の公演のオーディションもまた始まっていく。
そういう未来のための練習の時間もありつつ、普通のコンサートをこなし、作品を暗譜していく時間があって、日々のルーチンの練習をする時間があって、オペラ公演直近になるとリハーサルをしています。我々の生活はそういうのを一週間の中に組み込んでいくという感じです。
公演のスケジュールだけ見ると少なそうに見えますが、大体間に色々やっているんですよね。
若年層への普及について
「お金がかかっているから」という事だけが理由じゃないんです、届け方にも問題があって。今せっかく配信の機運が高まっているから、もっと他の業界の届け方を学んで、配信等をやって、料金も下げてアプローチできるようにするべきだと思います。
懐石料理の老舗がハンバーガー屋になる必要はないんですよ。逆にハンバーガー屋が、そのどこでも食べられるアプローチ力を老舗みたいになって失う必要もない。僕らが守らなければいけない領分っていうのもある。
だって例えば赤ちゃんが泣いていい公演がないと、親御さんの世代は来られないでしょ。もしくは無料で1回聞いて、これならお金かけていいって思える機会がないと行く勇気が湧かないでしょう。
僕たちは、本当はその全部の段階を作っていかないといけないですよね。そこはマーケッターとも手を携えて考えていかなければいけないことです。
入門者におすすめする"オペラの楽しみ方"
とにかくその人が出ている公演に関わる演目を観て、最初は難しいかもしれませんが、とにかくその人を追ってみる、という方法ですね。
そういう風に枝葉を広げていくっていう聞き方が一つ。
そうやってとにかくその作品を延々と見る。そうすると自然と解釈の違いが分かってくるんです。リテラシーが段々とついてくる。
まぁ、山本耕平の作品を見るのが一番いいです!(笑)最低3回かな(笑)
オペラ歌手、山本耕平の素顔に迫る
幼少期や学生時代
あとはこれも今でもだけど、そそっかしいところもあって、すごくたくさんケガをしていたし、よく病院に行っていました。
みんなやっていたからピアノを始めました。特別な音楽教育というわけではなく、周りと変わらない程度のレベルで、バイエルをやったりしていましたよ。
一緒に暮らしていた姉がクラシックをよく聞いていたというのが、一番影響が大きかったですね。
僕の場合は、今も声はハスキーな方ですが、小学生の頃は耳鼻科検診で音声障害の判子をずっと押されていたくらい声がガラガラで、とても歌えるような状態ではありませんでした。
"音楽受験をするのに必要で訓練を受けたら声楽家になった"というケースなんです。歌は、副次的に始めたものが伸びてきたので、思いもよらない感じでした。
ただ、低い方が倍率は高いんです。というのも、男声の場合高い声はテクニックで出す部分が大きいので。倍率は高いものの、最初は無理せずそちらからスタートしていきました。
音域
オペラだと、声だけでこの空間を埋めなければいけないので、倍音といって響きを増やすことに注力しているんです。
本当は色々な音を使えるけど、オペラの中で使うとなると、豊かに作っていくんですね。僕たちが使う高い音って、普通の人が聞くと、“高い”っていうより“すごい音”という感じで、太くて低い音に感じる方もいるかもしれません。
これって印象の問題でね、音程で分けると高い音は訓練で出せるし、ジャンルが変わるともっと高い音も、もっと低い音も使える。声という楽器ってめっちゃおもしろいんですよ。すごく可能性がある楽器なんです。
"キャリア"についての考え方
今その喜びを思い出しましたよ!
しかし、何かのコンクールで一位を獲ることも、公演会の主役も、そんなに意味のないことだと段々分かってくるんですよね。果てがないことが分かるから、そんなに喜べなくなるんです。
イタリア
最初は何が必要なのかも分からないという状態でした。イタリアがどんなところかも分からない、オペラがどんな世界なのかも分からない。とりあえず行ってみようという状態です。
何らかの自分の可能性を評価されて、賞をいただいて送り出されているので、何かしらの力は多分あるんですよ。
そして2回目の留学は広く活動していたところをぎゅっと絞り、歌の根本的な"ベルカント"という唱法をきちんと分かろうとするという期間。
ワンピースでいう『2年後に会おうぜ』じゃないけど、修行して強くなろうというのを自分に課してやっていましたから、葛藤もあるし、人が活躍していると気になりますし。それで精神的にも強くなりました。
ここからの20年すごいですよ僕は。見守っていてください。
パフォーマンスの維持
以前は加湿したり、のど飴を舐めたりといった、喉を局所的にケアすることを重要視していました。でも今は声帯だけでなく、唇や粘膜といったレベルで体全体を総合的に考えた方が、大きい力が出せるということに気がつきました。それって技術が安定してきたから言えることなんですけどね。
だから四六時中、楽器としての自分が成立しているかどうかを考えるってことなんですよね。そうすると特別なケアはいらないのだと気が付きました。
リフレッシュ1
長風呂をしていたのは、本を読む時間と、体をほぐす時間を平行させようとしていたんですよね。でも最近はずっと自分がONの状態でいるのはマズいと気が付いて、どうやってOFFにしようかなと迷っているんです。
でも相変わらず音楽に関わることはずっと考え続けていて、シャワーの最中もスピーカーで何かを流して情報を取り入れたり、資料を見ながら浴びたりしちゃっている(笑)全然ON-OFFできていないな(笑)
リフレッシュ2
最近は、嬉しいことに作曲家の方と知り合うことが多くなったため、その先生が書かれた楽曲が使用されているゲームをすることも多くなりました。
さっきの話で言うと、それも仕事みたいになっているのかも(笑)ゲーム音楽はもともと好きで、ピアノで弾いているうちに音楽をやりたいと思ったこともあって、僕の原体験かもしれませんね。
今は「どうせ眠れなくなるならゲームしよう」という感覚こそ残ってはいるけど、前よりは減ったかな。
JPOPを聴くことってありますか!?
でも最近、JPOPの歌手や演歌の方の歌を聴いて、どのように発声しているかよく気にするようになりました。『I LOVE DAiSEN』がきっかけで、色々な歌手の楽曲を聴くようになって、歌い方の参考にしています。
自分が響きを作るのと、マイクにシンプルに響きを当てなければいけないのとは本当に違う技術なんですよ。だからすごいなと思ってよく聞いています。
作品の可能性を伝える器
だから僕自身が何か意図をもって伝えるというよりは、"楽曲の意図に入り込む"ことを重要視しています。
ベルカントという手法はそれを最大限発揮して、そこに感情と作曲家が書いたものをぴったりと合わせると、すごい力になるんですよ。それは“何かを表現すること”とは違い、“何かを一致させる”“フォーカスが合う”というイメージ。
若者へメッセージ
プロであれば自分が準備して、ある程度のソーシャルディスタンスを保って一度のリハーサルで合わせても、形にできるけれど、そうなるまでには色々なことを音楽家として経験しなければなりません。
今はすごくしんどい時期だと思うんです。これから僕達が取り組んでいく公演が、良い前例にならなければいけないと思っています。
ノウハウが当事者たちに残らないといけないし、その人たちがそのノウハウを生かして、学生さんたちも演奏できる場を作っていかないといけません。
山陰や米子市の話
人に想い入れがある
この"場所"というより"人"に想い入れがあるかな。もちろん土地にも強い愛着があるけど、もし好きな人が別の土地に行ったら、そこにめちゃめちゃ行くと思う。だから鳥取県の中でも公演の度に思い出が増えていて、大事な場所はどんどん増えています。
最後に
今後の夢や目標
もう一つは、今まさにプロジェクトを進めている、『声楽を広く、ハードルを低く始めてもらう事業』で、その関係の露出がもっと増えると思っています。
「オペラ歌手」という軸は全く変わらずに、ぎゅっと集中して修行していた頃から、それを爆発させていく段階になります。今までの理念に沿ったまま、10年、20年とおもしろいことをやっていきたいです。
そしてオペラや音楽に関わらず、これまで自分が助けてもらう立場だったので、もっと誰かを助けられるような音楽家になりたいと思います。
ファンや読者の方へメッセージ
今はクラシック界全体としても、僕自身も、“届ける”ということにもっと力を入れていきたいです。応援してくれている人には、今以上のエネルギーを届けるし、僕がブラッシュアップしていって、一緒に夢を見ていきたいです。応援していることが誇らしく思っていただけるように頑張っています。
そして読者として初めて見てくださった方へ。出会ってくださってありがとうございます、以後よろしくお願いいたします!
オペラ歌手/東京二期会
鳥取県米子市出身
1984年11月1日生まれ
東京学芸大学教育学部音楽科クラリネット専修を経て、東京藝術大学音楽学部声楽科に入学。
安宅賞、同声会賞、アカンサス音楽賞、松田トシ賞を得て首席卒業後、伊ミラノ・ヴェルディ音楽院に留学。
修了後、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程オペラ専攻に復学し、大学院アカンサス賞を得て首席修了。平成27年度文化庁新進芸術家海外研修制度研修員として、また五島記念文化賞オペラ新人賞受賞により、伊マントヴァで更なる研鑽を積む。
イタリア声楽コンコルソ・ミラノ大賞部門第1位、日伊声楽コンコルソ第1位及び歌曲賞等多数受賞。
オペラはこれまでに、『イドメネオ』タイトルロール、『愛の妙薬』ネモリーノ、『椿姫』アルフレード、『こうもり』アルフレード等に出演。東京二期会では『ドン・カルロ』タイトルロール、『リゴレット』マントヴァ公爵、『後宮からの逃走』ベルモンテ、『金閣寺』柏木、『天国と地獄』オルフェ等次々と大役を演じて高評を得ている。
コンサートソリストとしても「第九」等で高い評価を得ており、「NHKニューイヤーオペラコンサート」、「ららら♪クラシック」、「東急ジルベスターコンサート」等メディアへの出演も多い。
「Mi manchi」「君なんか もう」など2枚のソロアルバムをリリース。2013年CHANEL Pygmalion Days ARTISTS。
鳥取県米子市出身。米子市首都圏観光大使。とっとりふるさと大使。二期会会員。
山本耕平オフィシャルサイト
http://yamamotokohei.jp/
東京二期会公式ホームページ-
http://www.nikikai.net/index1.html
インタビューを終えて
山本耕平さん、ありがとうございました!
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