ベーシストの吉川衛さんの登場
コンセプトムービー『In The Box/La La Means I Love You』
今回の鳥取×働く人は、chang Projectメンバー、ベーシストの吉川衛さんです。吉川さん、よろしくお願いします。
ベーシストの吉川衛です。
現在は東京でフリーランスのベーシストとして色々な演奏をしています。バンド活動が主なのですが、サポートとしてグループやシンガーのバックなど、色々なところで演奏しています。
よろしくお願いいたします!
chang Projectについて
chang Projectってどんなバンド?
chang Projectはどんなバンドなのですか?
chang Projectはスーパープレイヤーの集まりです。バンド版アベンジャーズという感じです。
リリースしたアルバムについて
chang Project1st Album 「chang Project」
メンバー全員が作曲できるので、多種多様なタイプの楽曲が存在する、最後まで飽きずにつるっと聞けちゃう、そんな作品になっています。
『changrise』(チャンライズ)は、元々『sunrise(サンライズ)』という名前で僕が作っていた楽曲です。これは僕がサンライズ出雲という電車が好きで、乗車している時に見えた風景や思いをイメージして書いた曲です。
オリジナル曲はメンバーがそれぞれ作曲されています。一つの楽曲になるまでの過程を教えてください。
メンバーそれぞれ作り方は違います。僕の場合、まずメロディーができて、それをベースで弾きます。そしてそのメロディーに対してベースラインを付けていくというやり方です。そこに和音を乗せることで、曲の空気感ができてきます。
完成形になるまでもそれぞれ違います。よっしーさんの場合は細かいところまで作ってくれて、やりやすさもあります。僕の場合は、コードやフレーズの感じをざっくり伝えています。そうすると、皆のエッセンスが散りばめられるんですよね。誓哉君のように「ベースはえいちゃんに任せます」という場合もあります。
chang Projectのメンバー
吉川さんから見てchang Projectのメンバーはどんなプレイヤー?
皆、音楽に対する愛情が深すぎる人たちです。一緒にいて感服するというか、すごいと思う瞬間がたくさんあります。"音楽 IQが高い"という言い方が合っているか分かりませんが、音楽に対する理解度が全員高くて、僕は勉強させてもらっています。
chang Projectのメンバーはどのように集まったのですか。
誓哉君の周りのミュージシャンの中で、お客さんを入れずにスタジオでセッション会をするという、毎月の恒例行事がありました。音を出して、ただ遊ぼうという会です。そこでどんどんミュージシャンの輪が広がっていくんです。そこから気の合う仲間を誘ってできたのがchang Projectです。
スタジオでの内密なセッションのバンドが表に出て演奏をすることになった経緯について教えてください。
セッションを続けることによって演奏のクオリティが上がっていくんです。そして良い感じになったから、この場で終わるのはもったいない、と。ライブハウスで一発やってみようか、となったのがきっかけです。
リーダー横田誓哉さん
chang Projectのリーダー横田誓哉さん。山陰ペディアでも取材させていただいたことのある天才ドラマーだ。
誓哉くんはね、すごい人ですよ。僕は一方的にですが、彼が小学生くらいの時に知っていて、演奏も聴いたことがありました。本人は嫌がると思いますけど、当時は神童としてすごいプレイヤーが出てきたという印象でした。初手からその印象だったので、まさかそんな雲の上の存在のドラマーと一緒にできているというのは、本当に嬉しい事です。
誓哉君とは、実は米子に住んでいた頃はあまり関わりがなかったんです。自分はバンド界隈で、誓哉くんはベテラン勢の側にいたので、音楽のフィールドが違うこともあってあまり交流はありませんでした。
でも6~7年前、下北沢で、すぐ近くのイベントに誓哉君が出ているという情報を聞いて、今しかないと思って会いに行ったのがはじめましてでした。そこで連絡先を交換したのがきっかけです。
ある時誓哉君から「一緒にバンドをやりましょう」と連絡をくれて、『米子トリオ』というバンド名で演奏をしていましたが、徐々に活動が少なくなって。でも誓哉君とは音楽仲間であり、友達でもあったので、よくご飯を食べに行っていました。
そんな中で、「また一緒にやりたいよね」という話を1~2年していて。その話を続けた結果できたのがchang Projectです。
HI!HIGH?PECADOSS
米子では『HI!HIGH?PECADOSS』で演奏される事が多いですよね。
圧倒的に、ホームグラウンドはここでしょ!という感じです。来ただけで、音を出す前から落ち着く場所はここくらいだと思います。特別な場所です。
7月2日のHI!HIGH?PECADOSSで行われたライブは満席でした。ステージから見える景色はどうでしたか。
PECADOSSさんは、いつもお客さんの笑顔がしっかり見える環境なんです。おしゃれな照明がはっきり明るいので、米子ならでは、PECADOSSならではの、ありがたい景色です。いつも満員ありがとうございます。僕が一番楽しみなステージです。
一流プレイヤー達が集ったバンドの完成度
演奏の度にバンドとしての一体感が高まっていっているような気がします。
そう思います。chang Projectは、元々譜面を使って演奏していたところを、今回誰も使っていません。曲の構成や音符を覚えて演奏する、いわゆる暗譜をして演奏しています。
そうすることで、演奏中にメンバーと目配せしてコンタクトが取れるようになるので、バンド感が増すんですよね。ミュージシャン同士の集まりではなく、バンドとしての演奏になるので、そこがバンドとしての底上げになっていると思います。
吉川衛の素顔に迫る
幼少期・学生時代について
幼少期の吉川衛さん。女の子のような可愛らしい顔立ちをしている。
やんちゃ坊主でした。生まれてすぐはとても静かで、女の子と間違われるような子だったらしいです。幼稚園に入る頃には、その辺を走り回ってキャーキャー言っているようなガキでした(笑)
音楽を始めたきっかけ
中学3年生の頃、当時『19』や『ゆず』といったフォークデュオが全盛期で流行っていました。僕は友達から19のCDをもらって、音楽の素晴らしさに気が付きました。
音楽の入り口は19でしたが、そこから母親の勧めでビートルズのベスト盤をもらって、洋楽のかっこよさに気が付いて。それにビートルズはバンド編成なので、そこからバンドがいいと思い始めました。
その時ベースを始めていて、また母親からベースがかっこいいと言って勧められたのが『ジャミロクワイ』でした。そこから音楽にハマって、どんどんベースにのめり込んでいきました。
最初はギターでした。入口が19ということもあり、歌いながらギターをかき鳴らすというスタイルだったので、まずはそれを見様見真似です。お年玉を貯めていて、たぶん5万円くらいのアコースティックギターを買いました。でもチャレンジしても、コードが全然押さえられないんですよ。それが面白くなくて、綺麗に三日坊主で終わりました(笑)。
でも、弦楽器のフォルムはかっこいいと思っていたんです。だから楽器屋さんに行って他のがないか聞いたら、「もう三味線かベースしかないよ」って(笑)。じゃあベースでということで、ベースの音がどんなかも分からずに手にしました。
全くの別物です。厳密に言うと、ギターの弦って1弦から6弦に向かって低くなっています。6弦から更に下がベースという感じです。
当時19は流行っていましたよね。ファッションを真似したり。
サンバイザー、買いに行きましたもん。ハーフパンツ履いて。やってたな~。
米子北高等学校
chang Projectの横田誓哉・吉川衛が米子北高の軽音楽部と吹奏楽部を訪問した。
そこからここ米子北高校に進学されます。今母校に来てみて、心境は?
懐かしいを超えて感動です。3年間通った学校なので、どのポイントに行ってもそのポイントの思い出があります。ぐっときますよね。トイレひとつ取っても思い出があります。
米子北高校の進学を決めたきっかけを教えてください。
小学校高学年から空手をずっと習っていました。その空手道場の先生が、北高の生活指導で顧問の先生だったんです。中学を卒業するタイミングで北高に空手部ができたばかりで、絶対に来いよと言われ、行くしかなかったんですよね。
それが違うんですよ。空手部には入部しましたが、高校1年生の夏にエレキベースを買って、音楽にのめりこんで、空手をやらなくなっちゃったんです。
音楽を本気でやりたいと思って、空手部の先生に伝えました。僕は絶対に怒られると思っていたんですけど、「頑張れよ」って応援してくれたんです。これはちゃんと音楽やらないと、本当の意味で怒られると思いましたね。
やっていましたね。ヤマハパルスという楽器屋さんがレッスンをやっていたので、そこに通って1年くらいベースを学んでいました。そこで先生が、ベースを探している知り合いのバンドがあると紹介してくれたんですが、それがまさかの松江市のバンドだったんです。
そのバンドに加入してから、毎週松江に電車で通っていました。高校2年の暮頃の話です。
バンド活動開始
chang Projectによる米子北高部活訪問の様子。
chang Projectのサインをもらった生徒達も満足そうだ。
いわゆるやんちゃ坊主の集まりみたいなバンドで、6人編成と人数も多かったんです。スタジオに全員が揃うことはめったになくて、加入して約半年で皆のモチベーションも落ちて、辞めていったんです。
ボーカルと自分だけが残って、メンバーを探し、新たなバンドが結成できたと思ったら、今度はそのボーカルが抜けたんです。
どうしよう、今度はボーカルを探そうとなった時に、すごく歌の上手い女の子がいるということで誘って結成されたのが、『sunchago』(サンチャゴ)というバンドです。結構山陰の方では活躍できたんじゃないかな。
sunchagoというバンド
sunchagoはすぐに結果を出します。結成1年目から地元のグランプリを総なめします。
あれには自分たちも正直びっくりしていました。これから駆け上がっていくだろうと思っていましたね。その先、色々な大変なことがあるとは露知らず。でも自信を持つのは良い事だと思います。一番みなぎっていたのは当時かもしれません。
結成2年目にはYAMAHAからデビューが決まり、3年目にはVictorに移籍しシングルも多数リリース。山陰の音楽シーンを牽引してきたバンドだと思います。当時どのような思いでしたか。
ついに分かりやすいメジャーが来たと思いました。sunchagoは、今でこそめちゃめちゃ有名なサカナクションと同期なんです。これから売れていく人たちが、どんどんビクターと契約していた時期で、そのひとつがsunchagoだったので、「あぁこれいったな」という気持ちはありました。
その後sunchagoはどうなっていくのでしょう。
ビクターからデビューさせてもらってからは、東京・大阪・名古屋・福岡といった主要都市のライブが多くなっていきました。
大阪は毎週、東京は月に2回、全部車で山陰から移動していました。それをずっとやっているとどんなに若くてもちゃんと疲れてくるんですよね。
疲れてくるとどうなるかというと、今までのスタンスで作曲もできなくなって、人間の弱いところが出ちゃうんです。
sunchagoは、松江拠点でやっている時は、週に5日、可能であれば週6で集まっていました。もはや仕事ですよね。そりゃ演奏力も上がるし、曲もどんどんできるし、あの環境が続けばよかったのになって。
なまじメジャーデビューしちゃったもんだから、ライブ本数が増えて実力の底上げもそこで止まっちゃったし、作曲も滞っていたし、メンバーそれぞれがフラストレーションを抱えていました。ちょっとずつ仲が悪くなっていくんですよ、若さもありますし。
メジャーデビュー後もsunchagoとしては上京はせず、松江に拠点に置いて活動するというのは可能だったのですか。
可能でした。ただそれは、sunchagoから申し入れたわがままでした。今でもメンバーは仲が良くて連絡を取ったり遊んだりするのですが、sunchagoの歴史で一番の後悔しているポイントは、上京しなかったことなんです。
上京していたらもっと上手くいっただろうと、悔しい思いはあります。当時はその選択はせず、地元愛が強すぎたというか。
どうでしょうね(笑)解散したけど、メンバーは全員仲がいいんですよ。ということは、何かあるかもしれないですよね!期待していてください。
sunchagoにフルコミットしていく生活を何年も続けていたと思います。
解散となった時、何を感じましたか。
4人の中で、リーダーをやっていたギターが最初に抜けました。3人になってすぐは、トリオでもいけるでしょ、と軽い気持ちでいたのですが、やっぱりきつくて。どんどんきつくなっていって、もうだめだ、って。
終わった時は、正直安堵感も覚えましたし、でも一つの歴史が終わったという寂しさもありました。覚えているのは、ちょっと休もうと思ったことです。ずっと120%で駆け抜けてきたので、少し休憩しようという気持ちでした。
sunchago以降の吉川衛
地元でたまにバンドの演奏はやっていたので、音楽から完全に離れることはありませんでした。でもsunchagoみたいにシャカリキになってはいなかったので、ゆっくりしつつ、たまにバンドやりつつ、という感じでした。ベーシストとしては、余裕はありましたよ。
今は東京を拠点に活動されています。sunchagoの時は上京していなかった吉川さんが、なぜ上京することになったのでしょう。
sunchagoが終わってから、少し休んでいた頃、米子に東京から先輩のバンドが来たことがありました。歌のないインストのバンドです。その先輩がライブ後、セッションに誘ってくれて。でもその人は僕のベースを聞いたことがなかったんです。
だから演奏した時にすごくびっくりしてくれて、「えいちゃん、東京でそれ通用するよ」と大先輩のミュージシャンが言ってくれたことが嬉しくて。そう言ってもらった1か月後には東京に引っ越していました(笑)
そして上京へ
これは奇跡の連続だと思っています。東京初日の夜、来たからにはどこかライブハウスに遊びに行かなければと思い、渋谷のイベントを見つけました。フロアに行くとDJがかっこいい音楽をかけていて、僕は米子では見られない景色だと思いながら音楽を楽しみました。
ただ、これで帰ったらただの客だと思い、DJの方に話しかけたんです。自分が今日上京して、バンドをやりたいことを伝えると、「そういえば知り合いにベースが抜けたバンドがいるよ」って言われて。しかも僕の好きなジャンルのバンドだということを知り、次の日そのバンドに会うことになったんです。その後セッションし、加入が決まりました。上京して、バイトより先にバンドが決まったんです(笑)。
東京に来て最大のミラクルはこれでした。そのバンドは今でも続けていて、『Muff』(マフ)といいます。インストのファンクのバンドです。
今はバンドとしてはchang ProjectとMuffです。あとの2つは休止していますが、自分がリーダーをやっている『Lotus Land』。そして日本を代表するファンクバンド『Mountain Mocha Kilimanjaro』と全部で4つです。
ベーシストにベースについて聞いてみた
ベースを上手くなるためには、どうしたらいいでしょうか。
まず人の真似をすることです。雲の上の存在、レジェンドと呼ばれる神ベーシストって、このご時世いっぱいいます。その中でも必ず、特にすごいと思える人が見つかります。
まずはその人のことを可能な限り真似をする。演奏だけでなく、仕草でもいいです。動作も含めて細かいところを真似て、そうすると演奏も真似しやすくなるんです。
そうですね。何となく分かっていて、意識してやっていました。真似した方がいいと教えられた気もします。
ベーシストあるある
ベースって音楽を形成するすごく重要な部分です。故に、お客さんにはバレないけど、一緒に演奏している側からは一瞬でミスがばれます。だからちょっと緊張感のあるパートです。お客さんは低音で音程も取りにくいですし、振動を感じているような。
でも一緒に演奏している人たちは、低音はもちろん常に聞き取っているので、ほんの少しの、自分でも気が付いていないようなミスも気づかれたりします。すごくシビアなパートです。これが一番のあるあるです(笑)。
そうですよね。お客さんからそう言われるとすごく安心するんですよ(笑)。
音楽にまつわるエピソード
音楽をやっていて嬉しかった出来事をお聞かせください。
自分はバンドをやりたくて上京して、そのバンドが目指すところって、やはりフェスなんです。ずっと出たかったフェスがいくつかあるのですが、それに全部出られたことです。有名なところでいうとフジロック。ここに立ちたいという"ステージ"は残っていますが、"フェス"に沢山出られたことは、全部嬉しかったですね。
しょっちゅうです(笑)。特にchang Projectですが、これはネガティブな意味ではなくて。changのメンバーって、皆本当にすごいんですよ。超一流です。その中で、ベースがどうして俺なんだろうと思うことがあります。自分よりテクニックに長けたベーシストなんていっぱいいるし。
吉川さんのレベルでも、そう思うことがあるのですね。
いっぱいありますよ。僕の個人的な感覚からすると、特別進学校に、スポーツ推薦で入った感じです。勉強は苦手だけど大丈夫かな、みたいな。その感じでずっとやってきていて、changでは勉強させてもらっています。
スーパープレイヤーに囲まれる中で、改めて技術的なことに向き合わなければと思うこともありますか。
めっちゃあります。特に分かりやすく言うと、sunchagoをやっていた時はテクニック思考だったんですよ。いかにベースで派手なことをするかをずっと考えていました。でも東京に来てからは、どんどん演奏がシンプルになってきていました。
ベースの本来ある位置ってなんだろうとか、そういうことを考えていたんですね。ところがchangって皆演奏が派手なんですよ。それを見てやっぱり派手なプレイはかっこいいなって、ここ1~2年思っています。
若者に伝えたいこと
吉川衛からミュージシャンを志す若者たちへ。
プロのミュージシャンを目指す若者に伝えたいことはありますか。
先程言った、真似をするということ。あとは、これは僕がすごく苦労したことなのですが、基礎、音楽の理論です。僕自身、未だにあやふやなんですよ。今までにも、理論がきちんと入っていたら簡単に乗り切れられたと思う場面はすごく沢山あります。
そして色々なジャンルを聞くことです。食わず嫌いせずに、いろんなジャンルを知ることは大事だと思います。
真似をする、たくさん聞く、理論を学ぶということが大切です。僕が通らなかったが故に痛い目をみた経験から言えることです。
山陰で思い出深い場所
東京~山陰はサンライズ出雲で決まり!?
サンライズ出雲で移動されるのはMCでもお馴染みです。先ほどもこの電車から着想を得た楽曲のお話がありました。サンライズ出雲の魅力を語ってください。
こだわりしかないです!サンライズ出雲の存在は知っていたのですが、初めて乗ったのはここ10年くらいのことです。たまたま乗ったらすごく乗り心地が良くて。そこから色々な乗車パターンがあることを知って、どんどんこだわりが深くなっていきました。
車両によって部屋の形体が違って、自分に一番合った個室を探すことができます。こだわりは2階席です。2階席は窓がカーブしているので、寝ると天気が良ければ星空が見られるという、とんでもない環境になっています。
ラーメン むさし
米子市にあるラーメンむさし。吉川さんのソウルフードだ。
ソウルフードと仰っていたラーメン「むさし」。最近も行かれていますか。
ラーメンむさしは、今帰省して4日目ですが、4回行っています!
changのメンバーも誘って行かれることもありますか。
むさしの面白いところがあって、"すごく美味しい"か、"まあそこそこ"のどちらかに振れるんです。changでもそんな感じになっています(笑)。
吉川さんはすごく大食いだと聞いていますが、エピソードがありますか
よくテレビ番組に出ているフードファイターほどは食べませんが、一般的にはめっちゃ食べる方だと思います。焼肉行って大ライス4~5杯行けるくらい、けっこう食べます。
むさしでは頼むものが決まっているので、そんなには食べないです。ラーメンとライスと、納豆、以上です。だからたまに、むさしで食べた後に別の飲食店に行きます(笑)むさしの後に散歩がてら商店街の方まで歩いて、とんきんというカレー屋さんでカレーを食べるというコースがあります(笑)。
米子城でよく遊んでいた
米子城ではしょっちゅう遊んでいました。親父の散歩コースで、半ば無理やり連れていかれていました。山登りを毎週して、山頂まで登って一息ついたらもう下山、というのをルーティーンにしていました。城山、湊山公園のあたりはもう庭です。今でも分からないことないくらい詳しいですよ。
最後に
今後の夢や目標
これはちょっとカッコつけたアンサーになるかもしれませんけど、今、夢叶い中なんですよ!ミュージシャンとして活躍できているかどうかは、他者が決めることなので何とも言えないですが、自分としては納得いく音楽活動ができている状態です。
だから強いて言うなら、今の生活を続けていくことが夢です。続けていくことが何よりも幸せなので。今やっている音楽スタイルがすごく自分に合っていると思っているので、一日でも長く今の環境を続けたいと思っています。
読者へメッセージ
山陰出身で上京し故郷を離れると、ふるさとの魅力をどんどん発見します。この歳になっても、「米子ってこんなところがあったんだ」とか「知ってはいたけど初めて来た」と思うことが沢山あります。
米子に住んでいる時は、田舎だとずっと文句を言っていましたが、魅力しかないと思っています。飲食店一つ、公園一つとっても、すごく素敵な土地であることは間違いないです。本当に良いこの町を、住んでいる方は大切にしてほしいです。
そして音楽人として。東京はミュージシャンが沢山いる町なので、せめぎ合いの中で何とか生き抜いてきました。そんな自分にしかできないことってあるのだろうかと、理想高めなことを思い始めています。東京で10年以上ミュージシャンを続けて培ってきたものを、chang Projectや色々な形で山陰に届けられたら、それはすごく素敵なことだと思っています。
今後も乞うご期待で、よろしくお願いします!
今回の鳥取×働く人はベーシストの吉川衛さんでした。吉川さん、ありがとうございました。
吉川 衛(キッカワ エイ)
ベーシスト/chang Project
1986年3月10日生まれ
鳥取県米子市出身
中学生の頃に当時中高生に大人気だったフォークデュオ19(ジューク)にハマる。入口は19(ジューク)だったものの、母親の影響でビートルズの魅力に気付かされバンド形式の音楽に憧れるようになる。
空手をきっかけに米子北高等学校に進学した吉川。高校1年生の夏にエレキベースを購入して、ますます音楽の魅力にのめり込んでいく。気付けば空手部は退部していた。空手部の先生は「がんばれよ」と背中を押してくれたという。
当時、島根県松江市を中心に音楽活動をしており歌唱力に定評のある影山さゆり氏の噂を聞きつけて、バンドに誘いsunchagoが結成される。
sunchagoは初年度から次々と成果を出し人気バンドとなった。結成2年目にはYAMAHAからデビューが決まり、3年目にはVictorに移籍しシングルも多数リリース。
山陰を中心に活動を行っていたsunchagoだが、メジャーデビュー後は東京・大阪・名古屋・福岡といった主要都市のライブが多くなる。ライブと移動の時間が増えて、メンバーは明らかに疲れていった。
結果的に解散という結論に至ったsunchagoだが、メンバー同士は今でも仲が良い。いつか再び、sunchagoとしてステージに立つ日がくるかもしれない。
上京後はドラマー横田誓哉と出会い、chang Projectの立ち上げに関わりベーシストとして参加。
新しい仲間と共に、吉川は今まさに夢の最中に居る。
吉川衛 X
https://x.com/stingray0310
chang Project X
https://x.com/changProject_JP
インタビューを終えて
取材の一環でラーメンむさしに行きました。久しぶりにむさしでラーメンを食べられて美味しかったです。
chang Projectは定期的に米子でライブをされるようですのでチェックしてください!
吉川衛さん、ありがとうございました!
The following two tabs change content below.
山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。