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ドラマー「横田誓哉」さんに迫る
コンセプトムービー
横田さん宜しくお願いします!
公会堂内での撮影も許可をいただきました。
鳥取県にこんなにすごい人が沢山いるのだと、興味深く読ませていただいています。
横田誓哉さんの活動について
簡単に自己紹介
音楽面では、BLACK BOTTOM BRASS BANDでSEIYAとして活動し、スネアドラムを担当しています。また、横田誓哉と米子トリオというバンドではドラムを担当しています。
自分が所属するバンドだけではなく、サポートメンバーとしてアーティストのライブやレコーディングに参加させていただく事もあります。
直近1年間について
また10月28日に米子市公会堂さんでコンサートを予定しており、その準備期間でした。
丸一日休みってあるんですか?
時間が取れるときは、妻と外食したり野球観戦しています。
BLACK BOTTOM BRASS BANDについて
ニューオーリンズスタイルとは
ニューオーリンズスタイルブラスバンドとして活動されているBLACK BOTTOM BRASS BANDですが、どのような音楽スタイルなのですか。読者の方にわかりやすく伝えたいです。
これは、昔奴隷であった黒人が葬儀の際に演奏するとき、パレードの先頭を歩く故人の遺族や関係者がいて、続く2列目(セカンドライン)にいる楽隊が白人の真似をして演奏していたものです。
葬儀の音楽と言っても、かなり明るい音楽です。
ここからは想像ですが、かつて奴隷として生きてきた人々が、天国ではいいことがあるようにといった想いがあったのではないでしょうか。
BLACK BOTTOM BRASS BANDもニューオーリンズスタイルのブラスバンドで、例えば打楽器がバスドラムとスネアドラムに分かれていたり、スーザフォンが入っていて、行進しながら演奏できる形式になっています。
BBBBのMVでも「動き」を大切にされている印象を受けました。
BLACK BOTTOM BRASS BAND 『Profile Movie』
BBBBの雰囲気
それでも先輩達の人間性でしょうね、本当に楽しくプレイできるし、バンドが25年というのも考えられないくらい仲が良いバンドです。
普段の仕事の数が多すぎて、仕事以外で会う事はあまりありませんが(笑)
メンバー紹介
名前 | 担当 | 紹介 |
---|---|---|
YASSY | トロンボーン | バンドのリーダーで最高にハッピーな人間です。
YASSYの事は皆がすぐ好きになる様な、そんな素晴らしい人間です。プレイスタイルも独特ですので生で感じてほしいです。 |
MONKY | アルトサックス/バリトンサックス | バンドの曲も沢山書いています。 曲やイベントやBBBBの1番のアイデアマンだと思っています。 |
YUTA919 | トランペット | バンドのマスコットキャラクターとも言えます。 独特なキャラクターと発想を持っていて本当に面白い人です。 |
IGGY | IGGY/フルート | BBBBに珍しいクールな方です。プレイだけではなく、作曲活動もされていてNMB48、NGT48その他様々な著名な方に曲提供をされています。 |
ANTON | バスドラム | ニューオリンズブラスバンドの演奏の要!といえばバスドラムなのでバンドの大黒柱ですね。ANTONさんはユーモアがある人で人気者です。 |
TAMOTSU | スーザフォン | バスドラムの次にバンドの要ですね。 バンドの事務的な面でも支えてくれています。僕はTAMOTSUさんと話している事が多いです(笑) |
関西出身のバンドで今でも歴代で僕だけが関西人じゃないはずですし(笑)そういう意味では不安はありました。
曲作りについて
2ヶ月程スタジオに何度か入って候補曲を出したり、その曲に対して意見を出し合ってアレンジし直したり、そうして出た候補からアルバムに入れる曲を絞る形ですね。
レコーディングへのこだわり
主流のデジタルレコーディングの分離された一つ一つの音では無く、アナログレコーディングは独特の音の混じりがあるんです。
トラック数にも制限があったり、演奏が修正できなかったりと様々な難しさもある反面、アナログの音の混じり、太さ。そして何よりライブ感を味わえます。
最新アルバム『FUN TIME ROLL』
25周年ということで、メンバー内でアイデアを出し合いました。ゲストを呼んで作る話など、このアルバムを作るまでに色々な話が挙がったのですが。
しかし、25周年だからこそ、今自分たちだけで出せる音、やりたい音を出そうということになり、ゲストなしで制作しました。
ブラスワークショップ
そんな中で、「どうやってやれば近道か」っていうのを考えながら教えるようにしています。「なぜこうなっているか」を考えさせて、気付いてもらえるように心がけています。
面白エピソードください!
当メディアのために!(笑)
なのでいくら演奏してもMCで大体ずっこけますね。兄さん達はこれから覚えるという感じも無いし(笑)
僕も英語苦手なのですが勉強しておきます…。
横田誓哉と米子トリオ
当初は一夜限りの限定バンドだった
当初は一夜限りのバンドとして結成されたそうですが、かなり反響があったと聞きました。
ありがたいことに好評で、その後もツアーで米子を訪れています。都内でも数ヶ月に一回演奏をさせてもらっています。
名前が面白いですよね
横田さんがつけた…わけではないですよね。
リハーサルの音源をMONKYさんが僕とカズタケさんに送信してくれた題名が米子でのトリオのセッションライブという事でそのまま「米子トリオ」と仮でつけられていて。
セッションバンドという事で特にバンド名をつける事無くそのままなんとなく「米子トリオ」と名乗っていました。
ですが、そこにベーシストが加わるようになって、「これじゃトリオじゃ無い!」という事で僕がトリオから弾きだされて「横田誓哉と米子トリオ」となりました。
メンバー構成
キーボードはソロでもサポートでも曲提供でも、日本でトップクラスに忙しいタケウチカズタケさんです。
僕は心の中でカズタケさんを先生と呼んでいます(笑)
僕が今まで知らなかった世界や発想を提供してくれて、常に刺激を感じています。
ベーシストを探していた時期に、山陰のライブハウス「Aztic」が下北沢でライブを企画した事があったんです。その打ち上げで米子出身の吉川衛さんというベーシストに出会いました。
前から衛ちゃんの噂は聞いていたので、会えた嬉しさから連絡先を交換してお誘いしました。
衛ちゃんのベースは本当に最高で、僕は勝手に音楽性だけならぬ、地元性で1番相性の良いベーシストだと思っています(笑)
音楽性も米子トリオの内容をがらりと変えてくれて、メンバーもそれを凄く楽しんでいます。
ライブのMCや曲の選定から何から関西人お2人に決めてもらって、僕らは静かに付いていく感じです。米子人らしいでしょ(笑)
"音"を"楽しむ"から「音楽」
そこで自分達のやりたい事、好きな事をマッシュアップしてライブ内容を作っているのでメンバーが楽しんでいるのが大きいかもしれません。
どのようなバンドやサポートやジャンルをするにしても、やることが違ってもそれぞれの楽しさを感じられるミュージシャンでありたいと思っています。
音楽が楽しくて始めた、その気持ちを忘れずに伝える事が出来ればこの上なく嬉しいです。
ドラマー横田誓哉の誕生秘話
ドラムが遊び道具だった
横田さんがドラムを始めたキッカケやエピソードを教えてください。
昔は家にあったレーザーディスクでTOTOやEarth Wind&Fireライブの映像をひたすら観てました。
同世代の子がヒーローに憧れる気持ち、と同じように「TOTOのJeff Porcaroにどうしてもなりたい!」と思っていました(笑)
自然とドラムが好きになっていました。
レーザーディスクの見よう見真似でやっていた感じです。
大人に混じってライブに出演する小学生ドラマー
だから、親のアマチュアバンドに入って、大人に混じって毎週ライブに出ていました。
当時の自分にとっては自然でした。ドラムを叩きたい、誰かとセッションをしたい、という一心で。
…あまり深く考えていなかったのかもしれません(笑)
14歳でRittor Music主催「最強プレイヤーズコンテスト」でグランプリ受賞
当時の思い出や反響を教えてください。
自分がどこまでいけるか試したいという気持ちもあって。
最終審査では生演奏を聴いて頂けて、優勝することができました。
当時は全然実感はなかったですよ。
その後の反響
でも、それはあくまでも周りの同世代の子供と比べてというだけでした。
でもグランプリをいただいてからは取材が来たり、学校にカメラマンがいたり、知らない人から連絡が来たりして、少なからず反響は感じました。
「プロ」を意識したのは?
師匠に付いて運転やセッティングをする、いわゆる弟子です。
1年間ボウヤをやってから今のBLACK BOTTOM BRASS BANDに入ったのですが、入ってから「プロ」を意識するようになりました。
プロじゃなくても上手い人は沢山いるし、プロでもそうでない人もいるかもしれない。
今振り返ってみると、プロになりたいから練習してきたのではなく、「上手くなりたい」という気持ちでドラムを叩き続けてきただけなんです。
高校では周りが100%進学する中で僕はこの道を選んたのですが、プロになれるとは思っていませんでした。
現実的な夢ではなかったですね。
でも、音楽漬けで楽しい毎日です。
師匠と呼べる存在は江川ゲンタさん
そんな中で、小さい頃に親についていった山崎まさよしさんのコンサートでドラムを演奏していた「江川ゲンタ」さんのプレイのかっこよさ、凄さに衝撃を受けました。
こんなにかっこいい人がいるんだと。
その一年後に鳥取の国民文化祭のゲストとして江川ゲンタさんが来られた際に、小学生の僕は23時くらいまで入り待ちをして、「僕のドラムを聴いてくれませんか」と映像を渡しました。
ずっと1番尊敬するドラマー、ドラマーとしてだけでなく人として1番尊敬していて感謝しています。
なぜ自分が呼んでもらえたのかを考える
コラボレーションしたりサポート役に回る時に、横田さんが考えていることを聞かせてください。
バンドは、それぞれの個性でバンドとして一つのカラーを作っていくものだと考えています。
だから、自分がこうだと思うように演奏しています。サポートというより、同じステージに立つメンバーとして。例え、その日限りだとしても。
僕の強みを見て、認めてもらって呼んでいただいたと思って、自分らしさや持てる力を出していこうと思います。
横田誓哉に聞く、上手いドラマーの基準
ズバリ、横田誓哉が考える「ドラムの上手さ」とは?何で決まると思いますか。
でも一番は、「この人の音」「この人の演奏」がある人だと思います。
「この曲ならこの人だよね」っていう「この人らしさ」が伝わるドラマーが、上手い人だと思いますね。
ドラムは重要な土台
エンジンとなって、周りとどう音楽していくか、グルーヴしていくか。
ハーモニーはないですけど、そういった部分で音楽を回していける楽器だと思っています。
「心はアマチュアでありたい」
プロだから上手い、アマチュアだから下手ってことはないと思います。アマチュアを下とも思ったことはありません。
しかし、プロである以上、音への責任と、コンサートへ取り組む気持ちを持っておかないといけないと思います。
小学生と共演するときに、彼らは音が出なくても、楽器に対して「本当にお願い、音を出させて!」という気持ちがあるんですよ。
そういう気持ちや熱さが音に出ています。
そういう音への熱さを感じて、アマチュアから学ぶこともたくさんあると思っています。
ですから、僕は今でも「心はアマチュアでありたい」と思っています。音楽を楽しむ気持ちは忘れたくないですね。
わっしょい米子祭り
わっしょい米子祭りへの意気込み
しかし今回は、米子市という「町」とコラボしたいなと。
その際に、公会堂という米子市の文化の中心で、このキャパシティだからこそできる第一歩を踏み出せたらと考えました。
米子市公会堂360度カメラ
地元の方が参加しやすい価格設定に
今回米子市と山陰放送の主催で、プロモーション等行ってもらっているのですが、基本的には公会堂さんとBLACK BOTTOM BRASS BANDの持ち出しの企画です。
とにかく「地元の皆さんに参加していただく」とうことを第一に、米子で音楽を聴いてもらい、足を運んでもらうには、ということを考えて価格設定をしました。
ゲストは「レインボージャズオーケストラ」「ゴスペルオーブ」「米子東高校吹奏楽部」
もともと交流はあったのですが、バンドとして共演するのは初めての試みです。今から楽しみですね。
多くの人の努力や助けがあって一つのコンサートが成立している
音楽イベントのプロデュースやプランニングをしていく上で、今回感じた事があれば聞かせてください。
また、苦労した事と言えるかは分かりませんが、集客や広告一つとっても、ここまで労力がかかっていたのだと感じることができました。
出演バンドもスタッフも、どれか一つでも欠けたら成立しない、それがコンサートなんだ、と。
「若き音楽家のための演奏会」について
ジャンルやスタイルは違えど、鳥取県でこういった試みが増えていけばいいですね。
ジャズシーンでも鳥取県の出身者が出てきていたり、鳥取をキーワードにした催しも増えてきています。米子市の音楽シーンの未来を期待させる取り組みだと思います。
同世代のすごい人達
今考えると、僕が周りを知らなかっただけなんですけどね。
その場を支配する雰囲気というか。プロを見てそう感じることはありましたが、高校生であの雰囲気を持っているのには衝撃を受けました。勿論、技術も音も考えられないレベルでした。
年齢が近い人で初めて「この人すごい」と思える存在が竹田先輩だったんです。
仲間と毎日のように音楽の話をしていた
二人は本当にドラムが上手くて、僕と環境さえ同じなら、追いつけない2人だったと思います。
藤原君はピアノも上手だったんですよ、ドラムも良かったけどキーボードとしての才能がありました。
僕がドラムで彼がキーボードでバンドやったり色んなバンドに誘って一緒に演奏していましたけど、大人もびっくりしていましたね。
今では皆さんご存知の『Official髭男dism』のボーカル・ピアノを担当している藤原聡君です!
同じ歳で鳥取県出身ということで上京してからも近くに住んだり一緒に練習もしました。彼はもう本当に凄いとしか言いようが無い大好きなドラマーです。
日本で凄いドラマー、大好きなドラマーは沢山いますが、僕のフェイバリットドラマーは日本では彼が1番、世界合わせても五本の指に入ります。勿論年齢関係無く。
手作りのコンサートの強み
竹田さんや今回の企画のような、数ではなく手作りのコンサートの強みをもっと考えて、掘り下げていきたいですね。
その中の一つとして、吹奏楽のワークショップを開いて「聴くだけでなく参加しよう」と思ってもらえるようにしました。
また、僕の立場から地元在住のバンドを紹介し、米子市の方に愛着をもってもらうことも大切ですね。
子供たちが、「米子市公会堂に行けば何か楽しいことをやっている」って思ってくれるように、イベント開催が恒例行事になるようにしていきたいです。
本当の「お祭り」にしたい
習慣としている人は少ないように思います。
今考えても凄いことですよね。
「この時期になればある」「ここに行けばある」っていう祭りにしていきたいですね。
将来的にはゲストを呼んだコンサートも少しずつ実現していけたらと思います。
毎年7月に入ると、「そろそろ、がいな祭りの季節」と感じるように、この時期になるとBBBBがやって来る的な(笑)
“音楽”について
横田誓哉が音楽を通して伝えたいこと
インターネットの普及により、“音楽の価値”が変化したように思います。横田さんが音楽を通じて、聴いている方に一番伝えたいことはなんでしょうか。
僕たちは大衆に向けてのヒットソングを作っているわけではありませんし、バックバンドの時は協力して作り上げています。
聴きたい音楽を聴きやすくなった分、音楽をやりたいと思う人が多くなってほしいです。
そして音楽の楽しさを伝えていきたいです。
インタビュー前は「ビジネスライクな人だったらどうしよう」とか考えていました(笑)
今はCDを作ろうと思えば誰でも作れますし、聴きたい曲を手軽にダウンロードできる時代。厳しさも増したのかもしれませんが、チャンスも増えたのだと捉えています。
音楽を生で聴いてもらうことの意味・意義
では逆に、音を生で聴いてもらうことの意味は何でしょう。
「自分だったらどうやったらライブに行くのか?」って。
招待されてライブに行くことはありますが、自分でチケット代を払ってライブに行くという感覚は、プロの音楽家には案外ないものかもしれません。
ライブだからこそできる音楽もあると思うし、CDだからできる音楽もあって、違うものなんですよね。
でも、少なくとも僕たちはライブが一番だと思っています。人の心に直接振動として響かせることができる。
その楽しみを知ってほしいと思いますね。
若者へメッセージ
動機やきかっけは何でもいいと思います。音楽に嘘をつかず、音楽に真摯に取り組んでいくこと。「好き」という気持ちを大切にしてほしいです。
地域性 - 米子市ふるさと観光大使について
米子市ふるさと観光大使って何をするの?
東京のPRイベントで演奏することもありますが、大使だからさせてもらっているのかどうかは、実はよくわかっていません(笑)
もちろん大使だから音楽活動を行っている訳ではありませんが、大使という名前に助けられたことも多くありますね。
米子は全てにおいて楽しみのある街
松江は城下町であったり、東部は砂丘があったりする中で、「これが米子だ!」って言えるものがあまり思い浮かばない。
「わかりやすい強み」はあまり思い浮かばないなぁ。
「これが米子」と言えないくらいのバリエーションを持っていて、可能性のある町だと思います。
地元に残って音楽活動を続ける、ということ
どうしても文化が東京中心になっていますが、場所は関係なくなってきているな、と。
都会からアーティストが来た時に盛り上がるだけではなく、素晴らしいアーティストが地元にもたくさんいます。地元での音楽活動が続いていけばいいなと思いますね。
最後に
今後の目標
そして、今この年齢になって改めて「上手くなりたい!」って強く思っています。
それは周りに触発されている部分があるかもしれません。周りの活躍に対して、悔しいっていう感覚はないんです。
例えば髭男の藤原君の活躍も誰より嬉しいし、曲を聴いて「この部分曲に遊びを入れたな」と思うと当時を思い出して嬉しくなります。
山田玲のプレイに鳥肌が止まらなくて寝れなくなったりする。
良いミュージシャンを見て、純粋に音楽家としての技術・表現を向上させていきたいし僕もみんなに少しでも追いついていきたい。
このバンドが25年、僕が入って7年になりますが、作り上げてきた地位を考えて、僕が「ドラマーになりたい」と最初の動機を見つめなおして、できる限り努力して、できる限り良いドラマーになりたいです。
読者にメッセージ
10月28日のコンサートは、「米子の祭り」と謳っています。老若男女、誰もが楽しめる内容となっていますので、気軽に遊びにきてください!
ジャズ、クラシックといった難しさはありません。音楽ってこれだけ楽しいものだということが伝えられたらと思います!
良かったら足を運んでやってください。
ドラマー/BBBB
1991年10月30日生まれ
鳥取県米子市出身。父親が音楽をしていたため自宅にドラムセットがあった。両親に強いられたわけでも、遊び道具として与えられたわけでもない。自然とスティックを握っていた。レーザーディスクでTOTOやEarth Wind&Fireライブの映像をひたすら観ては、見様見真似の繰り返し。
小学生になってからは地元のバンドに参加。同年代に楽器ができる子がいなかったため、大人に混じってドラムを叩いていた。気が付けばバンドは掛け持ちしていた。
14歳の時Rittor Music主催「最強プレイヤーズコンテスト」にて年齢不問、プロアマ問わずドラムセットの部全国大会でグランプリ受賞。自覚はなくとも、周囲の反応は変わっていった。グランプリを受賞しても自分を上手いと思う事はなかった。
米子東高等学校に進学。同世代にも音楽の仲間が増える。不思議な事に才能が集まった。同級生に『Official髭男dismの藤原聡』『ARUSUISOUの朝田遼』がおり、現在でも親しい。
進学率100%を誇る米子東の中で、音楽の道を志す覚悟を決めて上京。20歳からBLACK BOTTOM BRASS BANDにスネアドラマーとして参加。後に正式メンバー加入。
全国各地にてホール公演やアウトリーチ、海外のフェス出演の他、綾戸智恵氏など著名なミュージシャンとの共演を行なっている。
また、BBBB以外では『横田誓哉と米子トリオ』を結成。活動の幅を広げている。
バンド以外でもDEPAPEPE、平井堅、西野カナ(順不同、敬称略)などのレコーディングやテレビ、ライブ出演を行う。 これまでに江川ゲンタ氏に師事。
2014年より米子市ふるさと大使を務める。音楽を通じて、どうすれば地元である米子市に貢献できるのかを模索している。
2018年、米子市公会堂で「わっしょい米子祭り」の企画に着手。少しずつだが自分の夢が形になってきた。
BBBBとして夢であったプロのドラマーになった。
TVで見ていた有名アーティストのバンドにも呼ばれるようになった。
もう一つの夢であった地元である米子市でのコンサートも開催。
高校時代、共に夢を語り合った仲間達は活躍。
そんな今だからこそ、思うのかもしれない。
「もっとドラムが上手くなりたい」
ドラムを好きな気持ちは、幼少期にスティックを握ったあの頃のまま。
BBBBWebサイト
http://bbbb1993.com/
ドラマー横田誓哉サイト
yokotaseiya.com
わっしょい米子祭り公式ホームページ
https://wasshoi-yonago.com/
twitter
https://twitter.com/seiyanky12
インタビューを終えて
横田誓哉さん、ありがとうございました!
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