写真家、SEと多方面で活躍する廣池さんの登場  
コンセプトムービー  
VIDEO 
	
		
		
			今回の鳥取×働く人は、多方面でご活躍されている廣池昌弘さんです。廣池さん、よろしくお願いいたします。
		 
	 
 
	
		
		
			廣池さんとは、私が以前勤めていた会社で繋がりを持たせていただきました。初めてじっくりお話を聞けるので楽しみにしていました。
		 
	 
 
	
		
		
			あれはかなり前ですよね。何年前か分からないくらいですね(笑)
		 
	 
 
	
		
		
			廣池さんは現在、システムエンジニアとして、また写真家としてどのように仕事をされているのでしょうか。
		 
	 
 
	
		
		
			今は、写真家を仕事として成り立たせるように頑張っているところです。システムエンジニアの方は、何時から何時までといった拘束はなく、半年~1年かけて仕上げるようなプロジェクトですと、時間的にも期間的にも比較的自由に休みを取ることができるので、その間に撮影ができるといった環境にあります。
		 
	 
 
システムエンジニア・プログラマーとして  
特種情報処理技術者試験  
	
		
		
			まずは、廣池さんのSEとしての側面に迫っていきたいと思います。 
システムエンジニアの仕事について教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			システムエンジニアは、コンピュータ・プラグラムの設計をする人です。30年以上前になりますが、自分は『第一種情報処理技術者試験』と『特種情報処理技術者試験』を受け国家資格を取りました。『特種』の資格を持った人に、私は県内で会ったことがありません。
		 
	 
 
	
		
		
			情報処理技術者試験は、その後何年かしてかなり細分化され、当時『特種』『第一種』『第二種』だったものが今や20種程度にまで増えています。
このうち私が持っている第一種は後の『ソフトウェア開発技術者試験』等になりますし、特種に関しては該当がないかもしれません。
 
		 
	 
 
プログラミングを始めたきっかけ  
 
	
		
		
			廣池さんがプログラミングを始めた時期、そしてきっかけを教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			大学4年の時、コンピュータのシミュレーションで論文を書いたのが最初です。当時は“パンチカード”という厚手の紙に穴を開けて情報を記録する記録媒体を使用していた時代でした。
また、広島大学工学部にて船舶工学を学んでいたこともきっかけです。当時コンピュータは、船の設計や動きのシミュレーションといった面で船舶に用いられるものがかなり進んでいました。
 
		 
	 
 
	
		
		
			1992年には土木関連のシステム開発を行う会社を企業されます。起業された経緯を教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			起業する前は企業に勤めていました。『キャタピラー三菱』というブルドーザーなどの建設機械を作る会社で、その中でもダンプトラックをロボット化するようなシステムを作るプロジェクトに参加していました。
アメリカのキャタピラー社と三菱重工の合弁会社であり、開発がアメリカ、製造が日本と分かれていたため、“コンピュータの開発”という自分がしたかったことが、日本ではできませんでした。それが独立に至った理由と言えるでしょうか。
 
		 
	 
 
	
		
		
			1999年にはホームページコンテストで全国2位になりました。その当時の反響や心境をお聞かせください。
		 
	 
 
	
		
		
			当時北海道にいたのですが、その周りの人からはすごく称賛の言葉をいただきました。
当時Flashという技術を用いてホームページを作っていて、その賞は動きで選ばれたんだと思っていました。
だからデザインはどうなのだろうと思い、審査員長に直接「私のデザインはこれで良いでしょうか」と伺ったところ、褒めていただき、自分のデザインは通用するものなのだと自信になりました。
 
		 
	 
 
Webサイトの作り方・在り方  
 
	
		
		
			Webサイトの作り方や在り方もここ10~20年で大きく変わったように思います。エンジニアとしてこの業界に長く携わっておられる廣池さんの見解をお聞かせください。
		 
	 
 
	
		
		
			私がWebに関わり始めた頃にFlashが出てきました。自分はどちらかというとWebは後発なので、同じスタートのFlashに特化してやっていましたし、“Webをつくる”というより“Flashをつくる”という感じでした。
		 
	 
 
	
		
		
			それが、iPhoneが発売された時に、もうFlashは使用されないとなった時は、本当に衝撃が大きかったです。私にとってはFlashがあった時代と、現在のなくなってからの時代という両極端な世界にいた気がします。
		 
	 
 
Flashについて  
	
		
		
			apple社がiPhoneでFlashを使用しないことを発表したとき、FLASHクリエイターさん達はどのような心境だったのでしょうか。
		 
	 
 
	
		
		
			それはもう、大激震でしたよ(笑)
とはいえすぐに無くなるわけではなく、徐々に少なくなっていたので、当時は実感が湧きませんでした。すぐに仕事が無くなるということもありませんでした。
 
		 
	 
 
	
		
		
			Flashが本当に全盛期の頃、動きに合わせて画面が動くといった最先端のことをやっていた、まさにそんな矢先に無くなることが決まりました。この頃を知っている私にとっては、今のWebは技術的に後退しちゃったなと感じるところもあります。
		 
	 
 
廣池さんの専門分野  
 
	
		
		
			開発する上で得意な分野のものや、専門としているプログラム言語を教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			最近までFlashを長くやってきましたが、バックエンドでのサーバー系のプログラムとしてPHPを使いますし、インターフェースにはJavaScriptも使います。その中で特別に得意なもの、というよりも、とりあえず何でも使いこなせるようになりました。
プログラム自体は40年やっていて、その中で様々な言語を取り扱ってきたので、ちょっと触れば何となく分かってくるものです。
 
		 
	 
 
	
		
		
			昨今、プログラミングが注目されており、2020年には小学校で必修科目になったそうです。廣池さんの見解を聞かせてください。
		 
	 
 
	
		
		
			プログラミングというのは、特定の言語に強くなればいいという風には思いません。言語というより、アルゴリズムの方が重要だと考えています。単にプログラミングでものをつくるというより、"どういうものを" "どう処理して" "どうする"というアルゴリズムをしっかりと教えてほしいですね。
		 
	 
 
	
		
		
			プログラムを始める人には、"つくる"のではなく"開発する"という視点で、どう処理するのかを一から考えて取り組んでほしいですね。例えば三角形が二つあるとします。その三角形が合わさった部分の面積を知りたい場合、昔はネットもないので一からその方法を考えていたんですよ。
そうして1か月かかってようやく答えが出ることもありました。そうやって最初から物事を考える開発能力について、しっかり教えてくれたらいいと思います。
 
		 
	 
 
Flashによる地図システム  
	
		
		
			廣池さんが開発したFlashによる地図システムは、当時は画期的なものでしたよね。
		 
	 
 
	
		
		
			GIS(地理情報システム)はWeb用にもあったのですが、何千万円もするような世界でした。また、当時は今のGoogleMapsのようにリアルタイムに移動したり拡大できるものではなかったので、それをFlashのプログラムと地図データで実現したんです。地図は国土地理院から許可を得て、まずは北海道から全てトレースして地図をつくっていきました。正直この地図つくりが一番大変でした。
		 
	 
 
	
		
		
			常に新しい技術を取り入れていく、泳ぎ続けなければいけない職種だと思います。
		 
	 
 
	
		
		
			今までFlashに一番関わってきて、そんなFlashでさえ無くなってしまうという経験が一番大きかったと思います。言語を覚えるということはそれ程大切ではなくて、何かあっても潰しがきくような技術の身に着け方をすることが大事です。
つまり、先にもお話したようにアルゴリズムを考え、基礎的な思考能力や開発力を伸ばしていくことが重要なのです。
 
		 
	 
 
SE・プログラマーにとって大切なもの  
	
		
		
			システムエンジニアやプログラマーにとって大切なものとは。
		 
	 
 
	
		
		
			私は全てを一人でやってきたので、必然的にプログラミングだけを見るということはありませんでした。営業からシステム設計、デザイン、プログラム、全てに関わります。
会社に勤める人たちも、大きな視野で、幅広い分野を見ていって欲しいですね。デザインや写真もそうですが、専門外の分野も知っておくことだと思います。
 
		 
	 
 
写真家として  
Sony World Photography Awards 2020 Professional Natural World and Wildlife 第二位  
	
		
		
			2020年は写真家として数々の賞を受賞された年となりました。その中でもSony World Photography Awards 2020 Professional Natural World and Wildlife 第二位という賞は、かなりの反響があったのでは。
		 
	 
 
	
		
		
			Sony World Photography Awardsっていうのは、おそらく世界で最も権威のあるコンテストだと思います。その第二位というのはものすごく光栄なことです。
意外と国内での反響は、そこまで大きくはありませんでした。コロナの影響もあり、国内で10か所予定していた展示会も1か所になったことも理由の一つだと思います。
しかし海外からの反響は大きく、このAwardsをきかっけに、海外からFacebookの友達申請が非常にたくさんきましたね。ポーランドでは個展も企画して頂きました。延期になってますが。
 
		 
	 
 
写真集『HIMEBOTARU』  
	
		
		
			写真集『HIMEBOTARU』を出版されました。この写真に込められた想いをお聞かせください。
		 
	 
 
	
		
		
			これは、今井印刷さんに無理を言ってお願いして作ることができた作品です。受賞したこともものすごく光栄ですが、全て鳥取県内の風景であるということを誇りに思います。鳥取の、日本の蛍の風景が、ここまで世界に通用するものであるということを知っていただきたいです。
私自身、写真を始めるまでヒメボタルの存在を知らなかったので、ヒメボタルを知ってもらうきっかけになれたらいいと思います。
 
		 
	 
 
写真・カメラを始めたきっかけ  
photographer Masahiro Hiroike
 
	
		
		
			写真を始められたきっかけは?またその時期を教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			高校生の時、旅行が好きで、自転車で金沢まで行ったり、大学時代には自転車で北海道を一周したりしていて、その旅行のついでに写真を撮ったことが始まりかもしれません。
写真を本格的に始めたのは、写真を表示するシステムの開発がきっかけですね。Web上で写真をスライドショーしたり、一覧表示するFLASHのプログラムをフリーウェアとして配布していました。
 
		 
	 
 
これまでの愛用機の変遷  
 
	
		
		
			現在はSONYのαシリーズを使用されることが多いと伺っています。廣池さんのこれまでの愛用機の歴史を聞かせてください。
		 
	 
 
	
		
		
			フィルム時代に初めて買ったのはOLYMPUSの『OM-4』、それからMINOLTAの『α707si』を使っていました。デジタルカメラは30万画素機から使っていますが、デジタル一眼となってからはPENTAX *ist DS、そしてMINOLTAのレンズが使えるということでSONYの『α350』
本格的に写真を撮るようになってフルサイズにした時はCANON『EOS 6D』でしたが、数年前に高画素を求めてSONY『α7R』にしました。以降『α7RⅡ』、『α7RⅣ』を使っています。
 
		 
	 
 
スマホで手軽に写真を楽しめる時代の中での『写真家』  
	
		
		
			スマホで手軽に高画質の写真を撮れる時代になりました。写真家として、廣池さんはどのように感じられますか。
		 
	 
 
	
		
		
			スマホで気軽に撮影できる時代だからこそ、写真家は「作品」としての価値ある写真を、また8K対応できる高画質な写真を目指さないといけないと思っています。
写真展では、A1やB0といった1~2mのサイズの作品を展示することもあり、高画素・高画質で撮影するように心がけています。
 
		 
	 
 
撮りたいもの、撮りたい場所  
photographer Masahiro Hiroike
 
	
		
		
			廣池さんが“撮りたい!”と感じる瞬間はどんな時ですか?
		 
	 
 
	
		
		
			そうですね、イメージで言うと"幻想的"な写真を目指しているので、場所としても、そういったところを撮りたいと思いますね。
そんな風景が地元にたくさんあって、特に冬の大山や雪の積もった鳥取砂丘なんかは大変幻想的です。
 
		 
	 
 
過酷だった場所やエピソード  
photographer Masahiro Hiroike l その時に撮影された写真
 
	
		
		
			これまでの撮影で過酷な場所、あるいは廣池さんにとって印象深いエピソードがあれば教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			大山の雪山の写真は、昨年だけでも10回は登って撮影しているのですが、その日は吹雪で、6合目の避難小屋に入りました。避難小屋には8合目まで行って降りてきた2人が先に入っていて、3人で天気が回復するのを待っていたんです。
しばらくして星が見えてきたので、先に私だけ一人で小屋を出て登山を続けたのが、過酷と言えば過酷でした。しかしその時にしか撮れない、誰もおらず足跡一つない、まっさらの雪山という最高の条件で撮影することができたんです。
 
		 
	 
 
ベストショットを教えてください!  
photographer Masahiro Hiroike
 
	
		
		
			廣池さんの写真家人生の中でのベストショットを教えてください。
		 
	 
 
	
		
		
			それでは、今日時点のランキングでお願いします(笑)
		 
	 
 
	
		
		
			今はやはり写真集『HIMEBOTARU』の表紙の写真でしょうか。この作品は、Sony World Photography Awardsの来年度の公式のバナーに使用されていたんですよ!バナーですので、どのページでも出てきます。バナーとして使いやすかったのかもしれませんが、本当にありがたいと思っています。
		 
	 
 
写真家にとって大切なもの  
	
		
		
			すさまじいPV。多くの方の目に触れますね。
写真家にとって大切なものとは?
 
		 
	 
 
	
		
		
			"写真家"のこの"家"というのは“芸術家”の略だと思っています。ですから、写真家を名乗る以上は芸術家を目指さないといけないと考えています。
写真家は写真を撮ることが大部分と思われがちですが、半分以上は被写体を"探すこと"、"見つけること"が大切だと思います。
 
		 
	 
 
	
		
		
			その時、その場所でしか撮れない瞬間との出会いが大切ですよね。
		 
	 
 
	
		
		
			残りの半分である撮る方は、最大限の工夫をして写真を撮ることが大切ですね。
		 
	 
 
2021年に個展開催  
 
	
		
		
			2021年には、米子市美術館で個展を予定されています。どのようなコンセプトの個展になる予定でしょうか。
		 
	 
 
	
		
		
			昨年末『Quest/探求 第1集』という書籍を今井出版さんから出版して頂きました。その展示をする前に、Sony World Photography Awardsの受賞があり、その後コロナが広がりましたので、今回は『Quest/美の探求』をテーマに個展を開催することにしました。
この『Quest/探求 第1集』は、『colors/色』、『times/時』、『reasons/理』をテーマに、解説書を加えた4冊組となっていますが、この中から山陰を中心とした写真を展示します。もちろんSony World Photography Awardsの受賞作も展示する予定ですし、ロシアの"5th 35AWARDS"などの受賞作品も展示する予定です。
 
		 
	 
 
廣池昌弘の素顔に迫る  
幼少期・学生時代  
	
		
		
			幼少期、学生時代はどのように過ごされていましたか。
		 
	 
 
	
		
		
			小中学生時代はサッカーをずっとやっていました。キャプテンをしていたこともあります。
遊びとしては渓流釣りが好きで、自転車で山奥まで行ってよく釣りをしていました。
 
		 
	 
 
	
		
		
			廣池さんの自然が好きなところやアクティブな部分、子供の頃から養われていたんですね。
		 
	 
 
	
		
		
			自転車で30~40kmくらいの距離にある大山の渓流まで行っていました(笑)
		 
	 
 
広島大学時代  
	
		
		
			広島大学へ進学されます。広島大学ではどのようなことを学ばれたのですか。
		 
	 
 
	
		
		
			冒頭でお話したように、船舶工学といって、船の設計の勉強をしていました。そこでコンピュータと出会い、それからはずっとコンピュータ関連の仕事をしています。
		 
	 
 
	
		
		
			はい。そこではダンプトラックのロボット化を行うプロジェクトに入っていました。ダンプトラックといっても77t積み。公道は走れないタイヤの大きさが3~3,5mのものです。ラジコンではなく自動制御で動くシステムを開発していました。
		 
	 
 
写真とプログラミングに共通するもの  
photographer Masahiro Hiroike
 
	
		
		
			写真とプログラミング。異なる分野ですが、共通することってありますか?
		 
	 
 
	
		
		
			プログラムには2つの側面があって、まずは新しいものを一から開発すること、そして計画の元に組み立てることです。特に前者は私がプログラムを始めた頃にはすごく必要で、"発見"がすごく重要なのです。
それは写真にも同じことが言えます。山を歩きながら、一つの木や一つの葉だけが光っていることに気が付くことってあるんです。写真家のセンサーに引っかかるというか。そういった"発見"は似ている部分かもしれません。
また撮るときには、幻想的に見えるように、綺麗に撮るために自分なりの"工夫"を必ずします。これはプログラミングも同じで、より早い、より使いやすいプログラムになるように"工夫"をします。
 
		 
	 
 
多方面で活躍するために…  
	
		
		
			廣池さんのように多方面で活躍するには、どうすればいいのでしょう?
		 
	 
 
	
		
		
			プログラムの言語だけではなく、そこに至るまでのアルゴリズム、そしてその手前の"発見"が重要です。これからの時代はAIが発達し、仕事を代わられるとも言われていますが、そういった本質を見る力があれば、何の問題もないでしょう。
そしてそのためには、好きなことをとことんやることだと思います。それは私が、昔山や釣りで遊んでいた経験がすごく役に立っていて、大切だったのだと思えるからです。どうなるかは分からなくてもまずはやってみて、自分の感性を磨くことは将来に必ず生きてくると思います。
 
		 
	 
 
山陰や南部町の話  
廣池さんにとっての南部町  
	
		
		
			廣池さんの写真によって、南部町の蛍がより注目されることとなりそうです。廣池さんにとって南部町ってどんな町ですか?
		 
	 
 
	
		
		
			写真を始めて分かったことなのですが、南部町は本当に撮る場所、被写体が多い地域だと思います。環境省が選定する『生物多様性保全上重要な里地里山』において、町内全域が選定されているのは、西日本でも南部町だけなんです。人間が関わっている自然として素晴らしい地域であると認められたのだと思います。
例えば蛍や桜並木、彼岸花は素晴らしいですし、県全域で考えても、大山や鳥取砂丘があり、海も近く全てがコンパクトにまとまっているというのは、写真家としては利点だと思います。
 
		 
	 
 
世界に誇れる山陰の風景  
photographer Masahiro Hiroike
 
	
		
		
			それらは、本当に世界に誇れる風景です。
砂丘に50cm積雪すると、滑らかな曲線の砂丘をさらに滑らかにしてくれます。粉雪が吹き溜まりのようになって、遭難してしまいそうになりますけど(笑)
これは、海外の写真の一つのジャンルである"ミニマリズム(装飾的・説明的な部分をできるだけそぎ落とした表現)"としても非常に好まれ、そういう目線で見ると第一級の写真が撮れる場所なんです。
 
		 
	 
 
	
		
		
			そういう意味では、Sony World Photography Awardsでちょっと悔しい思いをしました(笑)。風景写真で1位になったドイツのRonny Behnertさんの作品は、日本の「海の鳥居」を撮ったものだったんです!しかも、写真のうちの2か所が鳥取県内、1か所は嫁ヶ島で、山陰の風景がシリーズに入っていました。
やはり世界から見てもトップを取るくらいの風景ですし、これから益々注目されていくと思います。
 
		 
	 
 
観光における写真の価値  
photographer Masahiro Hiroike
 
	
		
		
			写真の観光資源としての価値について、廣池さんの考えをお聞かせください。
		 
	 
 
	
		
		
			写真で見るスポットと、いわゆる観光地というのは別のものだと考えています。だからこそ、写真のスポットとして注目されると、そこの観光が2倍おもしろくなると思います。
蛍に関しては一定期間ではありますが、写真撮影の場としても、蛍鑑賞の観光地としても人が集まる場所になっていますよね。
 
		 
	 
 
最後に  
今後の夢や目標  
	
		
		
			もう歳も歳ですし、開発者としてというより、写真家として比重を置いていきたいとも考えています。やはり次はカテゴリー1位を獲ることが直近の目標です。
賞をいただいたことで、自分が今までやってきたことや撮り方、選ぶ感性には自信がつきました。あとは自分が納得できるものをとことん作っていきたいですね。
 
		 
	 
 
読者の方にメッセージ  
	
		
		
			3月に、米子市美術館で開催する予定の個展は、ちょっと大規模なものにしようと取り組んでいます。写真はA2以上のサイズでB0の大きなサイズでも何枚か展示することを考えています。プリントも最新のものなど色々調べているところです。
まずはその写真を見て、何か感じていただけばと思います。期間は3月12日~3月23日、水曜日は休館日で計11日間を予定しています。
コロナウイルス対策については、米子市美術館のポリシーに則って行います。最新の情報は米子市美術館ホームページや、私のFacebookの情報を見ていただけたらと思います。
 
		 
	 
 
	
		
		
			今回の鳥取×働く人はシステムエンジニア・写真家の廣池昌弘さんでした。ありがとうございました。
		 
	 
 
廣池 昌弘(ひろいけ まさひろ)
システムエンジニア/写真家
有限会社SIDE代表
鳥取県西伯郡南部町出身
1962年生まれ
米子東高校、広島大学工学部卒。鳥取県南部町在住のシステムエンジニア&写真家 
旧通産省認定 特種情報処理技術者、第一種情報処理技術者 
1992 年 土木関連のシステム開発を行う会社を設立して独立 
1999 年 全国的ホームページコンテストで2位を受賞し、それを機にWEB制作とWEB システム開発を事業として始める 
2005 年 FLASH技術による写真のスライドショー表示、一覧表示プログラム等を開発すると同時に写真を本格的に始める 
出版・展示会 
2019年12月 今井出版より写真集「QUEST/探求 第1集」を出版 
2020年 7月 ちいさな今井より写真集「HIMEBOTARU」を出版 
2020年11月 ポーランド、西シレジア写真家協会の招待で、イレニャグーラ博物館にて写真展開催予定(延期) 
2021年 3月 鳥取県米子市美術館で個展開催予定(3月11日~3月23日)
facebook 
https://www.facebook.com/masahiro.hiroike 
 
インタビューを終えて  
廣池昌弘さん、ありがとうございました!
The following two tabs change content below. 
	
		
		
		
			
			山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。