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プラバホールを貸し切って田中俊太郎さんの取材
田中俊太郎×プラバホール
大ホールでインタビュー
コロナ禍での音楽活動
しかし音楽を発信していきたい、音楽を通して皆と繋がりたいという思いは僕ら演奏家の側にも、おそらくお客さんの側にもあると思いますので、色々な発信の方法が生まれていると思います。
2020年に関わった演奏会の中で、初めて生配信という経験をしたり、オンライン限定のコンサートをしたこともありました。音楽の発信の仕方それ自体は色々模索をしながら、それでも音楽を通して皆さんと繋がっていくことは続けられているのかなと思います。
インターネットを通じて皆様に情報を発信しながらも、もちろん生の舞台に来ていただくのが一番良いので、そこへの架け橋になるような活動を音楽家が自覚を持って始めることができました。
僕もブログの中で、音楽の中身のことを発信させていただいています。そういった活動の先に、コロナ禍以降の音楽の世界が広がっていたらいいなという希望をもって活動をさせてもらっています。
プラバホールの歌い心地
やはりオペラから教会音楽・宗教音楽まで、すごく幅広く鳴り響かせることができるのが、このホールの良さだと思います。僕自身も色々なジャンルの音楽をここで歌わせてもらったことがあるので、それぞれの曲がこのホールにすごく助けられて、鳴り響かせることができました。
プラバホールの経験
このホールではお正月にニューイヤーオペラコンサートを開催しているのですが、僕が大学に入ってから、学部生も参加し演奏させてもらっていたので、数えきれないです。10回は超えていますかね。
2年生は制作側に回るので、台本を書いたり音楽を編集したり、ここのオルガンを使わせていただいて、オペラ座の怪人のテーマを弾いてもらったことが印象深いです。
プラバでは、そういった制作にも関わったことがあり、合唱でも歌ったことがあり、ソロでも歌わせてもらったという経験があるんですね。
プラバホールはステージもそうなのですが、壁も一面木でできているんです。木というのは呼吸していて、多分時と共に、木そのものも成長していきますし、成長している僕のことも見守ってくれていると感じます。
家に帰ってきたような感覚
というのは、松江音楽協会をはじめとして、ホールを運営されている方やスタッフの方に会っても「お久しぶりです」という挨拶がありほっとしますね。このホールに関わる皆様、あるいは合唱隊の歌声、ホールに入ってくださるお客様の中にも顔なじみの方がいらっしゃいます。
「あぁ帰ってきたな」と思えるホールがあるというのは、音楽家としては感謝の気持ちでいっぱいですし心強いです。
2021年のプラバホールは田中俊太郎の年
今言える範囲で結構ですので、コンサートやイベントの内容について教えていただけますでしょうか。
そして12月には、オルガンのコンサートで歌わせてもらうことを予定しています。オルガンもこのホールでとても美しく響くので、私たちの歌声と共に皆さんに届けたいです。
そういった子供たちの声や島根の合唱人たちの声が鳴り響くホール。プラバホールに刻まれた歴史や、島根県や山陰の声の歴史というのは他の地域にはないものです。
NPO法人松江音楽協会
そして少年少女合唱隊の演奏会や活動というのは、学校教育とは違いますが人を育てる活動でもあります。
また、プラバ音楽祭という全国から一流の演奏家の方々を呼んで、世界で活躍してきた皆様の音楽をこのホールの響きで聞くことができる場であるというのは、大きな魅力だと思います。松江音楽協会さんはそういった幅広い音楽、幅広い声が鳴り響いているホールを支えている方々だと思っています。
島根県の声楽文化
そしてそういった声楽文化の礎を作られたのは森山俊雄先生だと思います。僕はその俊雄先生の息子さんである、森山秀俊先生を師事していました。
俊雄先生というのは、イタリアの声楽の発声の技術を追求されて、藝大の図書館にも先生が書かれた発声の本が置いてあります。そういった技術を高校生までに身に着けて、藝大あるいは中央に行って活躍された方が大勢いらっしゃいます。
先生の技術的なところというのは、島根の合唱人の中にも根強く息づいていると思います。合唱をするというのは、ある意味皆で声を合わせるということだけに注目しがちです。
しかし島根の合唱人というのは、そこから一歩踏み入れて、イタリアオペラのエッセンス、声楽のエッセンスというのはどこにあるんだということを一人一人が探求しながら合唱に関わっているものですから、そこで出来上がる合唱の歌声のクオリティが違う。そういった声楽・合唱の文化や礎というのは、僕が中学校・高校で合唱に関わった時に全身で受け取らせてもらいました。
ボーカルデュオ『SiriuS(シリウス)』
田中俊太郎と大田翔によるユニット
大田君は大学院のオペラ科で勉強してきて、一方僕は独唱科で勉強をして、そこはちょっとカリキュラムが違うんですね。オペラ科はその名の通りオペラを勉強するんですが、ソロ科は各国の歌曲を勉強したり、宗教曲のソリストの勉強もします。
大学では先輩・後輩ということもあってなかなか関わる機会はありませんでしたが、色々なご縁で一緒にやることになりました。
二人の声の違いがより良いハーモニーとなる
その音楽の作り方自体や、そもそも勉強してきた過程が違うのかなと思います。
ですから大田君はすごくヒロイックで、まさにテノールのオペラの主役を飾るような声なのですが、僕はどちらかというと音楽を探求するのが好きです。お互いの長所が上手く融合して、良い化学反応が起きていると思います。
『星めぐりの歌』
過去のアルバムも星をテーマにした楽曲が多いですよね。
そこで、僕たち二人で輝けるような存在になりたいという想いを込めて"SiriuS"というグループ名にしました。そのグループ名にちなんで、今回星にまつわる歌を古今東西集めてきて、アルバムを作りました。
選曲の方法や基準はどのようなものでしたか。
今回のレコーディングで初めて出会った楽曲もありました。
ただ、楽譜ができた段階では収録の完成物には至っていません。僕たちなりに歌いやすい歌い方だとか、ここはこういう風に聞かせたいということを検討し、楽譜をもらってからレコーディングまでに、稽古の中で常に進化し続けています。
レコーディングが現時点での答えの場。そして、その答えを僕達が音楽家として育てていく役目にあると考えています。
一つの楽曲を研究し掘り下げて、それをアウトプットする
それぞれの楽曲と向き合い大切に歌っている印象を受けました。
僕自身、音楽の作品を歌うことももちろんですが、その前段階として、楽曲に対して"知っていく""探求していく"という過程が大好きで、そういうところを少しでも皆様に共感していただけたらと思います。
ロスト・イン・ザ・スターズ
この楽曲を歌うのは牧師役でその息子が罪を犯してしまい、いよいよ死刑になってしまいます。そういった中での救いの感情や光を求めていく、息子に対する思い、それから一つの不遇の人生や歩みの中での救いを歌った楽曲です。
今回このアルバム作りの中でこの素晴らしい曲と出会いました。大切に歌い続けて、この楽曲に恥じない音楽家になっていきたいと思います。
二人のバランス
実際のお二人の関係性や雰囲気を教えてください。
大田君の天才的なアイディアと、僕が何となく分析しながら、こうしたら上手くいくかな、というところをやり取りしながら作っていますね。
近い将来SiriuSが山陰に…
音楽家や研究者としての活動
『東京ディズニーリゾート35周年"Happiest Celebration!"イン・コンサート』
『東京ディズニーリゾート35周年"Happiest Celebration!"イン・コンサート』に出演されました。
華やかな舞台であるだけに、プロフェッショナルとしての厳しさもあったのではないかと予想しています。当時の心境や裏話などお聞かせください。
これは2時間くらいの舞台なのですが、ほとんど出ずっぱりの、しかも歌だけでなくダンスもずっとしているというものでした。実は、クラッシックがバックグラウンドの出演者というのは、シンガー10人の中で僕一人だったんです。
他の方はミュージカルやゴスペルの第一線で活躍している方々で、そういう方々に交じってエンターテイメントの舞台を作り上げるということは、すごく大変な作業でした。一回一回の稽古の中で、シンガーのメンバーで信頼関係を構築していって、最後の本番を迎えるときには本当に唯一無二のチームになっているという経験でした。
エンターテイメントの舞台というのは、稽古期間がすごく長くて密なんですね。そういう一体感を持ってステージに立てるというのは、僕にとってもすごくありがたい経験でした。
NHK連続テレビ小説「エール」に八田武役で出演
僕も少ない回数ですが、一緒に立ったシーンの稽古にご一緒させていただいて、実際のオペラの現場での習慣や動きについて一緒に作らせていただきました。スタッフさん、出演者さん含めて、連ドラを作る方々の熱意とすごくプロフェッショナルな心意気というところに、印象を受けました。
それはクラシックに関わらず、エンターテイメントでもテレビの世界でも同じことです。ただ全てに共通して言えるのは、音楽が主題だということ。音楽が繋げてくれたものなのです。
オンラインコンサートKY OPERA AIR『愛の妙薬』
意外にもお二人の共演はかなり久しぶりだったようで…。
舞台や音楽の発信の仕方は随分変わってきていて、あの企画は耕平が撮影・編集・演奏も全て受け持っていました。これからのオペラ歌手や声楽家の発信の仕方の、一つ先駆けとなっている活動なのかなと思います。
こういった作品群は、貴族達の持ち物というよりは、市民達が楽しんでいた芸術なので、そういう意味では、皆さんに親しんで楽しんでいただけるような作品だと思います。
指導者・講師としての側面も
授業の中では、僕らがプロフェッショナルな現場でやっているのとはまた違った共感が、学生たちの間で生まれるんですね。
そういう時間に立ち会った時には自分でもすごく新鮮な気持ちになりますし、純粋に"音楽を楽しむ"ってこういうことだったなと思い出します。中学や高校の合唱コンクールでの「皆で作り上げていって楽しい」という瞬間というのはやはりいつ感じても新鮮なものです。
そして、繋がるということ自体には、プロもアマもそんなに変わりはないのかなと思う瞬間もありますね。
田中俊太郎の素顔に迫る
幼少期・学生時代について
僕は旧平田市出身なのですが、地元の水泳大会の記録はまだ残っているんじゃないかな?それくらい本格的に水泳に取り組んでいました。
一人で何時間もカヌーを漕いでいた…
音楽の原体験
ちょくちょくさぼっていました。それでも音楽を通して、感情を入れて音楽を奏でるという、その体験自体はすごく好きでした。
中学校の合唱部の正部員は女性しかおらず、3年生になった時に、運動部からごっそり引退した男性を仮入部させていくというスタイルの部活でした。僕は中学校入学後も水泳を続けていて、その後にこの合唱部に関わらせていただきました。
もちろん春から昼休みに集まって訓練は受けていたのですけどね。そこで中国大会に進み、小旅行をしたような少し美味しい思いをします(笑)しかしそこでとても良い音楽ができたというのが印象的で、それがきっかけで、高校に入ってからも合唱をやりたいと思うようになりました。
合唱部の先生との出会い
田舎育ちの自分としては、ピアノは習っていたものの、音楽を専門でしている人って女性が多いのかなという感覚があったのです。
しかしその方は男性の先生で、すごく熱血な指導があって、僕らもすごく熱くなって一つの合唱を作り上げたというのがとても印象的でした。とても楽しかったんですよね。
声楽のレッスンに通うようにはなりましたが、僕が通っていたのは理数科だったこともあり、音楽で進学すること自体は考えていませんでした。
それが逆に良かったのだと思います。声楽の先生も、音楽を専攻で進まないのであれば、ガツガツと基礎的なことから積み重ねていくというのではなく、"音楽を勉強する""音楽を知る"ということ全般を学んでいこうというスタイルでレッスンをしてくださいました。
そのスタイルのレッスンが本当に面白くて。音楽を通して僕が高校の時にやっていたのはドイツリート、ドイツの歌曲が中心だったのですが、音楽を通してドイツの文学や地域のことを知るということがすごく面白かったんです。そこが今の僕のスタイルの原点になっているのかなと思います。
しかし声楽、特に男性の声というのは、声変わりしてからようやく自分の楽器ができたというところなので、割と中学や高校に入ってから始めるという方も少なくありません。
それだけに高校まではピアノ科に在学していたという藝大の同級生も多かったです。
母校の檜山小学校が令和2年度をもって閉校
演奏会や講演会の際に後輩である生徒達に何を伝えましたか?
そういう意味で相手を信頼する、共演者を信頼してお客さんと心が繋がるというのが、すごく大事だと思っています。だから小学校の皆には、信じあって、ハーモニーを作ることの面白さと大切さが伝わるといいなと思いながら講演させてもらいました。
松江北高卒業後は島根大学へ
しかし大学4年間という時間を考えた時に、音楽の世界の中に自分の身を投じて過ごしてみたいという気持ちが強くなりました。親も、1度受験してもしダメだったら戻ってくればいいんじゃないかと後押ししてくれたので、半年間で休学させてもらい、藝大受験して、ありがたいことに合格できたという感じですね。
学部時代に学んだこと
そこでイタリアの発声の技術を学び、それは本当に針の穴に糸を通すような技術で、そこしかないという部分を探求していく4年間でした。
その後、同大大学院へ
学者・研究者としての側面もお持ちですが、主にどのようなことを学ばれたのでしょうか。
大学院では自分の研究分野、専門分野を一つ見定めて探求していくという勉強の仕方になるので、僕は日本の音楽を専門に勉強するようになりました。
これも偶然の出会いと言えばそうなります…というのは、当時藝大にいらしていた片山杜秀先生という、今は近代日本音楽の歴史のことを語らせたら第一人者であられる先生の日本の音楽史の授業を受けていました。
何か勉強すべき楽曲はあるかと先生に相談したところ、台湾出身の作曲家・江文也(こうぶんや)さんが書いた自筆譜を持っていらして、「これはバリトンの人が歌う曲なので、良かったら勉強してみたらどうかな」と紹介してもらい、その楽譜を再現したいと思ったのが日本の音楽との出会いでした。
学友達の存在
色々な人がいる中で、それぞれの個性を認め合うという雰囲気がありました。
あるいはこういう存在がいる中で、僕がやっていけることってなんだろうと考えるきっかけにもなります。そういう意味で友人の存在はとても大きいですね。
テノール歌手/山本耕平さんとの出会い
米子と松江の代表するアーティストを、それぞれの代表するホールで撮影するというプロジェクトをさせていただいています。改めて、耕平さんとの関係をお聞かせください。
クラシック音楽やオペラの魅力
僕にとってクラッシック音楽は、色々な幅広い音楽と出会うことができる"海"のようなものだと思っています。それだけ包容力のある、歴史や地域性のあるジャンルであるという点が、僕にとっての魅力です。
クラシック初心者の方へ
色々な演奏家が色々な発信の仕方をしていて、特にオンラインで自宅にいながら本物に接していただける良い機会なのではないでしょうか。今の演奏家が発信しようとしている情報にアクセスしていただくというのが、面白いクラシック音楽との関わり方なのではないかと思います。
一人では音楽はできない
そういった意味では、演奏もそうですし、教育の分野でも研究でも、人と繋がっていく、歴史と繋がっていく、そして歴史の先には昔の人がいて、そこには熱い人生を辿った人がいて。そこと繋がっていくということは僕の中では喜びの一番中心部分です。僕の中ではどれも好きですね。
楽器としての"田中俊太郎"
例えば楽器で言えば、楽器を作る職人さんがいて、良い楽器があって、それを人の手で奏でます。人というのはそれを鳴らす一歩手前というか、鳴るものではなくて“鳴らすもの"というところです。
一方歌に関しては、自分自身が響くものになるので、良い歌、上手い歌というのは、"自分自身を心地よく鳴らせている人"、そういった歌、と言えるのではないかと思います。僕自身も気持ちの良い歌を歌えるように日々努力しているのですが、そこに到達するのはなかなか難しいですね。
若者へメッセージ
山陰には素晴らしいホールがたくさんありますし、声楽に関わらず、素晴らしい音楽の文化が根付いている地域です。
まずは周りの一番近しい音楽家の先輩、先生方との関わりを大切にしていただいて、その先に専門的な道に入った時には、そこで色々な人に支えてもらいつつ、道を進めることができます。自分の先輩、師匠を大切にして歩んでいただけたらと思います。
山陰や島根県の話
故郷
中高生の時は一畑電車で宍道湖の湖畔を往復していたので、強いて言うとしたら僕のふるさとは『宍道湖の湖畔』なのかなと思ったりしますけど(笑)
思い出深い場所や食べ物
帰ってきて宍道湖の景色を見るとすごく落ち着く感じがありますね。
祖父が船大工だった時代に、うちの実家の前の川で鰻を獲って、天然の良い鰻が獲れたら保存しておいてくれて、それをおばあちゃんが蒲焼にしてくれていました。
その味が自分にとっては、今まで食べた食べ物の中で一番美味しかったものだと思います。そういう意味では鰻っていうのは大好きです。
最後に
今後の夢や目標
そういった活動というのは、今のSiriuSの活動でもそうですし、より幅広く色々な方々に音楽を楽しんでいただけるように頑張っていきたいと思います。
ファンへメッセージ
そういった方々全てに感謝しながら活動を続けていきたいと思います。SiriuSの活動、あるいは島根に帰ってきてからの活動を含めて、よりクオリティが高く、良い音楽を皆様にお伝えできるように頑張っていきたいと思いますので、どうぞこれからも応援よろしくお願いします。
読者へメッセージ
そしてそのホールに僕・田中俊太郎の声を聞きにいらしていただければ、すごく嬉しく思います。
声楽家/SiriuS
島根県出雲市(旧平田市)出身
バリトン。島根県出身。東京芸術大学音楽学部声楽科卒業。同大学大学院音楽研究科修士課程独唱専攻修了。同大学院音楽研究科博士後期課程修了。東京芸術大学・博士(音楽)学位を取得。
博士後期課程では、日本人作曲家の歌曲作品を中心に研究・演奏を行い、学位審査論文「松平頼則《古今集》研究――近代フランス音楽受容から戦後創作への過程として」を提出。
2016年、芸大プロジェクト『サティとその時代~世紀末からベル・エポックへ』第二回「キャバレー文化とクラシック」出演、洗足学園音楽大学ミュージカルコース創立10周年記念第12回ミュージカル本公演《Into The Woods》ナレーター・謎の男役として出演、北九州聖楽研究会主催J.S.バッハ《ロ短調ミサ》バス・ソロを担当。
2018年、「東京ディズニーリゾート35周年"Happiest Celebration!"イン・コンサート」出演。
そのほかオペラではドニゼッティ《愛の妙薬》ベルコーレ、ヴェルディ《椿姫》ジェルモン、モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》タイトルロール、プッチーニ《ラ・ボエーム》ショナールなどを演じる。
2017年度三菱地所賞受賞。NHK連続テレビ小説『エール』にオペラ歌手八田武役で出演。
声楽を森山秀俊、福島明也、ジャンニコラ・ピリウッチ、林康子、ナイジェル・ロブソン、奈良ゆみ、畑中良輔の各氏に師事。日本コロムビア専属アーティストとして男声ヴォーカルデュオSiriuSとして活動中。
麻布学園非常勤講師。東京純心大学非常勤講師。
SiriuS公式Webサイト
https://columbia.jp/artist-info/sirius/
田中俊太郎公式Webサイト
http://shuntarotanaka.com/
インタビューを終えて
田中俊太郎さん、ありがとうございました!
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