シンガーソングライター長尾哲成
コンセプトムービー『車窓』
本日は、シンガーソングライター長尾哲成さんのインタビューです。
今回の取材は米子市立後藤ヶ丘中学校の音楽室をお借りして行っております。どのようなお気持ちですか。
まさにあそこに座って、式台のところに先生が座っていて、かっこいいなと思って吹いていたことが蘇ってくるような感覚です。当時の部員は30~40人くらいで、周りの学校よりは豊かな、羨ましがられるくらいは各楽器の人数がいたと思います。
音楽活動について
主な活動場所
基本的には楽曲を制作し、場合によってはミュージックビデオやリリックビデオを制作して、それをYouTubeに投稿することが主な活動になっています。
今はYouTubeやSNSに投稿するということが当たり前に行われ、それも大きな活動の場となっているように感じます。
MV
そうですね。100%自分で作ったものが届いてほしいという気持ちがあり、少しでも良い形のもの、動画であれ何であれ、「かっこいいな」「良いな」と思ってもらえる成分が多くなればと思い制作しています。
アニメーションのものは依頼して作ってもらうこともありますが、基本的に自分が全てプロデュースして絵を考えたり、場所を決めたり編集して頑張っています。
cisho(シショー)の由来
cisho(シショー)の名前の由来を教えてください。
本当に何でもいいと思って考えていました。元々中学の時から6年間通った英語の塾の先生からずっと"シショー"と呼ばれていたんです。
理由は分からないんですけど(笑)。それと同時に、地元の大人に対してかっこいいと感じる気持ちがあること、そしてこういう人達に「この子ミュージシャンとして頑張っている」と思われるような人になりたいと考えてこの名前にしました。
自主企画ライブ『CrossRoads』
2023年1月2日にYonago AZTiC aughsではcishoの初ライブ『CrossRoads』を企画し出演されました。
後輩のバンドや同世代のバンドを4~5つくらい誘ってイベントを開催しました。
"目に見えて難しそうなところ"と、"目に見えないけれど難しいところ"があって、やってみるとその"目に見えない部分"がどんどん重くのしかかってくるようでした。
様々な事務的な作業や連絡は大変だと思いつつも、当日お客さんも演者も楽しんでいる姿を見ると、良かったと思えました。
そうですね。やはりコロナが続いていた中で、ライブハウスとしてもお客さんが入りにくい状況でした。ガイドライン的にも入れにくい、お客さん自身も気持ち的に行きにくい、という中で、当日は100人近くの方々にお越しいただきました。
この時期にこのくらい来ていただいてライブを開催できたのはすごく大きなことだったと思います。本当に良いきっかけになりましたし、またリスタートできたという気持ちです。
誇らしいことだと思います。卒業してある程度経っても、一緒にやる仲間や応援してくれる仲間がいることは素晴らしいことですね。
卒業ライブ等ですと多くのバンドが出るので集客もそれなりに見込めるのですが、今回のバンド数でこのくらいのお客さんが入ったということはありがたいことです。
当日は僕の友達やそのご両親、とにかく自分の周りの色々な方面でお世話になっている方々に来ていただきました。改めてお世話になっていることを実感しつつ、同時に、もっと高い所に行かないといけないとも思いました。
この現状に満足せず、今応援してくださっている方々にもっと良い報告ができるようにと思っています。
今後の地元での活動
今後、地元でのコンサートの企画などは予定されていますか。
地元では、1月に開いたライブもご好評いただいたこともあり、具体的には決まっていませんがまた必ずやりたいと思っています。
会場も1か所に留まらず、もっと大きな場所でと考えています。都内では、ライブハウスに積極的に出演して、自分のスキルをもっと高めていきたいです。そしてYouTubeへの投稿がメインの活動となっている中で、自分がまだ持っていないスキルを身に着けライブハウスに出て、現場でスキルを上げていきます。
インターネット上だけでなく、現場でもちゃんと戦えるミュージシャンになりたいという思いがあります。
本番でないと分からないこと、得られないことはたくさんあるので、どんどん露出して、自分を洗練させていきたいです。
長尾哲成の素顔に迫る
幼少期
幼少期は最初の幼稚園~小1くらいまではめちゃくちゃ活発でした。1年生の時に人が多すぎて物怖じしてしまったのか、2年生くらいでテンション1回下がります(笑)。でも3年生でまた復活して、陽気で元気なパーソナリティがずっと続いていると思っています。
根本的には人前に出る時は陽気な自分でいられていると思っていたのですが、中学校くらいから陰の部分も同時に芽生え始めて。自分の頭の中で余計なことも含めてすごく考えるようになったかもしれないです。
吹奏楽部に入部
中学校では吹奏楽部に入部されます。吹奏楽部に入ろうと思ったきっかけはありますか。
ずっと何となく音楽は好きで、楽器を買って触ってみたりはしていました。小学6年生の3学期に、進学先の中学校の吹奏楽部の演奏会が自分の小学校で開かれました。それを見に行った時に、楽しそうだと思ったことが理由の一つです。
もう一つは顧問の先生…後に自分にとって恩師といえる先生がいらっしゃったのですが、その先生がすごくしゃべりが面白くて、こういう先生の下で音楽ができるのがすごく楽しそうだと思い、勢いのまま中学校では吹奏楽部に入りました。
吹奏楽部ではフルートを担当されます。フルートの担当になった経緯は?
まず楽器体験のようなことがあって、それぞれ楽器を順繰りで回り、5月頃に決めるという感じです。元々やりたい楽器がある人もいれば、小学校の金管バンドと同じ楽器をやるという人もいます。
僕は特に楽器をやっておらず、何となくパーカッションをやりたいと思っていたのですが、体験で違うと思って(笑)。その次に連れて行かれたのがフルートの部屋でそのまま楽器が決まりました。
フルートはメロディーを吹くことが多い楽器です。吹奏楽は打楽器がリズムを刻み、低音の楽器がベースラインを作り、金管楽器や木管楽器がハーモニーを作ります。そしてその上にメロディーを歌う人達がいて、そのメロディーを任されることがフルートは多いです。
音楽の原体験
吹奏楽を始めてからはクラシック音楽っていいなと思い部活に取り組んでいました。ただ元々小学校の時からテレビで色々なアーティストが集まる歌謡祭、ミュージックフェスティバルみたいな番組を見るのは好きで、JPOPを何となく聞いてはいました。
中学校2年生の時に肺炎で病院に入院することになるのですが、その時に暇すぎて何もすることが無いので、音楽を聴こうと思って。
その時ipod nanoに入れていた、何となく借りた[Alexandros]のアルバムを聞いた時に稲妻が走った感じがしました。ハッと目覚めさせられるような、かっこいい!という思いがありました。クラシックだけでなく、バンドや今の活動にダイレクトに関わる音楽を聴いたり、したりするのはそこから始まっていきました。
その後、米子東高へ。東高でも吹奏楽部は続けられていますよね。
実は最初テニス部に入っていたのです。7月に毎年恒例で、中学校を卒業し高校1年生になった人たちが、1つ下の学年の合宿を見に行くという行事がありました。
それに行って後輩たちの演奏を聞いた時、やはり吹奏楽に戻らなきゃと気づかされました。そこからテニスは楽しかったものの、辞めて吹奏楽部に入りました。
大学へ進学
高校卒業後は大学へ進学されます。大学ではどのようなことを専攻されているのですか。
大学では中学校と高校の音楽の教員になるための勉強をしています。
そうですね。やはり吹奏楽に長く関わってきた中で、音楽を通してでないと子供たちに教えられないことや伝えられないことが絶対にあると思っています。特に頭を使うこと、思考するということが重要です。
この先AIに仕事が奪われる可能性があっても、自分の頭で思考して、芸術を吟味する力はAIには奪われないと思います。そういった人間の尊い能力を養うのに、音楽はすごく向いていると思っているので、それに携わりたいですね。
音楽活動を本格化
吹奏楽部ではフルートを担当されていましたが、cishoではピアノやギター、ヴォーカルまで披露されています。
それぞれずっと何となくやってきてはいました。例えばギターであれば、小学3年生の時に家にあったものを触って手が小さいので諦めて、中学校になってまた始めて。ドラムにしても小学5年生の時に家に電子ドラムを買って、なんとなく叩いていました。
一旦辞めても中学校2年生でまた叩き始めて。ピアノにしても同じような感じで、小さい時からずっと触っていた延長で色々な楽器を触っているような感覚があります。
やはり一番は[Alexandros]の音楽には影響を受けています。[Alexandros]は音楽だけでなく、生き方やスタイル、どうエンターテイメントとして聴衆に自分たちを見せていくかという、そのすべての過程においてかっこいいと思っています。
ヴォーカルの川上洋平さんがブログに書かれていたのですが、彼はオアシスがすごく好きで、『オアシスがどんなに酷い曲を書いたとしても、僕は酷いと言わずに首を縦に振ってしまうだろう』といったことが書かれていました。それと全く同じことを僕は[Alexandros]に思っていますね。
演奏だけではなく作詞作曲、編曲までされています。DTM・DAWの技術もすごいですね。
DTMの良いところは、一昔前だったら絶対に一人でできなかったことを、今の時代だと簡単に、しかもそんなにお金もかからずに取り組めるところです。誰でもプロと同じような音源を作れるというところが魅力だと思っています。
逆を言えばそこまで突き詰めないと成立しないというか。編曲も全て自分でやって、隅々まで自分が納得いくものだけを作って発表できるという部分が、DTMの良い所だと思います。
編曲ができるようになると、最初のメロディーの作り方に影響が出てくると思いますし、そういったスキルは大切ですね。
皆さんに聞いて頂くあの状態までを、曲が生まれたところから全部自分で担うことになります。色々なプロセスに色々な要素が絡んでいくのですが、それを全部自分で管理できるということなので、そういう意味ではもしかしたらプロよりフレキシブルに作れる可能性があるのかもしれません。
ドラマー横田誓哉のサポート
ドラマー横田誓哉さんやBBBBのサポートもされています。どのような体験をされていますか。
米子出身の横田誓哉さんの下で勉強させていただいています。やはりステージをいくつも拝見すると、そのステージに向かうまでの準備や気持ちの作り方といった部分は普通に生きていたら絶対に見られないので、表に出ていない部分でミュージシャンとはどうあるべきかを学ばせてもらっています。
ドラムのプレイはもちろん勉強になるのですが、それ以外にもミュージシャンとしてどう生きていくかという部分をすごく勉強させていただいています。色々なタイミングで声を掛けて頂くだけで僕はとても嬉しいので、そのチャンスの中で100%吸収できるようにしたいと思っています。
横田さんにcishoの楽曲聞いてもらったことはありますか。
あります。直接「あれを聞いたよ」と仰っていただく形よりは、会話の中で「そういえば、あの曲さ…」と言われて、「あ、聞いて頂けていたんだ!」と思わされることの方が多いですね。
参考になるようなことも多かったのではないでしょうか。
BBBBは場所も変わりますし、スタッフさんが固定されている訳ではないので、現場ごとに合わせていくことも見させてもらっています。でも結局は、本番いかに良い演奏をするかというところに、それまでの全てが繋がっていると思います。
常にこの時間のために、ということを考えながら動いていらっしゃるということは勉強になります。
先輩ってこういう存在なのだと感じますし、単純にかっこいいですよね。僕もこうなりたいと素直に思います。良くしていただいている分、自分も頑張って後輩に還元していかなければいけないと思います。
最後に
今後の夢や目標
目標は武道館で公演をすることです。これは自分がやり始めたときからずっと言っていることです。偉大な先輩方が立たれてきたステージで、[Alexandros]や米子出身の日本一のバンドであるofficial髭男dismも立っています。
そういう大好きな先輩たちが立ってきた場所に自分も必ず立ちたいと思っています。
どこでどういう風に教員を、というよりは『子供たちと音楽をもっと近づけることができる存在』という意味での教員になりたいです。
教員といっても色々な教員がいると思いますが、そこには拘らず、自分が大人になった時、若い世代の子たちに自分が音楽を通して何か得るものを提供できるような存在になりたいです。
読者へメッセージ
まずはご覧いただきありがとうございます。地元や日本を代表するようなアーティストになれるようにこれからも頑張りますので、ぜひ色々なところで応援していただけたらと思います。
今回の鳥取×働く人はシンガーソングライターのcishoこと、長尾哲成さんでした。ありがとうございました。
長尾 哲成(ナガオ テッセイ)
シンガーソングライター
2003年1月8日生まれ
鳥取県米子市出身
中学生の頃に通っていた塾では「シショウ」というあだ名で呼ばれていた。アーティスト名として「cisho」を名乗っているのはその時の友人達に気付いてもらうため。もっと大きな存在となった時に誇らしく思ってもらうため。
小学生の頃に後藤ヶ丘中学校吹奏楽部の演奏を聴いて吹奏楽部への入部を決めた。吹奏楽部ではフルートを担当する事に。
中学2年生の頃に肺炎を患って入院する事になる。入院期間は退屈で仕方がなかった。普段は何の気なしに聴いてきたiPodに入っていた曲を、ひたすら聴き込んだ。病院という他の娯楽がない環境の中で聴き込んだ楽曲達は、普段よりも心と体に沁み込んでいった。
"音楽が好きだ"
吹奏楽部でフルートを奏でる以外にもギターや鍵盤など音楽に触れる時間が長くなっていった。
高校でも吹奏楽部を続ける事に。
第1回わっしょい米子祭り、第2回わっしょい米子祭りに出演。コンクールや定期演奏会とはまた違ったイベントで、哲成にとっては新鮮だった。プロの凄みを感じた。
大学進学後はシンガーソングライターとしての活動を本格化。作曲をしながらDTMの学習にも取り組み、オリジナルの楽曲をYouTubeに投稿。一定の評価を得る。
2023年1月にはライブ『CrossRoads』を企画・出演。地元米子市で100人以上の動員を記録する。
ドラマー横田誓哉のサポートも行う。
YouTube
https://www.youtube.com/@cisho
Instagram
https://www.instagram.com/cisho_ent/
インタビューを終えて
コンセプトムービーに使用させていただいた車窓はすごく好きです。
Graffitiやスタートラインも名曲なのでチェックしてみてください!
長尾哲成さん、ありがとうございました!
The following two tabs change content below.
山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。