「タブチサトシ」というクリエイター
山陰で上手い絵描きといえば?という問いに対して「それならタブチさんでしょう」と答える人も少なくないだろう。今回の鳥取×働く人では、タブチサトシという絵描きがどうやって生まれたのか、どのように作られたのかに迫ってみたいと思う。
今回の山陰ペディアは、山陰両県で絵描きとして!本日は宜しくお願いします。
タブチさんとは、よく一緒にお仕事をさせてもらうのですが、改めて話す機会を得て非常に楽しみです。色々質問も用意させてもらっています(笑)
自称イラストレーターです。
タブチさんの今の仕事の状況や活動について教えてください。現在は、フリーランスの絵描き、という事なのでしょうか?
そうですね。自称イラストレーターです。
イラスト講師なんかも何となくやってたりします。
松江と半々という感じかな。米子の案件はほぼpooolさんからのご依頼です。
完全にフリーランスになる以前は、米子でご勤務もされていましたよね。
そうですね。というか、完全にフリーランスになってからデジタルハリウッド米子校で講師兼スタッフとして勤務していましたね。今でも講師としては在席しています。
宍道湖と夕日をテーマにした作品。山陰中央新報「月いち美術館」にも掲載された傑作。
デジハリ米子、島根デザイン学校、東部技術校で講師も
これまで、一言に「絵を描く」と言っても様々な案件をされてきたと思いますが、ここ最近ではどういった案件をされることが多いですか?
pooolさんからのご依頼以外ですと、ポスター、パンフ、チップイラスト、キャラクターザイン、店頭ポップと言ったところですか。
講師は引き続きデジハリ米子、島根デザイン学校、東部技術校にてやっています。
「タブチサトシ」の過去を振り返る
絵を描いて人に喜んでもらうのが楽しかったのは小学低学年のころだったかな
ここからは、絵描きタブチサトシが「いつ」「どのように」誕生したのか、に迫っていきたいと思います。
絵を描き始めたのは何歳頃ですか?
絵を描いて人に喜んでもらうのが楽しかったのは小学低学年のころだったかな。先生に褒められて有頂天になってたのが中学生の頃。いずれもイラストではなく美術でした。
美大受験のために「絵」を本格的に始めたのが高一。
「絵が上手い人はいつから上手いのか」と、興味がある方は少なくないはずです。
小学校低学年の頃から突出していたのですか?
他人より特に優れていたという事はなかったと思います。絵を描くのが好きだったという事は覚えてますね。
そうなんですね。例えば、図工・美術の成績が良かった、とか。
そうですね。5段階評価で5以下は無かったと思います。ですが、あくまでも学生の授業としての話ですから。小学生の頃から、美術的にすごい才能があったとかそういうわけではないのですよ。
中学生時代
中学生時代の有頂天エピソードについて、もっと詳しく教えてください。
中学の頃は色々楽しかったです。急にスタントマンになってみたいと思い、体操部に入って県でベスト8に入ったり、女子のレオタード見て興奮したり、家から海まで数十キロの距離を自転車で爆走し、しかし金が無いので飯は現地調達のサバイバルな夏休みとか。
色んな面子と遊ぶのが楽しい時代でしたね~悪さも色々…。
かなり活発な中学生だったのですね。当時得たインスピレーションは、今でも絵描きとして活かされていますか。
中学の頃というより、小学生(野生児だった)の頃に経験した様々な事がインスピレーションに繋がってるかもしれない。三度の飯より生き物収集が好きだったので、常に野山にいる餓鬼でした。
セミをカゴいっぱいに捕まえて、締め切った部屋に全部放つ遊びが好きだったり、蛇やカエルを学校に持って行っては先生や両親に怒られてた。
近所の子どもを集めては川さらいしたり、ギンヤンマ捕まえるのに沼辺でタモ構えてたら落ちたりそんな小学生時代。
可憐な少女の絵。よく見てみると、松江をモチーフとする要素が散りばめられている。
高校一年生で美大の受験を意識
高校一年生の時点で「美大受験」を意識されていたという事でしたが、私が高校生の頃は将来のビジョンは全くありませんでした。
美大受験という具体性が生まれたキッカケや出来事はありますか。
キッカケというと先にも話した通り、中学の頃、美術の先生に褒められた(美大勧められた気もする)お陰で「そういう才能が在るのか」と感じ、高校から受験のため美術予備校に通い始めた感じですかね。
では、美術予備校で絵に関する基礎的な事を学んだのですね。
美術予備校で基礎を学ぶ
私が無知だからなのか、美術予備校というものが身近にあるものだと思いませんでした。
美大受験用の予備校は全国各地にありますが、地方は絵画教室や絵画研究所などの一般方向けの教室を開いているところが美大進学用のカリキュラムを実施していたりという感じが殆どだと思います。
鳥取は鳥取市に1校だけ美大進学教室がありますね。
では、美術予備校で4年間学ばれてから、美術大学に入学されたのですね。
美術大学について教えてください。今振り返ってみて、美大に行った意義はあったと思いますか。
実に良い質問です。高3の夏には既に推薦で神戸の美大に受かっていました。
しかし何か物足りなさを感じ、美大行くならやっぱ多摩、武蔵美(東京だろ)といきり立ち、推薦を蹴って多摩、武蔵美の受験に突っ走って行きました。
がしかし、偏差値あげるのに苦労&苦手なモチーフの克服やらで時間が全然足りなく、そしてハードルの高い学校であったということも有り受験は失敗。
当時は倍率が高く、筆記テストの振るい落としが厳しかったんじゃないかなと思ったり…。
そうです。浪人になると学校からの開放からか、羽目を外すことが多かった。
受験直前に浪人をやめて「マンガ家になる!」とか、今考えると本当に適当な事を言い放って東京の兄の家に転がりこんだのが1995年の冬でありました。
美大なんかには入学した経験がないんです。
その後、マンガ家の友人を頼って事務所に出入りしたり、ペン画の練習してたりしたけど「俺、多分マンガ屋じゃねーな!」と気付き、デザイン専門学校に入ったというわけです。
なので、美大なんかには入学した経験がないんです。
美大に行かれた前提で話を進めていました(笑)その時「漫画家ではない」と思った理由はありますか?
マンガ家はメッセージを込め、物語を紡いでいくストーリーテラー。私は、抽象物を描きたいだけであって、ストーリーを考えたり、メッセージを伝えたりしたいわけじゃないんですよね。それに気付いたということです。
専門学校を出られてからは、すぐに就職されたのでしょうか。
灯篭のインパクトが強いが、その下での男女に注目。どんな会話をしているのだろうか。
デザイン専門学校から社会人へ
Photoshopで着彩していく作業を主に担当していました
その会社では、どのような職種で勤務されたのですか。
CGデザイナーとして、ゲームに使われる絵の線画にPhotoshopで着彩していく作業を主に担当していました。
絵描き、という作業とは異なりますね。タブチさんとしては、色をつける作業は好きだったのですか?
色塗りが好きかと問われれば、楽しい。色塗り作業程度の事が好きなのかと問われれば、それはおかしな問い。
その時代Photoshopでの色付作業は今ほどメジャーではなかった。そのスキルを磨くために邁進していた。
ゲーム業界でCGデザイナーとしてやっていくための仕事を覚えてたというところかな。
その会社では、どの程度お勤めになられたのでしょう。
思ったより短かったです(笑)この時、所在地は東京、ですよね?
うーむ、美大をやめて、漫画家をやめて、デザインの専門学校に入学した青年が、東京でグラフィックの仕事をする。一見、紆余曲折あるようにも見えますが、どこか必然性も感じますね。
登って転げての繰り返しです。まあ、転職が転がり落ちるわけではないよね。
次は3Dを覚えるために転職
という事は、会社の人間関係が嫌になったわけではなく、目的のスキル習得のために転職をされたのですか。
そうですね。2Dしかスキルを上げられない会社でしたし。それと会社の体制が悪い(超ブラック企業)というところもありました。
実際、1週間の内で家に帰れたのは1~2日。会社に布団が常備でしたので、女性社員だろうがなんだろうが皆泊まってましたね。早くて3日、長くて1年で皆辞めていくような会社でした。
超がつく程のブラック企業、逆に興味深いですね。3Dを習得しに行った会社でもゲーム開発を?
ええ。遊びに行ってはないですよ。そこも1プロジェクト終わらせて出ていきました。
次はFLASH
なるほど。1プロジェクトである程度習得してしまうところが恐ろしいですね。
それで、次は何を習得しに?(笑)
次はFLASHでしたね。PCコンテンツメインの会社に入り、2D、3D、アニメーションを学びながら制作に勤しんでました。そこは5~6年居たかな。
技術的には順当にステップアップしているように思いますね。5~6年おられたという事は、会社としてもホワイトだったのでしょうか。
あの時代ブラックじゃないIT業界ってあったのだろうか…(笑)
そこも残業代もボーナスもない会社だったけど、周りの面子が良かったので長く居られたかな。最後倒産したけど。
コンシュマーゲーム制作会社に入社
待遇も重要だけど、最後は人なのかな。誰と働くか。
ここまで来ると、キャリア的に充実していて、若さもまだありながら経験も積んでいる人材になっていますよね。企業が一番欲しがる人材というか。
となると、その有望な人材が次はどんな会社を選ぶか気になりますが。
次は大して面白くないかな。
会社解散で露頭に迷い帰郷するかどうか考えたけど、もうちょいゲーム制作したかったので大手下請けのアーケード、コンシュマーゲーム制作会社に入社。
2Dデザイナーとして主にインターフェースデザイン、画面上のオブジェクト等のアニメーションを担当してました。
次は画面インターフェースかぁ。私はWeb屋なので、インタラクティブな要素の設計は興味ありますね。
地味だけど、内容自体は結構面白かったのでは?
その前の会社でもインターフェイスデザインは結構作っていた(WEBサービス寄りの仕事が多かったため)ので、そのデザイン力が認められて2Dデザイナーとして雇われてたと思う。
3Dモデル屋やムービー屋、エフェクターとは違い、2D屋は痒いところに手が届くような様々なグラフィック作成技術が要求されます…。
FLASHが使えたお陰でアニメーションのディレクション&制作も出来たので器用貧乏様様。大手のプロデューサーと一緒にする仕事は面白かったけどね。
2Dは3Dと比較しても、空間が限られるため工夫が必要かもしれませんね。
そして、その会社ではどれくらいおられたのですか?(笑)
島根県松江市にUターン
そこまで都会でバリバリ働いていると、名残惜しいというか、いくら地元とはいえ帰るのがをためらわれそうですが。
仕事が生きがいなんて考えたことがないというか、お金は当然欲しいけどさほど稼ぐという事に興味がない。松江は好きなので、前々から帰郷しようと考えていました。
東京のクリエイターが帰郷するわけですから、引く手数多だったでしょう。松江帰郷後のお仕事はどうされたのですか?
当時の島根県松江市でゲーム制作してる会社なんて無いわけだし、元々デザインを勉強していたので広告代理店など数社トライしました。
全滅でしたね。
簡単な作業を効率的にできるディレクターやデザイナーの方が、需要があったのかもしれないですね。確かに今とは違う。
タブチサトシさんの代表作。自然と目にしている方も多いのではないだろうか?
一般的な業務が出来なかった
その中でITリテラシー向上のセミナーを主に展開している会社のデザイン部に無理やり潜り込む用な感じで入ったけど、オペレーター以外の一般的な業務が出来なかった私は、社長から散々パワハラを受けましたね。
ずっとクリエイティビティな業務をしていたから、簡単な事が逆にできなかったのかな。
そうですね。そんな会社には居られなかったですね。ある程度は我慢したけど。
私がタブチさんを知っているからなのか、勿体ない人材を手放したと思いますけどね。
その当時の地方には専門的な技術や知識が必要なかったからなのか、単純に潜り込む会社を間違えたのか。
もしくはその両方か。
一般業務の基礎&デザインを勉強し直した、この2点に於いてはプラスになったし良かったと思っています。
全くお門違いな職場を選んだわけではないので、因果でしょう。インド的に云えば、「弟子が準備出来た時に、師は現れる」かな。
私が去った後、その社長は社長を降ろされたんですけどね。
専門性が強い人材は当時の地方の会社で取り扱いづらかった
専門性が強い人材は、当時の地方の一般的な企業では持て余したのかな。技量を最大限引き出せるような案件そのものが存在しない。
地元でフリーランスへ
ここまできたら、最後まで聞きたいのですが、次はどうされたのですか?
次はもう地元で就職は無いなと…。半ば自分で追い込んだ感はありますが、フリーになることを選択。
ようやく追いつきました(笑)フリーランスになってから営業はどうされたのですか。
何となくお仕事をくれるクライアントがいまして、その方からのお仕事をちまちまこなしている感じです。また、私の絵を気に入ってくれた観光課の方がいまして、私からも提案したりと武者関連のお仕事をいただいています。
講師業もツテで入ってきた感じです。なので、まともに営業をしたことがない…。強いて言えば、ツイッターでちょっかいかけてから仕事貰えるようになったpooolさんくらいですね。
確かにタブチさんが営業をされているイメージはないかも。
昔の話をしていただいて、ありがとうございました。
クリエイターとしての感覚。絵描きの待遇や働き方など
絵描き「タブチ サトシ」の頭の中はどうなっているのか?何が見えているのか。
最高傑作、思い入れの強い作品
ここからは、絵描きとして、クリエイターとしてのタブチさんにもっと迫っていきたいと思います。
タブチさんのこれまでの作品で、ご自身で最高傑作だと思われる作品を教えてください。
そんな作品はないですね。それ以上のものは作れないという事になるし、作ったら終わりだと考えます。私ではない人がそう思うのは勝手ですが。
なるほど。タブチさんならそう答えるのではないかと思っていました。
では聞き方を変えてみたいと思います。傑作なのかは別として、思い入れの強い作品を教えてください。
2015年に描いた松江開府の祖、堀尾吉晴公采配を振るう図かな。堀尾公を詳しく知ることになった作品であり、松江武者応援隊として活動するきっかけにもなった。
武者についてですが、甲冑などディティールに凝った絵が求められると思います。それ以前に武者や武士などを描いたご経験はあったのでしょうか。
武者行列イラストを描くにあたりプレゼン材料になったイラスト群はあります。ご当地武将カードゲームというものを県内の会社からの依頼で作成しました。納品してから4年くらい経ってますが未だにリリースされてません。
そのカードゲームは日の目を見ずに終わってしまうのでしょうか?報酬が支払われていれば問題ないとは思いますが。
報酬は貰っています。しかしイラストは多くの人に見てもらわないと意味の無いものなので、このまま日の目を見ないとなると悲しすぎる…。
松江武者関連に繋がったので良い事ではありましたけどね。
うーん、そういえば私もタブチさんのプロジェクトでリリースできていないのがあったのを思い出しました(笑)
リリースできるように、頑張ります(笑)
タブチさんが絵を描く時に、心がけている事、大切にされている事は何ですか?
心がけているのは、単純に「この絵好きだなー」と思われることですね。人に見られる前提で描いているので、飲食店の方が「美味しいと言っていただけるのが何よりです」みたいな感覚でしょうか。
確かに、「上手いけど受け付けない絵柄」みたいなものはある。少し下手だけど、好きな絵柄というものもあります。いや、上手いに越した事はないのですが。
デフォルメされたキャラクターも、タブチ氏にとっては得意なジャンルである。
絵描き・イラストレーター・絵師のギャランティの安さについて
近年はイラストレーターやアニメーターのギャラの安さがネットで問題になっていますが、タブチさんのお考えをお聞かせください。
安価なのは、そもそも日本人が「抽象物に対してあまり明るくない」という事があるかと思います。クライアントの中で「好きな事でお金貰っているんだから安くても良いだろ」と考えている人は少なからず居る。
そういう方が下げている現状もあるし、仲介で入って利権を振るってお金だけ持っていく業者が居るから制作者側にまわらないというケースも少なくない。
確かに、そういうクライアントは存在しますね。Web業界も単価がどんどん下がっていますから。
一方、趣味で時間つぶしで名声ほしさに、と絵を描く人は増えてきている。SNSの台頭と、ドローイングアプリが安価で出回るようになってから低年齢層でも気軽に絵を描いて発表できる時代になってます。
上手い絵描きは日本だけでも数多居ます。タダ同然で絵を提供したり、そういう人をSNSで捕まえては本来の相場より安く仕事をさせる業者が存在したり。
要は使う側の問題である。
クラウドソーシングの普及もありますし、SNSで簡単に絵師さんを探せますね。
イラストは頼まれ仕事だから、その描く労力+スキルに見合った報酬を支払うべき。大工や医者となんら変わりはない。ただ生活必需ではないのでその価値が薄いのは仕方がないのだけれども。
クライアントならまだマシだと私は考えます。中には経営者の中にもそういう人間は存在している。だから制作会社はブラック企業になりやすい。「好きな仕事ができているから給料が安くてもいいだろ」と。
ネットでも学べてソフトやツールも進化して、絵が描ける人間が毎年何千人もこの世に生み出され、使い捨てしやすい環境でもありますね。
この場合、「報酬を支払う人間」という意味では、クライアントも経営者も同じですが。
使い捨てとは云え、実際「仕事」が出来る人は一握りだと思うので安易な絵描きは淘汰される…。それはそれで悲しい話。
サラリーマンとしての、クリエイターの資質は「良い物を作れる」だけではないと感じています。
つまり、上手いも下手も資質の一つなのだけれど、どれだけ劣悪の環境に耐えれるのかどうか。その中で作り続けれるのかどうか。
まあ何のために描くかだろうね。目的なのか手段なのか。
制作物に対する付加価値をつけていく必要がありますね。それは絵もWebも同じなのかもしれません。
どんな被写体であったとしても格好良く描きたい
クライアントワークなのか自主製作なのかどうかは別として、どんな「絵」を描くのが好きですか。
格好の良い絵ですね。どんな被写体であったとしても格好良く描きたい。
それは、「人物」「風景」「アニメ絵」などにはこだわらず、とにかく格好の良い絵、という事ですか?
旧カプコンデザイナー陣営から影響を受けました
影響を受けた画家・イラストレーターはいますか。いたら教えてください。
旧カプコンデザイナー陣営から影響を受けるキッカケや出来事があれば教えてください。
そりゃストⅡだね。カプコンの格ゲーシリーズと言うべきか。衝撃を受けました。
ストⅡはすごい流行りましたね。負けた時のボコボコになった顔は、今でもネタになる事も。
なんでしょう、あの格ゲー特有の立ち絵の魅力は。あの立ち絵を見ると、ワクワクします。
現行のVも今でもやってますし、続編がでれば必ずプレイするでしょう。
スランプはあったの?
ジブリのアニメ「魔女の宅急便」にて、キキの友達のウルスラという絵描きが、魔法の力が使えなくなった(弱まった)キキに対して、「そういう時は描いて描いて描きまくる、それでも駄目だったら、何もしない」といったような旨のアドバイスをしています。
タブチさんは、このアドバイスをどう思いますか。また、タブチさんはスランプに陥った事はありますか。
ずっと作品づくりをしてきたわけではないのでスランプというタイミングはなかったかも。一旦描いて調子悪かったら描かない。好きな事して時間潰してからまた描いてみる。それでも描けなかったら、日を空けてみます。ウルスラが言った事と同じですね。
山陰で注目している絵描きっている?
山陰で注目している絵描きさんがいたら教えてください。タブチさんが誰を認めているのか、山陰の絵描きさんは気になっていると思うのですが。
山陰で活躍している絵描き?山陰出身で活躍している絵描き?
現在山陰で活躍されている方。うん、活躍はされていなくても(笑)、「活動」されている方で、誰かおられますか?
特にはいないですが、技術的にアート的に優れていると感じてる方はAkutoさんかな。現在共に四人展に出展してます。
絵を教える先生として
タブチサトシのように「絵描きになりたい」「絵で食っていきたい」と思っている若者は多いはず。講師としてのタブチサトシはどんな人物なのだろうか。
教える時に心がけている事
絵を描く時に心がけている事をお聞きしましたが、タブチさんといえば絵を教える先生としても知られています。
絵を教える際に心がけている事、気をつけている事があれば教えてください。
四の五の言わず「描いてもらう」事。描く事によって問題点を見つける事が一番大事なんです。
では、まずは生徒に描かせて、問題点の抽出の部分をサポートしてあげるイメージでしょうか?
最初に描き方の要点を簡単に説明してから描かせるパターンが多いです。後は描かせて問題抽出して次回の作品に活かせるよう赤ペン等で説明する。
イラストに関する知識はテキストにて解説しています。スキルに関してはある程度イラストが描ける方にだけ塗り方等を教えています。
経験者、未経験者とも指導しています
基本的に、生徒として習いに来る方は趣味である程度、経験がある方が多いですか。全然描いた経験がないけど、「とりあえず習いに来た」なんて方は少ないのでしょうか。
個人スクールではなく、学校規模だと後者もいらっしゃるかもしれませんね。
経験者、未経験者とも指導しています。ただ学校によって来る生徒、教える内容が違います。
上達する人、しない人は、すぐ判断できるものなのでしょうか。
言った事をちゃんと実践してくれる方、懸命に取り組む方は短期間でも上達してますね。
でもそれは直ぐという事ではありません。絵は直ぐに上手くなるようなものではないので、ある程度の日数は必要ですし、個人差があるので時間的な判断基準は設けられませんね。
どんな場所で教えているのか
現在は個人スクールとして絵を教えておられると思いますが、タブチさんの所に通うのでしょうか。もしくは、家庭教師的に出張も対応されていますか。
頻繁に依頼が在るわけではないのですが、生徒さんに合わせてやっています。私の自宅の場合は、ピアノ教室を母と妹が開いているのでその部屋を使ってやっています。
出張の場合で、家を断られる場合はファミレスでやってたりします。
自由度がありますね。興味がある方が多いと思いますので、タブチさんのスクールを受講したい場合、必要なものがあれば教えてください。例えば、必要なPCのスペックやソフトウェアなど。
基本的なデッサンやクロッキーだけなら鉛筆と紙だけで。
デジタルという事でしたら、下記の設備・スペックがあるとスムーズです。
デジタル絵を習いたい場合に、あった方が良い物
クリップスタジオのみ
・CPU:Core i3以上
・メモリ:8G以上
・GPU:1G以上
・SSD:128以上
Photoshop・Illustratorのみ
・CPU:Core i5以上
・メモリ:16G以上
・GPU:1G以上
・SSD:256以上
・CPU
クリップスタジオとPhotoshopに少しグレードの開きがあります。
Photoshopはクリップスタジオより機能や内部計算が多いのでグレードは高めがいい。
・メモリ
画像処理なので、基本的に物理メモリを多く積んでおけば良いです。
特に大きいサイズの絵を描く場合は必須です。
できればDDR4を選ぶと良いです。
・GPU(グラフィックボード)
クリップスタジオ、PhotoshopとOpenGL機能を使う事により、アプリの機能を最大限に発揮できます。そのためにGPUがある程度必要。
オンボードよりはグラフィックボードを積んだほうが良い。
・SSD
ストレージはアプリを円滑に動かせればいいので、容量はそんなに要りません。
作った作品はHDDか外部に保存。
板タブレットはモニターのサイズに合わせたサイズの方が描きやすいと言われています。上位モデル、下位モデルとありますが、描き味と筆圧の具合がかなり違うので予算とにらめっこしながら求めると良いでしょう。
あまりにもノスタルジックな世界に、引き込まれてしまいそうだ。
絵を描く事で自分の中の何が解決されるのかを考える
ありがとうございました。
本当にやる気があるのは何人くらいでしょう。例えば、専門学校であれば時間とお金を持て余して、特にやる気がないのに入学するケースも珍しくないでしょう。
私も専門学生をしていた事がありますが、2年間を棒に振ってしまった経験があります(笑)
モラトリアムで来てる受講生はやっぱり懸命さがない。やる気はあっても厳しく言ったり、葉っぱかけたりすると簡単に諦めたり、ちょっと勉強したら描けると思って来る思慮の浅いが居たり。
まずは、絵を描く事で自分の中の何が解決されるのかを考えるべきですね。
イラストレーターを目指す若者へメッセージ
そうなのですね。
これからイラストレーターや絵描き、クリエイターを目指す若者に、メッセージをお願いします。
掴めるかどうかも分からない夢へ向かって自分なりに奔走
アーカイブ出来る場所が出来て良かったのか?と疑問
いよいよ、今回のインタビューも終わりを迎えることができそうです。
今まで他の方のインタビューでは聞いてこなかったのですが、インタビューを振り返ってみていかがでしたか?(笑)
恥ずかしい昔話をあまり他人に話す事はなかったので、アーカイブ出来る場所が出来て良かったのか?と疑問に感じていたり。
あと、案外長かった。
甲冑や松江城のディティールもさる事ながら、桜の花びらの描き方が秀逸である。
最後に
責任を持って、当サイトにアーカイブさせていただきます!
最後にこのページを見ている読者の方にメッセージをお願いします。
お楽しみいただけましたでしょうか。
特に取り留めのない人生を歩んだ先に、掴めるかどうかも分からない夢へ向かって自分なりに奔走しています。見える時がございましたら声などおかけください。
ありがとうございました。
今回の鳥取×働く人は、絵描きのタブチサトシさんでした!
ありがとうございました。
タブチ サトシ
1975年10月12日生まれ
絵描き,イラストレーター
島根県松江市生まれ。16歳の頃から、美術予備校に通い基礎を学ぶ。高等学校卒業後はデザイン専門学校へ。就職後は学生時代に学んだ技術を活かしながら「3D」「FLASH」「インターフェース設計」など、社会人になってからも数多くの技術を習得する。
30代半ばで松江市にUターン。Uターン後はフリーランスのクリエイターとして働きながら、学校や個人スクールで絵を教える。
Webサイト
http://gahonworks.wixsite.com/atelier-g
インタビューを終えて
絵を描いてほしい方、習いたい方はタブチサトシさんにご依頼を!
タブチサトシさん、ありがとうございました!
The following two tabs change content below.
山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。
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