
広告代理店の取締役社長
鳥取県米子市の広告代理店、有限会社あっぷるはうすの取締役社長の野坂裕一さんのインタビュー。広告代理店と言っても、自社で制作や開発まで行ってしまうエキスパート集団だ。その社員を束ねる野坂さんは、どのような人物なのか。
鳥取ペディアの鳥取×働く人vol.12は、有限会社あっぷるはうす取締役社長の野坂裕一さんです。よろしくお願いいたします!
お話しを差し上げたところ「出たい出たい、出させて!」と言っていただいて(笑)
ありがとうございます!
普段はインタビュー用の質問を用意してから臨むのですが、今回はフリースタイルで臨もうと何も考えていません(笑)

米子市の広告代理店 有限会社あっぷるはうすについて
完全にフリースタイルで挑んだインタビュー。まずは、あっぷるはうすについて紹介してもらった。
昭和51年に設立した広告代理店
今更あっぷるはうすさんの紹介をする必要はないと思うのですが(笑)
一応、知らない読者の方のためにあっぷるはうすさんの紹介をしていただけますか。
有限会社あっぷるはうすは、昭和51年に設立したクリエイティブプロダクションから広告代理店になった会社です。
デザインを中心に販売促進計画、マーケティング計画の立案・コンサルティングや、地域振興イベント・販売促進イベントの企画・立案及びプロデュースを行っています。
クライアントのビジネスがより良い方向に進んでいくために、トータルでサポートされています。
他にもCI開発・事業開発の立案やあらゆるデザイン・CMの企画制作・テレビ広告・ラジオ広告・新聞広告・印刷媒体・ホームページの企画・制作等も行っています。
自社で制作・開発も行うエキスパート集団
あっぷるはうすさんは広告代理店ですが、自社に優秀なクリエイターさん達もいる。洗練された制作物にいつも驚かされています。
企画・提案を担当するプランニングプロと、実際のデザインを担当するプロが融合した、トータルプロです。
野坂さんの描いたイラストについて
「炉端かば」のイラストや「コンニャク坊や」を世に生み出す
有限会社あっぷるはうすの取締役社長である野坂さんですが、ご自身も数々のイラストを描いておられるクリエイターさんです。
このパネルを見てほしいです。これは僕が描いた絵の中で、世の中に出て活躍しているイラスト達です。
居酒屋炉端かばのイラストや、日本に定着する播磨屋コンニャクのコンニャク坊や、大江組おおえじいさんの自然薯のイラスト、プロゴルファーの試合球指定ボールに似顔イラストを描いたり、YSPグループのイラストも描いています。

炉端かばのイラスト、はりまやのコンニャク坊や、おおえ爺さんなど、数多くのキャラクターを生み出している。
明るく楽しい雰囲気
いろいろなタッチの絵がありますね。どれも明るく楽しい雰囲気なのが印象的です。
「野坂さんこんな感じの描いて~」って言われて、僕の好きなように描いています。条件は、手直しさせないこと(笑)
全国、そして世界へ
野坂さんが考案して、それが進化して日本を飛び出したキャラクターもいますよね。
炉端かばのキャラクターなんかはそうだよね。いろいろなバージョンが出てて(笑)楽しくなるよ。
丸京製菓のどら焼き大使代表のキャラクターも、最初は髭と眼鏡つけて僕みたいにしたんだけど、相談の後取ってしまいました(笑)
野坂裕一さんの人物像
人との「ご縁」を大切に
野坂さんには人を惹きつける魅力があります。
ズバリ、秘訣を教えてください(笑)
人はそこらにたくさんいるんだよ。だけど縁に気付く人と気付かない人がいるね。
一人でたくさんの人を集めるのは大変だけど、大好きなものを持っている人が、各々沢山の人達に声かけたら大きな団体になる。人のご縁はそこから生まれるんじゃないかな。
便利屋でありたいと思う
野坂さん自身が広告塔というか、いわば野坂さんが「テレビやラジオそのもの」ですよね(笑)
いやいや、そんなことないけどね。人はいつも自分に出来ないことしか頼んでこないよ。まあ僕は便利屋さんでありたい、とは思っていますね。
自分ではできないけど、こんなことできたらいいなって思うから「野坂さん何とかして~」ということは多いかもしれませんね(笑)
本当は私は何もできないけどね。
「人」としか付き合わない
僕は人としか付き合わないんだよね。ほら、これ見て、僕の宝物。
スーツケースに入った大量の名刺を見せてくれる
以前は多い時で1年間で新しく出会った人が約1200人。1日に3人以上の人に新しく会っている計算になるね。
それで名刺いただいた人には、こういうハガキを送るんだよ。「一期一会一瞬一生ですね」ってね。
その一瞬一生に気が付かない人も多いんだよね。もったいない。僕の場合ほとんど初対面はないんだけど。
知らない人にまずは「おはようございます!」と言ってみる。これが挨拶。
そしたら最初は「あれ?」ってなるけど、それを続けていくとだんだん相手も挨拶をしてくれるようになる。そうやって縁ができていく。お互いに名前は知らないけどね。
だからさ、パーティで知り合い同士でかたまっていても、新しい鮮度と刺激が…。知らない人同士で挨拶することに常に新しい縁があるだろうと思っています。
私は、ああいう場だと仲間同士でかたまっちゃいますね(笑)
「アポ」はとらない
僕は基本的に、縁のある人にしか会えないと思っている。アポはほとんど取らないんだ(笑)訪ねて行って縁ある人と顔を見てお話しします。
うん、確かにアポをいただかない時がありますね(笑)
「メールで良かったのに!」なんて言われるけどね、「うん、だからメール持ってきました」って紙を渡しに行ったり(笑)人との縁を大切にしたいと思っています。
ツールが発達してしまって、現代人のコミュニケーションは淡泊になっているのかもしれないです。
嫌いな人は一人もいないです。相手がもし僕のことを勘違いで悪く言っていても、「ふーん、そうなんだ」と思うだけです。特に気にしたことはありません。
迷惑をかけながら生きていますからね。きっと僕がその人に何か迷惑をかけてしまったのでしょう。人に迷惑をかけずに生きていくことは絶対にないよね。

コダマサイエンス、あっぱれ本通りLINEスタンプなど。
野坂裕一の生い立ちに迫る
こたつの上で点滴をされてこの世に生を受ける
よろしければ、野坂さんの生い立ちについて聞かせてもらえますか。
どんな風に育ってきたのか、どんな人生を歩まれてきたのか気になる方も多いと思います。
私には、先に生まれた姉が二人いたのですが、生後間もなく早産で亡くなったもので。
だから同じく早産の私も死んでしまうかもしれないと見守られながら、こたつの上で数日間も点滴をされてこの世に生を受けました。何とかこうして生き延びていますね。ありがたい。
幼稚園の頃に絵を褒められる
幼稚園の頃に絵が上手とおだてられて、親は「もしかしたら、うちの子の絵が一番上手!」と言ってました。自分で言うのもなんだけどね。「私は絵がうまいのだ!」と大きな勘違いしながら育ちました。
「フランス」と「パリ」は別の国!?
小学校入学の初日には「大きくなったら絵描きになってパリに行く!」なんて言って。先生には「じゃあフランスに行くのね」と聞かれると「フランスには行かない、パリに行くんだ!」なんて非常識なことを言ってた(笑)
父親は小説を書いていて、ラジオ番組やNHKテレビドラマの脚本になったりしたこともあって、中央で認められて近隣近所に知れ渡っている文学賞小説家でした。
だから私は文学では勝てない、絵描きなら勝てるんじゃないかと思い始めたのも子供の頃でした。
芸術とは女の裸だ!
初めての東京は目白の美術学園夏期講習。高校2年生の夏休みは初日から最終日まで朝昼晩と若く美しいスッポンポンの女性の裸を描き続けていました。
そこで「芸術とは女の裸だ!」と思い込んだ純な高校生でした。
画廊を回ってお菓子を食べながらお腹を満たす生活
昔は銀座の美術画廊がたくさんあってね、そこでお茶とお菓子をもらって「この絵良いですねー」なんて言いながら次の画廊、また次の画廊と回って、そこでもまたお菓子とお茶をもらって「あー腹いっぱい」なんて思いながら帰る(笑)
そういう画廊巡りをほぼ毎週、繰り返していました。
東京の大学に進学し、そこでも油絵はほぼ女性の裸を描き続けました。
女性を描くために、女性の骨格学、解剖学、心理学なんかも一通り勉強して。女性が嬉しい時、怒った時、どんな感情の時にどういう表情や動きになるか、というものを学びました。
絵を飛ばして遠くまで飛んだ人が高評価!?
その後神奈川県厚木市の中学校で美術の講師もしました。成績をつけなきゃいけないんだけどさ、絵に点数なんてないのよ。中々つけられない。
同点なら出された絵をぽーんと飛ばして、絵の生徒のヤル気も考えて、一番遠くまで飛んだ人が評価5ね~、ってやってた(笑)怒られちゃうね(笑)
野坂さんが講師だと、楽しい授業をしてくれそうですね。
まぁ、色々な経緯があって東京に未練を残しつつ鳥取に帰省。縁あって現在の会社あっぷるはうすに入社して、今に至ります。
様々な仕事に携わる
昔はデザインというものにお金を払う感覚がなかった
お仕事の話に戻るのですが、イラストだけではなく本当に様々なモノが、あっぷるはうすさんから、野坂さんの頭脳と手から生み出されたと思います。
数多くの業種業界を広く浅く学びましたね。
昔はデザインというものにお金を払う感覚が今より乏しかった。モデルからコピー、デザインも全部自ら制作していました。
昔の広告業界は「分業」という仕組みがありませんでしたね。
そうしていく中で、地元地域のまちづくりに携わることを考え始めたんですね。
鳥取県西部住まいづくり協会の立ち上げに協力し、鳥取県住宅供給公社のご縁のある住宅メーカー各社と不動産会社他関係者と共に今まで多くの総合住宅展示会や住宅フェアを行いました。
安倍彦名団地の時は、病院の先生がたくさん住んでいたから、「新貴族のまち」なんて名付けたら怒られましたよ(笑)庶民の味方のイベントだってね。
新しい"まちづくり"
新しいまちづくりで、街並みから設計することを提案しながら、せっかくなら「あの街に住んでみたい」と思えるような、まちづくりをしました。
住んでみたいと思える街を作ってみて、実際にそこに人が住まう。なんだか素敵ですね。
もう最高!何とも言えない快感があるね。街づくり・街並みに共感していただいたという事ですから。住宅イベント・広告展開した甲斐がありました。
住宅フェアを主導、1社当たりの負担を減らし集客は増加
広告代理店として冥利に尽きる、といった感じでしょうか。
個別の住宅展示会だと、たくさんの経費をかけて土日で数十組の来場。
ならば、皆で出展してもらい楽しめる住宅フェアにした方が、1社あたりの負担も減らせるし沢山のマイホームの夢を叶えたい人達に来てもらえます。
色々な企業とお付き合いのある広告代理店が中心となって企画しているからこそ、できることですね。
うちだけでは何もできません。
住宅メーカー・不動産関係者の皆様に協力してもらって実現したことですね。
吉本芸人を集めたことも
吉本の芸人さんをゲストに呼んで企画をされていたこともありましたよね。
吉本の芸人さんをバス1台分、乗れるだけ乗って来てもらったこともあるよ。
無名の芸人さんはギャラが安くても来てくれるし、バス1台分の芸人って聞いたら、なんだろう、ちょっと行ってみるかって気になるじゃない。
たくさんの人に来てもらって、楽しませたいんですよ。
それだけの数の吉本の芸人さんが来る、ということも中々ないかもしれませんね。
鳥取にも住みます芸人っているじゃないですか。
それを鳥取だけじゃなく、島根や広島の芸人も集めてステージしてもらったりね。多くの人に楽しんでもらえたら、と思います。

米子東ロータリークラブでは会員のイラストを制作
丸京製菓のどら焼きについて
どら焼きを並べたらニューヨークまで届く
丸京製菓さんは、今では1日40万個、年間1憶2,000万個のどら焼きを製造しています。これはどら焼きをずらーっと並べたら、米子からニューヨークまで届くほどの数なんだよ。
単一工場でこれだけの数のどら焼きを製造できるところは他にないよ。
日本一、つまり世界一のどら焼きが米子にあるということは誇れることだ、PRしていこう!ということで、鷲見社長とのご縁もあり喜んで支援・協力活動しています。
4月4日は「どら焼きの日」
炉端かばで飲みながら、3月3日は女の子の日、5月5日は男の子の日だね~、じゃあ4月4日をどら焼きの日にしようか~、4と4が合わさって「幸せ」なんていいじゃないですか~どら焼きみたいだね~なんて話していましたね。
日本記念日協会に申請して4月4日がどら焼きの日に決まったんだよ。丸京製菓だけじゃないよ、日本全国4月4日はどら焼きの日。全て丸京製菓さんのおかげです。
毎年どら焼きの日には、米子駅や施設でどら焼きを無料で配る活動をしています。どら焼きを食べてみんなのしあわせの和を広げていきたいと思っていますよ。
どら焼き大使について
どら焼きのPRのひとつに、どら焼き大使がいます。
米子市の関係者だったり企業の社長だったり、米子自慢と夢を語れる著名人を30名ほど決めて、認定させていただきました。
この選定条件は僕の友達であること(笑)なんてね(笑)
3秒以内に返事をください
二つ目は、返事を3秒以内でくれた人。考えてまた今度返事を~なんて言った人には「じゃあいいです!」って(笑)
K-1 の武尊君にも、どら焼き大使になってもらいました。K-1の選手しかでてないような専門雑誌に、僕載っちゃってるんだよ(笑)

野坂さんはK-1の武尊さんとも親しい。
「どら焼き大使」を日本海新聞でPR
このどら焼きが好きで、この鳥取県西部エリアで活躍・活動されている皆様を日本海新聞に23回連続で月極広告を出したんですよ。一回一回どら焼き大使の方の写真、キャチコピーも添えて。このコピーも僕が考えさせてもらいました。
どら焼きの宣伝だけではなく、大使の方の宣伝にもなりますね。
多くの回数重ねて色々な人を巻き込むことで、多くの方に知ってもらうことに繋がったと思います。
「仕事」への向き合い方
会って3秒でその人を見ます
野坂さんの下で働いてみたい人は多いと思います!
あっぷるはうすで働きたいという人を、どのように判断して採用を決めますか。
会って3秒でその人の「気」を見ます。まずは「元気」がいいか。
事前に根回しはしておいて、ある程度の実績や能力など、知っている事も多いです。
「感じたら動け」
でも、能力は育てれば済む話だし。もちろん今までの制作実績を見て、いいものを持ってる、なにかある人も良いよね。ほとんど直観力。「感じたら動け」だよ。
中には入社応募していなかったのに、何か光るものを感じたら、直接声をかけることもあるね。
目に見える「スキル」や「実績」だけでは、人材は計れないかもしれないですね。
仕事は、面白おかしく楽しく愉快に。そこに繊細に真剣に、を加えた人がプロ。だからプロはプロと仕事をする。そうして一つのプロジェクトになっていくと思う。
いつも子供のような気持ちでいることが大事かも
いつも子供のような気持ちでいることが大事かもね。常識は誰かが決めたものでしかないのだから。
例えば、今の季節だと夜空には夏の星座が見えるでしょ。でも昼にだって星はあるんだよ、見えていないだけ。
そういう見えないもの、形のないものにこだわるデザイン。見たこともない新しい物の方が楽しいじゃん。
夢を持ち続けてほしい
「楽しい」というワードが出てきましたが、「楽しく仕事をしたい」方へ、何かアドバイスをお願いします。
とにかく夢を持ち続ければいいと思う。もしかしたら「夢」なんていう大げさなものでなくても良いかもしれないし。ほんの小さな目標のような「夢」でもいいから。
夢がない、やる気が出ない、といった人はどうでしょう?
とにかくじーーっとしてたらいいよ。何かやりたくなるから。じーーーっとしてたら、こんなことしていいのかなって自問自答すると、何か動きたくなるよ。
僕は叶わない夢はないと思っているんだ。それを求めて行動して継続すれば、いつかきっと夢は叶います。夢が叶うまで諦めるな!
例えばだけど、poool君が一日の中で「さあ頑張ろう!」って思うのはいつ?

野坂さんのオフィスは「宝の山」だ。
今日も1日頑張ろう!頑張って寝るぞ~頑張るぞ~
仕事を始める前…朝起きた時とかシャワー浴びた時とか(笑)
僕はね、0時超えたら「さあ今日も1日頑張ろう!頑張って寝るぞ、頑張るぞ!」って気合を入れて寝るんだ。0時超えたら日付け変わってるでしょ。そしたら24時間頑張れるよ。
鳥取でもやれる、という証明
夢や目標の話に関連しまして、「地方でも、鳥取県でもやりたい仕事ができるかな」と不安に感じている若者も多いと思いますが、野坂さんの考えをお聞かせください。
鳥取で働くのが不安?じゃあ帰ってこなくていいよ、なんて(笑)
でもね、僕は鳥取でもやれるって証明しているから、おいでって思うね。
だってさ、この前も東京近郊の人と東京集合で会うことになったんだけど、米子からなら飛行機で1時間ぐらいでしょ?
飛行機を使えばすぐですよね。私は怖くて飛行機に乗れないですけど(笑)
(笑)
東京近郊から東京まで、2時間くらいかかる所もある。確かに都会への距離はあっても、時間アクセスを有効に考えればいいだけの話。
だから、関東エリアの人にね「あなた田舎から出てきた私より遅いね」って言ったんだよ。冗談でだけど(笑)
鳥取は都心に比べて平均所得額は低いかもしれないけど、その分都会は生活費がかかるし誘惑だって多い。今の時代、鳥取にいながらどんな仕事でもできると思うよ。
鳥取の事をより知る事
米子には、約66,000世帯がある。で、住んでいない空いている賃貸が約5,700、住んでいない一戸建てが約4,700もある。つまり誰も生活していない空き部屋がデータ上に一万戸以上ある。
知ってた?そういう空き家があるってことを知っていれば、自分が住んでもいいし、観光客や旅行客を安く泊まってもらったりっていう使い方ができるよね、新しいビジネスになるかもしれないね。
そもそも、そういうデータを知らないから外に出てしまうと思いますね。確かに東京に出るっていう経験は大事かもしれないけど、だったら一度都会に勤めてから、地元に就職したらいい。
鳥取にも全国に進出している企業はたくさんあるから。そうしたら、税が鳥取に入るでしょ、そしたら市が潤う。
僕はそういう、地元企業を大きくしていけるんだってことを伝える人間になりたいですね。
野坂さんの考える「鳥取県の魅力」
米子市は「暮らしやすさ日本一」
地方と都市部のお話をしていただきましたが、野坂さんの考える鳥取県の魅力、誇れるところを教えてください。
データは嘘つかないからね、まずは米子市は「暮らしやすさ日本一」になったことがあります。
そして、水道水が美味しいと言われている。大山に溜まった百年も前の水がじわっと下りてきて、塩素を入れても日本一の美味しい水だよ。
こっちの人はこれに慣れてしまっていて、どれだけ美味しいものかっていうことに気が付いていないんだよね。
本当の新鮮で美味しい白イカは、透き通っていて透明
確かに、これが普通だと思っています。たまに都市部のお水を飲むと違いに驚きますね。
あと、東京で食べる白イカって白いのよ。白イカだから白いのが当然でしょ、って思うでしょ。
本当の新鮮で美味しい山陰の白イカは、透き通っている。
あとは米子城跡から30分圏内を見渡すと大山もあり、海もあり、スキーもゴルフもできるとこ。都会ではなかなかないよ。
そういう幸せに気が付かず暮らしているんだよ。僕、山陰は大好き(笑)
「良いところがいっぱいあるのに謙虚」がまさに良いところ
「幸せに気付かない」というのは、謙虚さを表しているのかもしれないですね。鈍感、というよりも謙虚。
現世を中津国。真ん中の津を取って中国地方。中国地方には山陰、山陽ってあるけど、ソフト(陰)とハード(陽)でね。山陽はモノで栄える地方。
それに対して山陰は心で栄える地方。心豊かに、モノにこだわらない人が沢山いるところです。
バラの花を美しいと思うとするでしょ。それはバラが美しいんではなくて、バラを美しいと思うあなたの心が美しいってことなんだよ。これは芸術の話にも繋がっていくんだけどね。
そういった「美しい心」が認められ愛され、山陰をブランド化してくれた企業やお店も増えましたよね。
イラストの時の話でもさせてもらった、炉端かばさんもそうですよね。それまで九州フェアとか北海道フェアとかはやってたけど、山陰フェアに初めて取り組んでね。今では山陰に多くの店舗、東京にも沢山出店されています。アメリカにもあるよ。
プライベートの話
facebookの「つぶやき」
野坂さんと友人で繋がっている人は知っていると思うのだけれど、毎日facebookで「つぶやき」を更新されていますよね。心に響く言葉が多いです。
7年間毎日書いていますね。毎日。
最初は「facebookという面白いものがあるな~」と見てたら、あんまり見てるもんだから妻に「何見てるの、やめといた方がいいいんじゃない」と言われまして…。
奥さんの目を盗んでコッソリ投稿
「分かったよ、週に1回にするよ」と言ったのが7年前(笑)それからは妻がお風呂に行ってる間、トイレに行ってる間に書いています(笑)
1、2分でさらっとね。こう生きたら楽しいよ、というのを発信させてもらっています。
そんな大層な事は言っていません(笑)
facebookに使用されている写真の野坂さんの服について聞いてもいいですか。宇宙服のようにも見えるのですが(笑)
NASAの宇宙服らしいのだけれど、「着たい!着たい!着させて!」ってお願いしたら、着させてくれたよ。
NASAの宇宙服を着用!?
いやいや、誰でも着れたんじゃないかな?「着させて」って頼む人がいないだけで(笑)

NASAの宇宙服を着る野坂さん
いつでも元気な野坂さん
野坂さんって、いつ会っても元気ですが、睡眠時間はどれくらいなのですか?
昔は2時間半くらいだったけど、今は4時間半かな。寝てるのもったいないなと思って。
渡り鳥って長期間飛んでなきゃいけないから、右脳と左脳の半分ずつ寝てるって聞いたことがあったんですよ。
それで昼間に片目ずつ寝ればいいんじゃないかと思ってやってみたけど、だめだった(笑)
最後に
読者の方へメッセージ
たくさんの楽しいお話ありがとうございました。
最後に、この記事を読んでいる読者の方にメッセージをお願いします。
友・愛・恋ならまずは友を大切にする。友は情があれば「友情」、集まれば「友達」になる。愛は情があれば「愛情」にはなが「愛達」はない。恋には「恋情」も「恋達」もない。何も付かないんですよね。友と愛する人を大切に!
あとね、エジソンも松下幸之助も、失敗した感覚がないんだ。これは何度も試し続けたから。なるほど!「こう」したら「こう」なった!次は「こう」してみよう!の繰り返しだったんです。失敗は停止すること。
心配してもしょうがいないことは考えないようにすること。30分、40分考えても結論が出ないことは、持っててもしょうがないことなんだよ。悩みは、なんで悩んでいたのか思い出せないこと!
僕は自分のスケジュール手帳のページは終わったら破いていきます。
今、一生懸命考えて、今、最高に幸せになれば、明日はもっと幸せになれる。僕が決めてるのは、1日1回は腹がよじれるほど笑うって事。
偉い人間でもないですし、大した事も言っていません。ただ、少しでもこうして僕の話を聞いてくれて嬉しいです。ありがとうございました。
ありがとうございました。鳥取×働く人vol.12は有限会社あっぷるはうす取締役社長の野坂裕一さんでした!
またインタビューしてね
ありがとうございました。
楽しかったから、またインタビューしてね(笑)
野坂 裕一(のさか ゆういち)
有限会社あっぷるはうす取締役社長/広告プロデュース/イラストレーター
コタツの上で点滴をされながら生を受ける。先に生まれた二人の姉も生後間もなく亡くなったので、長くは持たないと思われていた。
幼稚園児の頃から絵を描くのが好きだった。周囲に「絵が上手い」を褒められて、「絵の才能がある」と自分でも思うようになる。
高校では東京へ進学。「芸術とは女性の裸!」と思い、目を真ん丸にしながら女性の裸を描く。
お金がなかった当時は銀座の画廊を回りながら「いい絵ですね」なんて言いながら、お菓子を食べ歩く。お腹はそれで十分に満たされた。
神奈川県厚木市の中学校では美術の講師として勤務。
「絵に点数はつけられない」と生徒に絵を飛ばせていた。遠くまで飛んだ人が高評価。
東京に未練を残しつつも鳥取に帰省。縁あって、「あっぷるはうす」に入社する。
入社してからは「企業」ではなく「人」と付き合うようし、数多くのプロジェクトを担当、その独特の感性で結果を出していく。
有限会社あっぷるはうすの取締役社長に就任。
取締役社長に就任してからも、社長業だけではなくイラストを制作。
今日も人々との「ご縁」を大切にしながら、「顔晴って」いる。
Webサイト
http://www.apple-house.net/
facebook
https://www.facebook.com/yuuichi.nosaka?lst=100002480829750%3A100002567898056%3A1532666739
インタビューを終えて
背伸びしても一生かかっても、大き過ぎて届かない人ですね。
野坂さんとは第2弾のインタビューをさせていただきたいです!
野坂裕一さん、ありがとうございました!
The following two tabs change content below.
山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。
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