島根県奥出雲町より有限会社トムの八澤豊幸さんの登場
コンセプトムービー
食べられる花『エディブルフラワー』
自己紹介
用途としては、料理の飾りとして使っていただき、今でいう“映える”写真が撮れるような商品を作っております。
なかなか認知度が低い中で、最初に売り先が見つかったのが海外で、今でも全体の4割くらいを海外に出しています。また国内ですと、ケーキ屋さんやホテルに卸させていただいています。
海外の取引多数
品質管理について
まず一つ言えるのは、"うちで開発した機械を使って作る"ことによって、このお花ができるということが一つ。次に、「こういうやり方をするとこうなる」という"手順的な部分""を大事にするということです。
農薬や化学肥料は使わない
ホームセンターとかで売っているものは、出荷前に農薬を散布して、虫が付かない状態にして出荷をされているので、虫がいない綺麗なお花なのです。
食べられる花、食べられない花
ここで育てているビオラは、スミレ科ビオラ属なのですが、スミレもエディブルフラワーとして流通しています。
うちの場合はドライにしているので、その栄養価がそのまま残っているわけではないのですが、生のお花はそういった健康食といった側面からも注目され始めています。
主な取引先・販売先
国内でいうと、ホテルやお菓子屋さんももちろん多いですが、飲食店の中でもこだわりのあるような創作居酒屋さんやレストランとの取引が多いです。
しかしコロナ渦になり、ご家庭でお子さんと料理やお菓子を作るといった場面が増え、4~5月はそれまでと比較すると相当数伸びました。
いいね!がもらえる商品を目指す
お花は見た目の可愛さももちろんあるのですが、花言葉があるので、花言葉のメッセージを乗せて友達にプレゼントすると喜ばれたといった声をいただいたこともあります。また、インスタグラムに作られたものを載せて、『いいね』が増えたといって感謝されることもあります。
私の経営理念の中にもある、『お客様を喜ばせたい、笑顔になってもらいたい』という思いが強いので、そういった声を聞くと、この事業をやっている理由として正しいのだと思えますし、そこを大事にしていきたいです。
だからインスタとかでうちのタグをつけてどんどん発信してほしいですね(笑)
賞味期限・保存方法
その基準だとカビも生えず、耐乾性の強い菌も生えず、ほぼ一生腐らないという状態にできますので、賞味期限を1年間としています。
八澤豊幸さんの素顔
幼少期・学生時代
そもそも口から生まれた子だと親から言われるくらい、すごくお喋りだったみたいです。
みんな初心者で、練習メニューも自分たちで考えて。へたくそだけどやることは面白かったですね。
上京、そしてUターン
そもそも高校まで18年間奥出雲にいたのに加え、東京で暮らしていた5歳上の兄貴から、帰ってくる度に「東京いいぞ、楽しいぞ」と言われ続けていたので、いざ自分が就職となったときには都会に行きたいという思いが強くなっていました。
そこから1年半くらい経ち、縁あって結婚することになりました。このままバイトという訳にもいかず、当時の社長に相談して、社員にしてもらいました。
金属加工、シリコンの加工の研修を富山で受け、ここでスタートアップのメンバーを1年半くらいやらせてもらっていました。その後食品部門を新しくスタートした際に、そこにコンバートされたという感じです。
会社倒産~起業へ
あの当時、食品部門と電子部門と2つあり、電子の仕事がゼロになるということは聞いていたので、電子の仕事をしていた人たちを食品部門で賄っていかなければいけないとは思っていました。
しかし会って5分もしないうちに社長から出た言葉は「会社をやめる」と。
僕としても辞めたくないという思いが強かったですし、外部の業者など周りの方を巻き込んでやっている事業としての責任も感じました。
そしてその5月の残って働いていた残業を全部社長がもってくださり、それが結局開業資金になりました。
もともと社長をやろうと思ってお金を貯めていたわけでもないので、その資金はとてもありがたかったです。
多くの人に助けてもらった
6月には各関係機関を回り、自分が引き継いでやっていくこと、そして引き続き一緒にやってもらいたいということを、一人一人に話をしました。
電子の検査から始まり、金属加工、食品もお花を使うだけでなく、機能性食品の研究開発みたいなものもやらせてもらいましたし、科学的なところも学びました。
仕事をしていて嬉しかった出来事・エピソード
そしてそれが、『人に喜んでもらいたい、笑顔にしたい』という今の企業理念となっています。きっかけになった出会いであり、今でも大変心に残っています。
若者へメッセージ
しかし高校の時の卒業アルバムには、"社長になりたい"と書いていたんですよ(笑)当時はバカだから、特定の社長というよりは、社長という"響き"に憧れがあったんでしょう。でも社会に出ると一度それを忘れているんです。
そこでいざ自分がその立場になるという時に、無性に、「何とかなるんじゃないか」「確かに昔社長になりたいって言っていたし」「ちょっとでも社長になりたいと思っていたわけだし」と思えてきたんです。
信念と言うと大げさですが、"自分がどうなりたいか"ということを想像して、それを体現していくためには、自分の気持ちを大事にしていかなければなりません。
実際今の市場はすごく大きくなっていて、自分が思っていたことが少しずつ現実に近づいているのを感じます。
とにかく『気持ち』です。気持ちを強くもつということ。そして気持ちを持って『誰かに言う』ということです。誰かに言って、追い込まれた方がいいこともあります。
僕の場合、始めは余裕ぶっこいて、時間がな無いという時に発揮できるタイプなんですよね、追い込まれると強いのかもしれません(笑)
奥出雲町について
奥出雲町の魅力や暮らしぶり
東京で自炊していた当初はスーパーで米を買っていたのですが、すごく不味くて。そこから送ってもらうようになると、友達も「お前んちの米めっちゃうまいな」って(笑)
そこで初めて仁多米の良さに気が付きました。一回出たから気が付けたことも多いですよね。
高校の時の外に出てやるという思いは消えていって、ここで骨を埋めるんだという気持ちになった時に、違った視点でこの奥出雲の魅力が見えてきたのかなとも思います。
おすすめ観光スポット
そしてやはり紅葉自体が、奥出雲全体として一つの観光地になっているのではないでしょうか。特に旧横田町のループ橋があるところは、山の中に道路があるので、車で走っているだけでも周りが紅葉になって非常に綺麗です。
またこの時期は蕎麦がすごく美味しく、『新そば祭り』が開催されています。この季節の休日の蕎麦屋さんは県外者でいっぱいで、地元の人は行かないですね、並ばないといけないから(笑)
腕利きの職人達が住まう町
土地柄もあるかもしれないですが、職人さんって、良い意味でこだわりが強いと思うんです。
加えて奥出雲町の人たちは、いわゆる頑固な人も多いと思います。そういうのを若い人たちが見て、そこを継承していくという感覚を直接持たなくても、「奥出雲町ってそういう町だし、俺らの代もそういう風になりたい」って思うのがいいのかなと思います。
若い世代にそういう考えの人って、実際少ないんですよ。
喋りのスタンスは僕とは真逆です(笑)僕はノー原稿でその場の流れでいきますが、彼は原稿ありでしっかりした感じ。僕はノー原稿だけど、笑わせようと思うと滑るんですよ(笑)
何よりも、こいつが頑張っているから自分も頑張りたいと思えることが一番刺激になります。
奥出雲町への移住・定住
これはおせっかいとかじゃなくて、当たり前に行われているんです。うちの畑で白菜を作っていても、他の方がいい白菜できたからと言って渡してくださることも日常的にあります。他所からこられた方も受け入れられると思います。
官民が協力
そのきっかけは役場の方が、奥出雲町のふるさと納税の新しい商品を作るということでセミナーを開かれ、そこで意見が合って商品ができました。これは、そういう場を行政が作ってくれたから実現できたのだと思っています。
スタートアップは行政にやってもらって、あとは民間で、といった流れが一番つながりやすいのかな、と思いますね。
最後に
今後の夢や目標
この田舎であるからこそできることをやっていきたいですし、この地域で雇用を生んでいきたいです。
奥出雲町が『ドライエディブルフラワーの町』になるというところまで持っていきたいです。現在奥出雲町の9地区の内2つの地区でドライエディブルフラワーをやっていただいているのですが、残りの地区でもやっていただけるように開拓していきたいです。
そして子供たちに向けて、一つの食育という意味も込めて伝えていくことが大切だと思います。お花は安全に育てれば食べることができるという知識を、子供の時から持ってもらうことで、その子たちが大きくなった時も、お花が食べられるということが言えることがすごく大事だと思います。
それは、奥出雲町が食べられるお花の町だということが浸透していけば、より強固なものになっていくと思います。
それはすごくハードル高いことだと思いますが、そういう未来を目指していきたいですね。
経営者としては、会社を成功させるというのはもちろんですが、“場をつくる”経営者を目指しています。地域で頑張っている人たちが輝ける、働ける場を作ることであったり、子供たちが学ぶ場を作ることができる経営者を目指したいです。
場さえ作れば、人はいるはずです。そこに人たちが集まることで、新しいコミュニティが生まれていけばいいと思っています。
読者へメッセージ
僕は、"田舎だからできる"ということをキーワードにしています。田舎で作ったものが首都圏や海外で販売されていますが、実際は、地元でもっと知ってもらいたいという思いもあります。今回取材のお話をいただいたのをきっかけに、これからは町内、県内、山陰内に対してもPRしていきたいと思っています。
"食べられるお花"というもの自体が珍しく、更にうちが作っているのは、そこからドライに加工した“食べられる押し花”という、なかなか聞いたことのないフレーズのものだと思います。
僕はこの商品を、なくてはならないものだと思っています。そのお花があるとないとでは全く雰囲気が変わります。見た目の華やかさだけでなく、そこにその人のメッセージや気持ちも乗っかってきて、それを見られた方は笑顔にならずにはいられない、そういう商品です。誰かのために、飲食店の方ならお客さんに、ご家庭であれば家族やお友達に喜んでもらいたいという気持ちがあれば、うちの商品は適したものではないかと思っています。
これから山陰地方でも販売を伸ばしていきたいと思っておりますので、興味がある方はぜひホームページをご覧いただき、購入していただければと思います。
ありがとうございました。
有限会社トム代表取締役社長
島根県仁多郡奥出雲町出身
1986年12月2日生まれ
八澤の人生は波乱万丈だ。東京へ就職したが会社の倒産を機に地元奥出雲町へUターン。
地元の企業へ再就職。仕事振りが上の人間に認められ、食品部門で新商品開発、企画提案に従事。初めて仕事が楽しいと感じた。
華やかな東京での生活に戻りたかったが、やり甲斐を感じるようになる。結婚もして子供も生まれた。いつしか東京へ戻りたいという気持ちは消えていた。
お花を使ったお菓子の管理者、食品部門の統括責任者へのステップアップしていくが、会社が倒産すると聞かされる事となる。
せっかく楽しくなってきたのに仕事がなくなってしまう。
会社がなくなる事を二度も経験する事となった八澤は起業を決意。
自ら地元農家さんへの挨拶周り。お菓子を使った食品事業を辞めたくなかった。その気持ちだけが八澤を突き動かした。
八澤が培ってきたお花を使ったお菓子事業の経験を、食べられるお花『エディブルフラワー』へと進化させて全国に、いや世界に展開していく事。
自信がなかったわけではないが、起業後直ぐに海外への販路が決まる。
信じてくれた多くの人、助けてくれた多くの人を裏切りたくない。
いずれは奥出雲町を代表する名産品に育ててたい。
子供達の食育に、地域の観光資源に、人と関わりながら大きくしてゆく。
そういえば、ビジネスを広げていく内に東京都内へ仕事で訪れる機会も増えた。
昔住んでいた憧れの地だった東京。
奥出雲町で育まれた小さなビジネスをきっかけに、八澤は東京に行ける、世界に行ける。
八澤が作る『エディブルフラワー』はいいね!と言ってもらえる、山間の地に咲く花だ。
もう八澤は東京にこだわる事はなかった。場所に捉われる事はなくなった。
此処に居れば、どこにでも行けるから。
有限会社トムコーポレートサイト
https://tom-ltd.com/
有限会社トム公式ECサイト
http://store-tom.com/
インタビューを終えて
八澤豊幸さん、ありがとうございました!
最新記事 by poool君 (全て見る)
- 475デジタル矯正ラボ - 2024年9月6日
- 【鳥取×働く人 vol.63】ベーシスト/chang Project「吉川 衛」さんにインタビュー - 2024年7月27日
- 【鳥取×働く人 vol.62】元なでしこジャパン主将/北斗ソアラFC監督「大部 由美」さんにインタビュー - 2023年7月27日
- 【鳥取×働く人 vol.61】BAR エルドラド/居酒屋ジパング代表「植田 貴太」さんにインタビュー - 2023年4月24日
- 【鳥取×働く人 vol.60】シンガーソングライター「長尾 哲成」さんにインタビュー - 2023年4月4日
2 レスポンス
[…] 【島根×働く人 vol.11】有限会社トム代表取締役「八澤 豊幸」さんにインタ… […]
[…] 【【島根×働く人 vol.12】homme Vo/Gt「秋山 紘希」さんにインタビュー […]