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伝説のクリエイター赤井孝美さんの登場
コンセプトムービー
その都度、イラスト関係の仕事であればイラストレーターですし、アニメ関係ならプロデューサーとかクリエイターとか。
米子ガイナックス代表取締役と言えばそうなんですが、何かの実業家か、と思われても何だか違いますし(笑)
オリジナルアニメ『ガイナタマガー』について
ガイナタマガーというオリジナルアニメをリリース
それを山陰からウェブメディアで発信していこうという試みです。クラウドファンディングでパイロット版の資金を集め、地元企業からの支援を受けてやっています。
前例がないことをしているので、今後どうなっていくか分かりません。誰かが上手くやったことのない、轍のない見えないことをやっている感じです。
また、今年で10年目になる米子映画事変にも取り組んでいます。
可愛いタッチのSFアニメーション
ガイナタマガー誕生秘話
ネットは参入障壁が低く、地上波のような決め事も少なくやりやすい一方で、ネット専用アニメの成功例がまだ少ない実情があります。
インターネットで気軽にアニメが楽しめるようになった
当時いわゆるオタク文化はなかった中で、僕たちの同世代が作っていったアニメやロボのオタクという世界ができてきたわけです。そこから大人もアニメを見る、というちゃんとした世界になっていった今、僕らはもう用がないわけですよ。
「すでにあるものに乗っかるのが嫌だ」と言うとかっこつけているかもしれないけど、乗れないんですよね。その路線に乗って継承していくこともある種の才能だとは思うのですが、「自分がやったんだ」と言いたい部分もあって。
今のアニメには僕は合っていないと思っているんですよ。若く、今の市場にマッチした人がたくさんいます。僕は、自分が生きていける場所を探しているわけです。
そこに入れば逆に良いんじゃないかと思って。皆こっちに道があると思って向いているからこそ、そこに向かおうと。僕は整備された場所は苦手でね(笑)荒れ地で戦うのが向いているんです。もちろんその分大変ではありますが。
アニメの無駄を省きたい
思い切った省力化をしないと小規模態勢でアニメは作れないからです。
それは素晴らしいことですが、制作規模のこれ以上の拡大は日本では限界だと僕は思っています。『労力を積み上げてクオリティを高めること=作品の質』というのは迷信です。
少ない戦力でどう戦っていくのか
小さい戦力でどう戦っていくか。そういったことをガイナタマガーではどこに落としていくのか。今も探しながら制作しています。
ガイナマンはガイナーレ鳥取のマスコットキャラクター
Jのマスコットというと名産品や動物のキャラのものが多かったのですが、当時ガイナーレのゼネラルマネージャーだった竹鼻さんから「これまでにないヒーロー的なマスコット」を作りたいと言われたんですね。
実写もありますが、松本零士さんの描いたものが手や首のデフォルメもすごくでかくて、とてもかっこいいんですよ。もう一つの元ネタとしてはガッチャマンです。
着ぐるみになる事も考えてデザインする必要があった
ヒーロースーツが得意なこともあって、スタジアムで走る用の動けるキャラを作ることができたんです。当時としては、Jリーグで異常に動けるマスコットだったと思いますよ(笑)
特撮映像作品『ネギマン』と米子映画事変
鳥取県米子市が舞台
そしてそのシンボル映像としてネギマンを制作しました。
しかし2011年当時、僕ははアニメのプロになって30年近くなっていて、そんな人がアニメを作っても当たり前すぎて面白くないと思って、じゃあ特撮をしよう、と。それも戦隊やライダーといった等身大のキャラクターはローカルでもよく見ますが、ウルトラマンのようなでかいキャラクターは作るのが大変だからあまりなかった。
大きいサイズのキャラクターは少ない!?
当時大阪芸大の学生が数人参加していたくらいで、スタッフのほとんどが映画製作の経験が全くない人間でした。
特産品である『白ネギ』
そもそも、なぜ"ネギ"マンだったんですか?
松江城のキャラクターも登場
山陰全体で盛り上げたいけど、松江の人って米子のことに興味ないんですよ(笑)松江の人に興味を持ってもらうためには、松江城のキャラクターを入れとかないと、と。
山陰の人ってそもそも勝ち負けには関心が薄いのかな。隠岐相撲も片方勝つと次の一番は勝った方が負けるっていうし。
ネギマンの続編は?
『ヨナゴ・ジョー』とかいって、あるけど見えない、みたいにしようかな(笑)見える人にしか見えない。エキストラさんが「わー!」とか言って逃げるのを撮るっていう(笑)
代表作『プリンセスメーカー』
ガイナックスがゲーム開発にとりかかるまで
まあ後で考えると、我が道を行きたい、自立好きの米子人気質もあったと思います(笑)
そんな中で、じゃ俺は何で食っていこうかなと思ったわけです。
ある時、アニメファンとパソコンゲーマーは同じ目をしていることに気づいたんですよ。今はゲームもアニメもオタクでひとくくりされていますけど、80年代はアニメファンは大人のくせにアニメ見ている気色悪い連中、PCゲーマーは知的な理系お金持ちみたいなイメージがあって、全然違うクラスタだったんですね。
今とはゲームの楽しみ方が違う
それで岡田さんと相談しながら『電脳学園』という簡単な構造のゲーム企画を立てて、フリーのプログラマーさんを見つけて制作開始しました。
音楽はSF大会時代からの仲間で、小説家になっていた菅浩江さんが電子オルガンの先生だったので、ゲームの音楽も作れるんじゃないかと思って頼みました。
ゲーム業界はオーストラリア大陸だ!
80年代のゲーム業界は、こと絵作りに関しては無関心で、僕の目にはオーストラリア大陸に見えました。ここならアフリカの弱小肉食獣でも勝てるぞ、と(笑)
フロッピーディスク
あるときゲーム関係の方に「なぜパソコンゲームの絵は貧弱なのか」と質問したら「8色しか使えないから仕方ないのです」と言われたんですね。僕ら絵のプロからすると色数と絵の魅力は関係ないのです。たとえ1色でもいい絵は描ける。
『電脳学園』でクイズに答えたら女の子が脱いでいくというゲームを作って、8色パソコンでもアニメ風の可愛い女の子を描けるんだぞってところを見せました。
次に麻宮騎亜さんのコミックス『サイレントメビウス』を原作にしたアドベンチャーゲームを作ってドラマ性や演出技術を高め、その次が完全オリジナルのシミュレーションゲーム『プリンセスメーカー』と計画的にゲーム製作をしていきました。
『美少女シミュレーション』というジャンルがなかった
自分の世界の中で"何か"を自分好みに変えていくというゲームですね。そこで当時の僕たちの客層を考えると"女の子"だろうと思ったわけです。
ただドラクエシリーズは、ミニゲームの追加とか、主人公の仲間がどんどん増えたりしてゲームがどんどん大型化していく。
プリメでは逆にキャラが成長する以外の要素は除外しよう、と。
大ヒット作となり続編開発へ
グラフィックの技法も一新して、それまでは線画取り込み、パソコンで彩色していたのを、紙に手描きで色まで塗ったものをスキャンするという方法を採りました。
ただ、パソコンの時と違って、プレステは新しい市場なのでお客さんの顔がわからず全体の制作は難航しました。
赤井さんが描く女の子の絵は色あせないですよね。僕はプリゆめ初見プレイで大司祭になりましたが、これってどうなんでしょう?
女王になるには割とまんべんなくしなきゃいけないような…。今のゲームに比べると難易度は低めだとは思うよ。ただ、これが正解ということではなくそれぞれのエンディングを楽しんでほしいですね。
島本和彦先生の『アオイホノオ』
赤井孝美さんが実名で登場する漫画・ドラマ
僕はだいたいあんな感じだったかな。学生の頃の庵野君はひょろっとしていて、のんきでほんわかしたイメージかな。漫画の中ではキャラとしてある程度デフォルメしているとは思います。"エヴァの監督の"庵野の学生時代、として描かれている気がします。
島本くんが「同期、というか敵だった」と言っていた
その打ち上げに僕や山賀君、『トップ2』の鶴巻和哉監督と主演声優の福井裕佳梨さんも参加していました。
それに対して俺や山賀君は「え!?友達だと思ってたよ」と。こっちは対抗心なんて全くなくて、島本君はちょっとショックを受けていた(笑)
でもそのギャップがいかにも島本和彦的で面白い。山賀君がこれ漫画にしたら、と。そんなたわいのない会話からあれだけの作品が生まれて、テレビドラマ化、小学館漫画賞まで獲っちゃうんだから島本君は本物のプロです。
トンコさんって実在したの?
僕はあのキラキラした瞳と独特の間合いが福井裕佳梨さんのように思えてならないですけどね(笑)
実写ドラマ版『アオイホノオ』赤井さんも第10話でドラマ出演!
おばちゃんのメイクをしてもらったときに、スタッフさんから「すごくお似合いです。青島幸男の『意地悪ばあさん』みたい」と褒めてもらったんだけど、僕としては吉本新喜劇の桑原和男を目指していたので、ちょっと不本意でした(笑)
赤井タカミ役の中村倫也さんは直前までスマホでロボット怪獣キングジョーの映像を見て動きを研究してましたね。僕からもキングジョーのポーズをアドバイスしました。
この日は中村さん、安田顕さん、ムロツヨシさんの3人組が撮影最終日で、お祝いの花束贈呈があり、中村さんには僕からお渡ししました。赤井タカミ用に赤い花束を用意してくれてました。
これって実話ですか?
実物を限りなく精密に縮小すればリアルな映像が出来るはずだと考えていたけど、実際作ってみるとそうでもない。なんでだろうと考えたら、やっぱり光が違うんですよね。自然光と300ワットのレフランプの違い。
岡田斗司夫さんのインパクト
DAICON Ⅲのアニメは岡田さんの家で作業したんだけど、何十人もの学生が24時間体制でセルの色塗りをしていた光景は壮観でしたね。当時の岡田さんの家は刺繍屋さんの工房も兼ねていて広いんですよ。
玄関に実物大の鹿の置物があったり、室内にブランコがあったりして面白かった(笑)
岡田斗司夫さんから学んだこと
これは円谷プロのウルトラシリーズのパロディで、かなり真面目にSFストーリーを作って、でもクライマックスで変身するとウルトラマンじゃなくて身長40メートルの庵野君が怪獣と戦うという作品なんですけどね。
DAICON Ⅳという大阪のSF大会をPRするために作ったアマチュアムービーです。
庵野君が監督、僕は特撮担当。当時の学生映画としてはかなり良い感じの特撮シーンを何カットか撮って岡田さんに見てもらったんですね。「こんな感じになりますよ!どうです、良いでしょう!」みたいなことで。
「赤井君あかん。これやとスピルバーグに勝たれへん」
え?!スピルバーグに勝たないといけないの?聞いてないですよって。
そこでハリウッドっぽい画作りのウルトラマンで本家にないかっこよさを表現しようという事だなと、僕なりに解釈したんですね。
そういうわけで当時ハリウッド映画で流行っていた、逆光ハレーションが入って、画面が青っぽくなるように撮り直したら、岡田さんは「おお!これや!!」と(笑)
僕たちはこの逆光でカッコイイ映像を"ぎゃっこイイ"と命名して、この作品で多用しました。僕はこの一件で、人の言葉をそのままの意味に取らず、そこに隠された意味を考えることを学びました。
山賀博之さんは"ツボ"を抑えて行動していた
DAICON Ⅲの時は「赤井は女の子を描く、庵野はメカを描く。じゃ背景を描くやつはいないんだな、それはオレがやる」と全く未経験のアニメの背景画を担当するんですが、アニメのビデオを何度もじっくり見て、「よし、背景はわかった!」と自分で方法論を考え出してやっていました。
だいたい絵を描く人は頭より先に手を動かしちゃうことが多いけど、彼は方法論からプラン、それから動く。プロデューサーみたいな段取りで絵を描く。そんな人を初めて見ました。その後も日本ではあんまり見ないタイプの人ですね。
赤井孝美の素顔に迫る
子供の頃から特撮やアニメが好きだった
昔の図鑑は特撮セットの仕掛けがバレてる写真が結構載っているんですよ。空にライトがあったり、怪獣の後ろからホースやケーブルが見えていたり(笑)
あとはプラモデルも好きでした。特撮と言いプラモデルと言い、実物が縮小された世界が好きでしたね。
赤井錦鯉センター
ある日突然釣り堀を作ると言いだして、田んぼを潰して大きな池にしちゃいました。釣り堀は割とすぐ止めて、錦鯉の養殖業を始めました。本当は始めから養殖がしたかったんだと思います。
田んぼをくり抜いた泥田のような養殖池で稚魚を育てて、ある程度大きくなったところで回収するのですが、これが結構大変でしたね(笑)
ポンプで水を抜き泥田に入って、家族総出で網を使って鯉を回収し、ポリバケツで運んでいました。
心のセーフティネット
1000円の鯉と10万円の鯉の見分けもつかないですから。
最初は美大に行く事を考えていた
卒業するまでに何か道が決まればいいかなと。4年間もあれば出会いもチャンスもあるだろうと。モラトリアムというか執行猶予期間です。
小田部羊一さん(『アルプスの少女ハイジ』『母をたずねて三千里』のキャラクターデザイン・作画監督)という有名なアニメーターの方が、美大の日本画科出身と聞いて、日本画を描いたこともないのに日本画科を受けることにしました。
ところがいざその時になると、自分には真面目な浪人生活は出来ないだろう、東京で遊んでばかりでまた落ちるだろう(笑)と。そこで急遽、大阪芸術大学の二次募集を受けたんです。当時大阪芸大はまだ新しい大学であまり人気がないのか、二次募集をしていたんですよね。
大阪芸大では美術ではなく映像計画学科(現在の映像学科)を選びました。この頃映像を教える大学は大阪芸大の他は日本大学芸術学部しかなくて面白そうでしたね。
なんとか出会いを作りたくて『FILM 1/24』というアニメマニアしか知らない専門誌をこれ見よがしに広げて読んでいると、庵野君が話しかけてきたり、庵野君の下宿繋がりで山賀君と知り合ったり、庵野君と同郷の友人でカメラマンをしていた永山竜叶君の紹介で、岡田さんや武田康廣さんたちSF大会グループと出会ったりしました。
目まぐるしく変化していく環境
僕たちは空いている席に座って、思いつくままにやりたいことをやっただけ。それが時代にピッタリ合った。今思えば恵まれていました。
山陰や鳥取県について
地方からのコンテンツ発信
かつてのDAICONとガイナックスが、アニメ文化の中心だった東京ではなく、大阪からスタートしたように、今なら米子から始められると考えています。
地方は大阪でさえ、情報は月刊誌で得る二月遅れの内容、アニメにお金を出そうというスポンサーもなかった。東京に出ないと土俵に上がれないと感じたからです。
しかし現在はインターネットによって情報の地域格差は少なくなってきました。
しかしネットを通じて全国、或いは世界を相手にしていくなら、地方のハンディキャップは薄まっていく。特にアニメは有望です。世界の若者は既にテレビよりもYouTubeで映像コンテンツを視ていますが、コロナ禍を契機にこの傾向は加速するでしょう。
そうなると暮らしやすさ、豊かな自然環境という山陰の良さが、コンテンツ制作でも優位に働きます。人材の確保、育成など課題はまだまだありますけどね。
田舎暮らしとクリエイティビティ
写真家の植田正治さん、映画の岡本喜八監督、漫画の谷口ジローさんといった人々も他に類型のない独自の世界が世界レベルで高く評価されていますね。
米子という街
米子市の観光地としての現状や課題
今は経済が衰退して、米子は自信を失っていると感じます。米子を「何もない」という人がとても多い。誇れるものがない、これが一番の問題だと思います。
しかし米子城はとても良いですよ。コンテンツとして面白い。安来の月山富田城との関係性も良い。この二城には歴史ロマンの物語があります。
アニメやドラマの舞台となったところに行くことを"聖地観光"と呼んだりしますが、そもそも観光とは物語を感じるために行くものです。
エピソードが大切
一方、信州上田城の遺構は門と櫓のみですが、たくさんの観光客が訪れます。ここは真田一族の物語があり、歴史ファンのみならず広く認知されているためですね。
吉川広家
父は猛将・吉川元春。子供時代は「うつけ」と呼ばれ父を心配させました。少年期に山中鹿助の猛威を見、青年期に秀吉と対面、その後朝鮮で加藤清正を救ったり、徳川家康と駈け引きし、天下分け目の関ヶ原では「戦わない人」として家康の勝利を演出しました。
僕は常々、山陰歴史上の人物で大河ドラマになり得るのはこの人だけと主張しています(笑)
大阪夏の陣で家康に捨て身の突進をした真田幸村は、明治時代の富国強兵ムードに乗ってスターになりましたが、戦わないことで後の太平を招いた吉川広家は、平和を求める時代の人気者になり得るキャラクターと見ています。
真田幸村をメジャーにしたのは立川文庫、坂本龍馬は司馬遼太郎さん。それをタネにして繰り返し映画や漫画や小説になり、歴史上の人物から神話へと変質していきました。
同じくタネになるようなコンテンツを作り出すことが出来れば、吉川広家が真田や龍馬のような神話的人気者になる可能性は大いにあるでしょう。
最後に
読者にメッセージ
昔は縁故やコネに頼る人は実力がない者と見なされていましたが、今は“多くの人と良い関係を持っている”ことが非常に大切だと思います。
SNSやオンラインサロンはそういった意味で大きな可能性を持っていると思います。そうして繋がった人と何かをやってみる。仕事でも遊びでもいいです。それが自分の可能性を広げてくれるでしょう。
イラストレーター、アニメプロデューサー、ゲーム作家
米子ガイナックス株式会社 代表取締役
合同会社ネギマン観光社 代表社員
米子映画事変 実行委員会名誉会長
大阪芸術大学映像学科 客員教授
1961年11月21日生まれ
鳥取県米子市出身
大阪芸術大学在学中に、第20回日本SF大会『DAICON Ⅲ』第22回日本SF大会『DAICON Ⅳ』のオープニングアニメを制作。
同イベントを通じて結成されたアマチュア映像製作グループ「DAICON FILM」にて『愛國戰隊 大日本』、『八岐之大蛇の逆襲』 などの実写作品を監督。
1984年、株式会社GAINAXの創業に参画。PCゲーム『電脳学園』、育成SLGの草分け的作品『プリンセスメーカー』シリーズを作った。
2011年から故郷の米子市で総合カルチャーイベント「米子映画事変」を主宰。
2014年、米子ガイナックス株式会社を設立。
赤井孝美百貨店 -別館-
https://akaitakami.com/
米子ガイナックス株式会社公式ホームページ
https://yonago-gainax.co.jp/
米子映画事変公式ホームページ
http://yonago-eiga.com/
ガイナタマガー公式ホームページ
https://gainatamager.com/
インタビューを終えて
赤井孝美さん、ありがとうございました!
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