江府町のアイシングクッキー屋さん『Amane』
コンセプトムービー『普く』
今回の鳥取×働く人は江府町のアイシングクッキー屋『Amane』の古川美穂さんです。
Amaneについて
自己紹介
今日は鳥取県江府町で活動されているAmane代表、古川美穂さんの登場です。まずはAmaneさんの自己紹介をお願いします。
アイシングクッキーを中心に、江府町で焼き菓子を販売しているAmaneと申します。
アイシングクッキーとは?
普通の焼いたクッキーの上に、砂糖と卵白を混ぜたクリームを使い絵を描いたり色を付けたりして、見た目も楽しいクッキーです。
テキストや簡単な装飾だけでなく、クッキーに絵も描けるんですね。絵は元々得意だったのですか。
いえ、絵は全然描けないのですが(笑)下絵があるのでなぞって塗り絵のようにして作ります。
江府町を大切にしている
ここが事務所、工場となっているのですね。ここを選ばれた理由は?
江府町内でやりたいというのがひとつあって、色々探していたのですがなかなか良い所がなく、ちょうどここを紹介され、駅も近く部屋数も沢山あったので、使わせてもらっています。
『Amane』の由来
実家がお寺なのですが、お経の一節にある『あまねく』という言葉が由来です。これは私が最初に覚えた一節です。幼少期、赤ちゃんの頃から聞いていた言葉だと思います。
SNSで大人気
InstagramなどのSNSで注文が殺到しているそうですね。SNSで宣伝しようと思ったきっかけを教えてください。
アイシングクッキーに興味がある人や求めている人を、ダイレクトに見つけることができる環境がInstagramだと思い選びました。映えますし、お客さんの層にも一番合っているのではないかと。
Instagramで見てもらうために、投稿する際にはどのようなことをされていますか。
背景を統一するということはアドバイスをいただいたので気を付けています。
今どのような人が知り、買ってくれる人が多いですか。
やはり子供さんがおられるお母さん世代が元々は多かったのですが、最近は、男の人からの注文も増えています。奥さんや彼女さんにあげるプレゼントに選ばれる方も増えています。また、退職祝いや出産祝いも多いです。人にあげるために買ってもらえることは嬉しいですね。
アイシングクッキーの柄はどのようなものができますか。
柄は、何でもできます。写真のような感じでなければ、基本的には何でも作れます。漫画やアニメのキャラクターも承ります。
2021年で3年目に突入
10月で3年目になります。
最初は時間が余っていたので、軽い感じで始めたのですが、今は生活の一部になっています。段々とお客さんが増えるに連れて、お友達が増えたような感覚があります。県外の方からも何もないのにご連絡していただけることもあり、輪が広がっていくのを感じ嬉しいです。
大人気のためご注文はお早めに
超人気のAmaneさんですが、欲しい日のどれくらい前に注文すれば良いでしょうか。
一応一週間前とは謳っているのですが、予約が入っていることもあるので、なるべく早く言っていただけると確実です。
アイシングクッキーを知らない人にも届けたい!
今後、どのような人にAmaneのアイシングクッキーを届けたいですか。
アイシングクッキーを知らない人が結構多いということに気が付きました。今までは知っている人を相手にした販売が多かったので、知らない人にも、一度食べてもらって、選択肢の一つとして、このアイシングクッキーを入れてもらえたらと思います。また、プレゼントが基本ではあるのですが、自分のためにご褒美として買っていただける人が増えればいいです。
古川美穂の素顔に迫る
幼少期、学生時代について
あまりSNS等でお顔出しされていない美穂さん。どんな人が作っているのだろうと興味を持っている方もいらっしゃると思います。
あまり学生時代の記憶がないんです。部活をしていたってことぐらいですかね。吹奏楽部でホルンをやっていました。
結構その頃の自分が嫌いだったから、自分でも”記憶抹消”じゃないですけど、そんな感じなのかもしれません。だから周りからはピリピリしていたと言われることもあります。自分が頑張りたいことを人にも押し付ける、みたいな部分があったのかも。
高校卒業後は大学進学
米子北高校卒業後は、美作大学に進学されます。栄養士を志したきっかけを教えてください。
当時、色々となりたいものがいっぱいありました。これもしたい、あれもしたい、という中でなかなか環境が整わず、そこで先生に勧められたのが管理栄養士の道でした。じゃあ行ってみようかな、という感じで選びました。
楽しかったです。中・高生までは、”ちゃんとしていないといけない自分”がどこかにいたんです。でも大学では、自分らしくいてもいいと言って、それを体現してくれる友達ができたので、ダメなところも自分だし、良いところも自分だと腑に落ちた気になれて、すごく楽しかったです。
大学の時に家を出られ、一人暮らしをされたのでしょうか。家を出たことで心境の変化はありましたか。
最初は寮で、途中から一人暮らしをしました。「お金を無限に使っていてすいません」って思いましたね(笑)電気を止められたこともあって、今まで何も考えずに使わせてもらっていたありがたさを感じました。生活費を自分で稼いでいたので、居酒屋でアルバイトもしていました。
大阪で就職
大阪で就職され、給食を作る委託会社やスポーツジムで管理栄養士として働くこととなります。当時を振り返ってください。
大阪に出てみたいという思いがあったのと、国家試験の勉強もずっとあり、ぎりぎりのところで落ちると言われていました。そのプレッシャーもあり、就活を最後までがんばり切れず、とりあえず受かったところに行こうと思い大阪で進学しました。
模試が毎月あるのですが、その規定点数に達さなければ卒業もできず、国試も受けさせてもらえません。でも最後まで規定点数に達することができずに試験に臨みました。
社会人の生活は、最初はしんどいですよね。やはり地域性も分からなかったですし、方言も、多分そんなにキツくは言っていないのだろうけど、そう感じてしまったり。年齢が離れた人と働くことの難しさを感じたり。色々なことを勉強させてもらいました。
楽しかったのですが、こっちに帰ってくると地元が余計良く見えると言うか、離れているからこそ分かる良さがありました。
お菓子作りは昔から好きだった
好きでしたね。多分お菓子ではなくても良かったのでしょうが、やりやすい環境にありました。キッチンも好きに使わせてもらっていたので。
いや、料理はそんなにしては無かったです(笑)母がお菓子を作らない人だったので、お菓子を作るとすごく喜んでもらえたのが嬉しくて。「手伝おうか」と言われても手伝ってほしくないタイプでした(笑)一人でやってえらいでしょ、って感じ(笑)
そうですね、でも失敗も多かったので、味見役でした(笑)
今は、本業の介護福祉施設で管理栄養士として働く傍ら、Amaneの仕事もされている古川さん。働く時間配分などどうされていますか。
仕事がある日は8時半から17時半まで働いて、終わったら18時からここに来て、夜中の0時くらいまで働いて帰って寝る、という生活です。作業が終わるまでやるという感じですね。
『東祥寺』の娘
お寺の娘さんとして生まれ育ったと思いますが、『お寺の子あるある』を教えてください!
あるあるは『フローリングに憧れる』じゃないですかね(笑)畳しかなかったので。
またお盆や正月は、皆どこかに出かけているけど、私は家の手伝いをしていました。皆が休みの日が忙しい、という生活でした。
地域の皆さんはすごく良くしてくださっています。小さい時は檀家さんとは分からずに、一人で歩いていてお小遣いをくれたり、スイカを切って食べさせてくれたり(笑)だから小さい時は、皆が家族のように思っていました。
法事やお葬式をうちですることもあるので、ほぼ毎日父のお経が聞こえてくる、BGMのような感じでした。基本的に父が仕事をしている時はあまり騒いではいけませんし、テレビの音量も小さくして過ごしていましたね。
娘から見た古川住職
住職としての顔はあまり分からないのですが、父としては、答えをいつも用意してくれている人でした。父に言われたことを、この歳になって「あれってあのことだったのか」と気が付く場面も多くあります。答えをずっと浴びせられて育つ、でもその過程は自分で探しなさいという感じだったのかなと、今になって思います。
日常的に住職から、ありがたい話を家庭で聞けるという環境にあったのですね。
現在は美穂さんの弟さんが東祥寺の副住職として働いています。帰って来られたのは最近のことだと伺っています。
はい、2月か3月に修行を終えて帰ってきました。修行は2年半くらい行っていました。元々明るい子だったので、それは変わらず帰ってきたのですが、修行時代の話を聞くと、やはり凄い所にいたんだと思います。
お寺の娘さんとして、女性が継ぐこともあるんですかね。
あるとは思うのですが、そういう選択肢は自分の中にはありませんでした。女性の住職さんもいらっしゃいますが、やはり宗派にもよりますし、茨の道と言いますか、肩身の狭い思いをすることもあると聞いたこともあります。
最悪私がお婿さんをもらわないといけないのかとも思っていました。家族で代々継いでいくお寺もどんどん減っているようで、檀家さんも喜んでくださっていたようです。
弟さんも小さい頃から出家の選択肢はあったのでしょうか。
弟も非常に悩んでいました。父は行かなくていいとは言っていましたが、「長男だし」と親戚からも檀家さんからも言われて育っていましたし、最終的には自分で気持ちを固めたようです。
鳥取県日野郡江府町について
江府町という町
晴れの時は景色が良いですし、街中もレトロな感じで私は好きです。歴史を感じる町だと思います。
美穂さん自身が江府町にこだわって今の仕事をされているように感じます。
江府町というより、家がここにあるというのが一番大きいです。やはり弟が帰ってくる時もそうだったと思いますが、何もないので、「ここに帰るのか」という気持ちがありました。都会の煌びやかな所から、20時以降は街頭も何もないここに帰ってくるのは、何だかハードルが高い感じはしました。
ただ帰ってくる時に、自分も一緒に盛り上げられたらという思いもあり、そういう意味では江府町にこだわりました。
最後に
今後の夢や目標
Amaneとしての今後の目標や夢を教えてください。
アイシングクッキーを知らない人がまだまだ多く、説明してもイメージができない人の方が多いということを最近感じています。だからまずは一度知ってほしいです。
今までは、興味がある人だけに買ってもらえれば良いと思っていましたが、やはり知っているのと知らないのとでは全然変わってきます。以前お客さんに、写真に撮って記録にも残る、何年か後に見て自分がこれだけ祝ってもらえたのだという記念になると言われ、そういう手伝いができることはすごく素敵だと思いました。まずは知って、選択肢の中に入れさせてもらいたいと思います。
今後のAmaneの販売方法について展望を聞かせてください。
まずは通販サイトの作成をお願いしています。また、月に1回イベントをしているので、その開催を増やしたいです。
イベントでは、アイシングクッキーやケーキや焼き菓子とドリンクを、誰でもご予約なしで買っていただける日を1日設けています。
読者へメッセージ
作らせてもらったら、絶対に後悔させませんし、記憶に残る日にするお手伝いができると思っています。例えば、喧嘩をしている相手に渡すと、場がほわっと優しくなるような、そんなお手伝いができると思っています。ぜひ私に作らせてもらえたらと思います。
今回の鳥取×働く人は江府町のアイシングクッキー屋さん、Amane代表の古川美穂さんでした。古川さん、ありがとうございました。
古川 美穂(ふるかわ みほ)
アイシングクッキー Amane
鳥取県日野郡江府町出身
黄檗宗寺院「東祥寺」の長女として産まれる。日常的に父親のお経を聞いていた。父が仕事の日はテレビの音量も大きくできない。同級生が休みの日は家のお手伝いをするのが日常茶飯事だった。
日常的に父親が唱えるお経を聞いていた彼女。その中でも般若心経の中の"普く"という一節を最初に覚えた。後のAmaneという屋号の由来となる。
思春期となり、江府町から飛び出したい気持ちが強くなる。小さな町のお寺の娘として彼女にとって、その環境は次第に窮屈なものとなった。
大学進学を機に県外へ。それまで自分らしさを押し殺してきた彼女は、友人の「もっと自分らしくいていいんだよ」という一言をキッカケに救われる。
大学卒業後は憧れの地だった大阪の施設に就職。毎日が何もかも刺激的だったが、それと同時に仕事を覚えながら知らない土地で生活することの難しさを知った。
いつしか地元へ帰りたいという気持ちが強くなり、鳥取県へUターン。管理栄養士の資格を活かし、地元施設へ就職。久しぶりに過ごす江府町の景色は、10代の頃とはまた違って見えた。
実家のお寺を継ぐのは弟達の役目。それでも何かを成し遂げたいという気持ちがあった彼女は、アイシングクッキーの販売を始める。最初は友達限定だったが、細部に凝った見栄えの良いアイシングクッキーはInstagramで話題となり注文が増えていく。
窮屈だったこの町。しかし、この町から何かを一つ始める事ができた。小さな町から広がっていくモノもある。彼女が最初に覚えた一節のように。
instagram
https://www.instagram.com/amane.2723/
インタビューを終えて
今回は黄檗宗寺院「東祥寺」の古川住職にも話を聞きました。
YouTubeの映像の方には多くの方が出演してくださったのでチェックしてみてください。
古川美穂さん、ありがとうございました!
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山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
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