江府町の黄檗宗東祥寺より若き和尚が登場
コンセプトムービー『blue water』
本日は鳥取県日野郡江府町の東祥寺の副住職、和尚の古川泰弘さんのインタビューです。よろしくお願いします。
東祥寺について
自己紹介
鳥取県日野郡江府町江尾の、ここ仏日山東祥寺で生まれました、古川泰弘と申します。泰弘という字は、和尚になりますと読み方が音読みに変わりまして、『タイコウ』となりますので、今は『泰弘(タイコウ)和尚』と呼ばれています。年齢は今年で28歳です。趣味は体を動かすことです。好きな食べ物は、あまり言いにくいですがお肉が大好きです(笑)
東祥寺の歴史
約350年前、江戸時代に中国から隠元禅師という方が日本にお伝えになられた黄檗(おおばく)宗という宗派のお寺です。1673年に隠元隆琦禅師のお弟子さんである独吼(どっく)禅師という方が東祥寺を建立されたと聞いております。
残念ながら、何年か前に東祥寺の宝物蔵が一度焼失しておりまして、詳しい歴史は不明となっております。元々江戸時代に江尾、杉谷、貝田、宮市にあった4ヶ寺を合併することによって建立されたのが仏日山東祥寺だと聞いております。
黄檗宗について
中国から隠元隆琦禅師という方がお伝えになられた宗派であって、日本では曹洞宗、臨済宗の二つと黄檗宗を合わせて三禅宗と言われています。本山は宇治の黄檗山萬福寺というところになります。私自身もこちらで一年数か月修行をさせていただいておりました。
そうですね。特徴として最も大きいものは、儀式作法や経典の読み方等が中国様式であるということが挙げられます。
東祥寺は行事が豊富なお寺
東祥寺さんでは様々な催しがされていると思います。年間の行事を教えてください。
皆様のおかげもあって、年間様々な行事をやらせていただいております。まず5月の4日に開催される降誕会(ごうたんえ)というお釈迦様の誕生日に開催される、『花まつり』をやっております。
そして8月の上旬には近くの中学生以下の子どもたちを集めて、この本堂で1泊2日するという催しを『修練会』と申します。8月15日には『お施餓鬼』、24日に『地蔵盆』、8月の下旬、最終土曜日は境内の稲荷をお祀りする『稲荷祭り』、11月の頭に戦没者供養を行う『慰霊祭』をやっております。
最後に大晦日にお焚き上げをし、達磨とお守りの販売や除夜の鐘、訪れていただいた方にぜんざいを無料でお配りするということをやっております。不定期ではありますが、江府町の子供の国保育園の園児たちと座禅をする『子供の国保育園座禅会』というのも毎年行っております。
他のお寺さんの事はあまり把握していませんが、うちは多い方だと聞いております。
そうですね。私が聞いておりますのは、祖父の代でそういったイベントを積極的にやっていたようです。
檀家さんという存在
多くの檀家さんとお付き合いがあると思いますが、副住職にとって檀家さんとはどのような存在ですか。
今までもこれからも、ずっと共に歩んでいく存在であると認識しております。一蓮托生な関係性なのではないのかなと考えております。まだまだ未熟者な私ですけれども、今は温かい目で見守っていただけたらと思います。
檀家さんでなくてもお寺に行ってもいい?
檀家さんでなくても、お寺さんに遊びに行ってもいいのでしょうか。
もちろんです。本当に誰でも来ていただいて結構だと思っております。こちら側から大したおもてなしはできないですけれども、色々な方に訪れていただけるようなお寺にしていきたいと思っております。
住職や副住職のお話を聞かせていただくことも可能でしょうか。
もちろん可能です。私がお話をさせていただくということは、おそらくまだ無いかと思いますが、師匠が話をするということは今までもありました。
これまでにも、お葬式や法事の時に、師匠が話したことをもう一度詳しく聞きたいといった方が、何度かご連絡いただいてお話をさせていただいたということはあります。和尚の不在の場合もありますので、事前にご連絡いただけたらと思います。
東祥寺に寄付したい、東祥寺のために何かしたいという方はどうすればいいですか。
基本的にはどのような方の寄付も承っております。寄付というのは、する方のお気持ちだと思っておりますので、そこに檀家さんであるとか、そうでないとかといった区別はないのかなと思います。
instagramアカウント
東祥寺さんはInstagramのアカウントも開設されました。
私もSNSに疎いところがありまして、まだ具体的なことは決まっていないのですが、東祥寺を知っていただけるいい機会になればと考えております。
お寺さんの情報発信について
インターネット時代、SNS時代ではありますが、お寺さんの情報発信についてのお考えをお聞かせください。
これはお寺さんによって本当に様々な意見があります。私自身は、情報発信については肯定的な意見を持っています。本来であればお寺に訪れていただいて、和尚の話を直接聞いて帰っていただくというのが理想ではあります。
しかしこのご時世ですので、知ってもらう、触れてもらうということがやはり重要ではないかと思っております。しかしそれと同じくらい重要だと思うのが、どのように伝えるかということです。ネット社会では見えない相手に発信していくことになるので、誤解や勘違いを生まないように情報発信をしていくというところも重要なポイントだと思っております。
コロナ禍において、お寺さんの中で変わったことはありますか。
基本的にうちはそこまで変わってはいない方だと思います。実際にこちらで法事をすること自体は変わらないのですが、来られる人数が少なくなりました。県外に出られている方は自粛されるような形になっていました。
お寺をもっと楽しむポイント!
私たちがお寺を訪れる際に、知っておくと楽しめるポイントはありますか。
私だけかもしれないのですが、訪れるお寺の時代背景を感じたいと思っているので、色々知っておくと楽しめるかもしれないですね。東祥寺の場合ですと、そちらの塀には四角い穴が空いていて、塀の内側から兵士が銃を撃つために開けられた『狭間(さま)』といいます。
これは江戸時代、要所であった東祥寺に対して、当時治外法権を持っていたと言われる大山寺の僧兵がここに押し入り攻め入られないように作られたものだと言われています。そういった時代背景の名残が今もあるということです。こういったことを知っておくと、建物や屋根にも目が行くかもしれません。私はそういった楽しみ方をしております。
古川泰弘の素顔に迫る
幼少期や学生時代について
幼少期や学生時代についてどのように過ごされたのか教えてください。
幼少期はあまり記憶には残っていないのですが、母親に聞いたところ、走るのが好きだったようです。鬼ごっことかもよくやっていたので、活発な方だったのではないかと思います。
中学生から高校生までは軟式野球、硬式野球と、ずっと野球をやっていました。同級生とバカやっていたなという記憶があります。大学生は所謂ちゃらんぽらんと言いますか、本当に何も考えずに日々を過ごしていました。収穫があったと思えるのは、県外の色々な考えを持った方と触れ合う機会があったのが一番の財産だったのではないかと今になっては思います。
自分の家が他の家と少し違うと気が付いたのは何歳くらいのときですか。
はっきりとは覚えていないのですが、小学生の頃だったと思います。毎年古川家では、京都に家族旅行に行っていました。
その日も楽しみにして旅行に出たのですが、出発から10~20分後くらいに父の方に電話がかかってきまして、お葬式が入りました、と。その時にUターンしてそのまま帰るわけです。小学生ながら私も、文句も我儘も言えるはずもなく、仕方ないなと悟った時に、そう感じました。
家族のエピソード
家族や姉弟とても仲が良いですよね。何か家族のエピソードがあれば教えてください。
家族は仲が良い方だと私は思っています(笑)。古川家では昔外で飼っていた犬がいて、よく境内から脱走して町中を家族全員で分担して探したという記憶はよく覚えています。それも1回や2回ではなく、10回は逃げていたと思います。その度に古川家の裏庭が、犬に対する警備が強化されていったという思い出があります。
お寺を継ぐ決心をした時期やきっかけ
寺の後を継ぐ、出家をすると決心したのはいつ頃ですか。きっかけは?
元々お寺に住んでいるという自覚はありましたし、近所の方々や檀家さんの方々に「継ぐんだろう」と言われていたのですが、私自身はちょっと嫌だったのです。ですので、あまり考えないように、大学の就活の時期まで目を向けないようにしていました。
ですが、実際継ぐか継がないかという二択を迫られた時に、私が継がなければ、家族全員がこの家を出なければいけない、自分が住んでいた場所に帰られなくなってしまうといったことを考えた時に、それは寂しいと思い、大学の就活シーズンの最後に決断しました。
出家、修行とは
出家する、修行するというのは具体的にどういったことなのでしょうか。
まず現代の出家とは、家族や友人などの俗世からのコミュニティから自分の生活を絶ち、仏教のコミュニティに自分の身を置いて修行するといったことを言います。その後はそれぞれの宗派の取り決めに従い、和尚の資格を取るということになります。
仏教の修行は宗派によって異なるのですが、私たちの禅宗の場合ですと、禅宗というだけあって座禅に重きを置いて修行を行っておりますので、それが主となってお釈迦様の教えに近づくといった形になります。
期間は宗派によって異なりますが、黄檗宗は原則1年以上となっております。私の場合は少し特殊で、まず師匠に臨済宗の僧堂に行くよう言われ、神戸の祥福寺僧堂に2年半行きました。その後に黄檗山萬福寺に1年数か月行って、トータル3年半~4年弱修行させていただきました。
4年近く修行していましたので、たくさんあります。その中でも一つ挙げるとするならば、1年目の最初、入ったばかりの頃に、お釈迦様が沙羅双樹の木の下で8日間寝ずの修行をされ、8日目の朝に、明朝の朝日を見られて悟りを開かれたという言い伝えにちなんで、禅宗の修行宗道では全国、臘八大摂心(ろうはつおおぜっしん)という、12月1日から8日目の朝まで寝ずに座禅を組むという修行を毎年行っています。それを初めて体験した時に、自分の精神と肉体の限界を感じられたと思います。
自分では寝ないように努力はするのですが、やはり寝てしまう時があります。その時は叱咤激励の意もこめて警策という木の棒で叩かれるわけです。私はそこで7日間で700発くらいは叩かれ、背中がすごいことになりました。
修行を経て、成長したところ
ご自身が成長したと感じる部分やここが変わったと思われる部分があれば教えてください。
本当に関わる人間の見方が変わったと思います。個性といいますか、そういったものが人間の内側にあるのだということを強烈に感じました。
修業を終えられ東祥寺に戻ってこられた際には皆様大変喜ばれたことと思います。
本当にありがたいことに、皆さんに喜んでいただきました。檀家さんの方々には「よく跡目が帰ってきてくださった」と言ってくださる方もいれば、涙を流してくださる方もいらっしゃって、本当に背筋が伸びる思いでした。
宗教、宗派の違いについて
宗教の違いや宗派の違いについて、古川和尚のお考えを教えてください。
私自身が勉強不足で、他宗派のことはまだまだ言えないです。ただ、捉え方によっては大きな違いはあるかもしれませんが、ゴールは一緒なのではないかと思っております。そのゴールに行きつくまでの手段や方法や考え方が多少違うだけなのかなと思います。
この仕事をしていて嬉しかったこと
この仕事をしていて嬉しかったことを教えてください。
まだまだ日が浅いので、日々失敗ばかりで、辛いことの方が多いのかもしれません。ただやはり、町中で声を掛けられると非常に喜びます。こんなで良いのかな、受け入れられているのかな、と色々なことを日々考えはするのですが、声を掛けられると、日々頑張ろうという気持ちになります。
江府町の魅力・好きなところ
改めて地元に帰って来られて、江府町の素晴らしい場所や思い出を再認識することがあると思います。
元々こちらに18歳まで住んでいたのですが、やはりその時はここの住民性だとか、この町がどうだといったことはあまり考えたことがありませんでした。しかし9年ほど関西にいて帰ってきた時に、やはりあたたかいなと思いました。町の人が手を取り合って助け合っていて、本当に横の繋がりが深いという印象を受けました。
個人的な思い出としては、外で遊ぶのが好きだったので、友達と日野川に行って、裸で遊んだり、釣りをしたりして、川にものすごく思い出があります。
最後に
今後の夢や目標
明確な目標はまだ立っていないのですが、やはり檀家さんやこの町の方に安心して住職として任せていただけるような一人前の和尚になりたいという気持ちがあります。
お寺としては、やはり江府町はこれから益々過疎化が進んでいくので、そこに手助けできるような、活性化できるようなことが少しでもできたらと思います。
読者へメッセージ
浅学非才で勉強不足ではありますけれども、これからもご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いできたらと思っております。この度はありがとうございました。
今回の鳥取×働く人は黄檗宗東祥寺の副住職、古川泰弘さんでした。古川さん、ありがとうございました。
古川 泰弘(フルカワ ヤスヒロ/タイコウ)
黄檗宗東祥寺 副住職/和尚
1994年5月19日生まれ
鳥取県日野郡江府町出身
黄檗宗東祥寺の長男として生まれた古川泰弘は活発な子だった。走るのが好き、泳ぐのが好き。日野川で裸で泳いでは風邪をひいてしまうこともしばしば。
お寺の家族は、旅行に出かけても急にお葬式が入りすぐさまUターン。文句を言わず、嫌な顔一つせず我慢していた。我が家ではそれが"普通"だ。
跡取りとして期待された彼は、大人達によく声をかけられた。まだ幼くとも、大人達が言っている意味は理解できた。それが少し嫌だった。
中学生、高校生と野球を続ける。大自然で育った彼は、やはり体を動かすのが好きだった。その後は大学へ進学。
大学生時代は同級生と何も考えずに楽しく日々を過ごしていた。あの頃にもっと勉強をしておけばとも思うが、別の地で生まれた様々な友人達と過ごした時間はかけがえのない時間だった。
そして就活の時期に。ここまで目を背けてきた実家のお寺を継ぐという現実と向き合わなければいけなくなった。
自分がお寺を継がなければ、家族全員がこの家を出なければいけないという事がとてつもなく寂しく感じた。彼は大学の最後のシーズンに出家する事を決断する。
出家するという事は俗世との繋がりを断ち、仏教の世界に自分の身を投じる必要がある。それは家族や友人、愛する人との別れを意味する。
臨済宗祥福寺僧堂で2年半、黄檗山萬福寺で1年半弱という4年近い期間、修行に励む事となる。決して短い時間ではない。
一回りも二回りも成長して日野郡江府町へUターン。逞しく成長した姿に目に涙を浮かべる人もいた程だ。
物心つくかつかない頃からわかっていた。
ずっと考えないようにしてきたこと。
目を背けてきたこと。
家族のため、
地域のため、
そしていつか、
愛する人を守ってゆくために。
日野川で清められた彼の心は、
常に誰かを想い敬い優しさで満ちている。
『-blue water-』
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https://www.instagram.com/tousyouji.kofu/
インタビューを終えて
檀家さんでなくても遊びに行けるので気になった方は是非!
古川泰弘さん、ありがとうございました!
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