コンセプトムービー『KASUMI』
日南町霞神社の神主、伊田廣長さんの出演
神主のお仕事
自己紹介
霞神社の歴史
今の霞神社という名前に改められたのが大正7年です。そこから平成18年、僕が中学2年生の時に、実家ごとお引越し、神社でいうと"遷宮"というのですが、今のこの場所に新しく神社の立て直しをいたしまして、今日に至っています。
後に、これは相当珍しいことだったのだと知ることになりました。他所でも、神社ごと引越しすることは特殊なことだと思います。母屋だけという話はよく聞きますが、家プラスお宮というのは無いことですね。そういった理由でまだ建って間もないので、比較的新しい外観となっています。
霞神社の祈祷
予約・お問い合わせ
準備や心構え
霞神社の在職神職
年間行事
7月の末には夏祭り、秋季例大祭は10月の第4日曜日にあります。その他七五三等のシーズンに合わせて行うお祭りを例大祭の前後に予約をいただいて執り行うこともあります。
コロナ禍における神社
そういった方たちとお祭りが終わった後に、お供えしたお酒を一緒に酌み交わしながら、今後の神社がどうやって発展していけるかといった話し合いの場である『直会(なおらい)』が必ず予定されています。
しかしコロナ禍となり、閉鎖的な空間で人のたくさんいる中での飲食となりますので、現在直会は町内どこもやっていないかと思います。神主さんがお祭り後に、参加していただいた他所の神主さんと少しお茶をする程度になっています。
またどこの神社さんでもそうだと思いますが、祝詞の内容にも変化があります。お祭りの中で必ず読む祝詞は、土地のこと、その土地に暮らす人々のことを思いながら上げるものです。その中でも"一日も早いコロナの終息"といった一文が祝詞の中に出てくるくらい、やはりコロナ前後で如実ではなくとも、神社界でもそういった影響は少しばかり見られました。
神主が教える!神社巡りの楽しみ方
今まで見たことのある作品の中でも少し調べると、こういう神様や神話のネタが使われていたんだという発見があります。もしもアニメなどの文化が好きな方がいらっしゃれば、ぜひ作品の背景を読み解いてみてください。
実際の神社や背景をモチーフにしている所もありますので、聖地巡礼ではないですが、そういった場所にも足を運んでいただければと思います。
作法やマナーについて
入ってからの参道の正中、真ん中は神様のための通り道なので、参道に足を踏み入れた先はセンターラインを踏まないように両サイドを歩く、くらいですかね。これくらいのことだったら、少し知っている人であれば一般常識かもしれないですが、知らない人は知らないままですので。それをしないからといってどうという訳ではなく、あくまでも自分の気持ちの問題です。もし初めて知った方がいらっしゃれば、神社のお参りの際には心がけていかれればいいかと思います。
伊田廣長の素顔に迫る
幼少期・学生時代
小学生くらいの頃は、自分で言うのはあれですが、本当に元気が有り余っていて、人と話すのも大好きで、人とわちゃわちゃしているのが好きなタイプでした。しかし中学に入ってからそういう自分を塞込もうと思ったタイミングがありまして。
平たく言えば中学の時に軽いイジメにあっていて、それが今思い返せば、僕の方にも原因があったのではないかとは思います。良く言えば元気いっぱい、言い方を変えるとちょっとウザい奴だったのですが、それを、中学になって「もしかして自分ウザいのかな」と思い至ったんです。それが今でも正解かどうかは分かりませんが、多分そうだったんじゃないかと。じゃ、こういうのやめようと思って。
大嫌いと思っていた家族、親、死んだおじいちゃんやおばあちゃんも、今では大好きですし尊敬もしています。歳が重なってからでないとなかなか気が付けないこともありましたね。だから幼少期は色々葛藤もありましたし、個人的に辛いと思うことがあって、それを他人のせいにして周りに当たり散らすような、どこにでもいるような奴だとは思いますが、そんな感じでした。
他の家と少し違う?
なぜならうちに神社があるから(笑)なんなら、小学生の頃から大晦日には自分のところのお宮に上がって、当時はおじいちゃん、今では親父の手伝いを家族皆駆り出され、訳も分からず寒い中お手伝いをしていました。やはり中学生、高校生になった時にはそれが当たり前だと割り切ってはいたのですが、そういうイベントがうちはできません。
友達の中に家業で酒屋さんを営んでおられる子がいました。家でやる仕事があるのは同じはずなのに、向こうはものすごく自由に見えるんですよね。向こうはうちをどう見ていたかは分かりませんし、隣の芝は青いということだとは思うのですが。向こうの家の苦労は何も知らないので、楽しそう、羨ましい、なんでうちは、とすごく思っていました。オフィシャルなイベントが楽しめないんだなと感じていました。
跡継ぎという重責
そして悲しいことなのか、僕は小さい頃から夢や目標が無いまま成長していってしまったんです。何か興味のあることややりたい仕事、具体的な目標がもしあれば、そういう道に勧めさせてくれと家族と話す機会もあったかもしれません。しかし本当に自分がどうなりたいかという明確な目標や夢が無くて、どうしようどうしようと考えてパッと見たら神社やないかい!って(笑)
ただ、神主は本当に嫌だったんです。何が嫌かは無いんですけど、嫌なんです。これは神主になってから色々な神主さんとお話させていただく機会がある時に、「俺も、俺も。若い時ってそうだよな」と皆さん似たような経験、思いを持って過ごされて、今神主をやられている方が結構いるということを知りました。だから自分がそんなに特別というわけではないとは思います。
高校生の時に、小学校の卒業文集を読み返す機会がありました。20歳の時に亡くなったおじいちゃんが、当時は宮司としてやっていた頃の文集です。その中に将来の夢として『神主になってあとを継ぎたい』と書いたことは覚えていたんです。こう書いとけば皆喜ぶでしょ、という感じで。そして覚えていなかった部分に、『おじいちゃんを楽させてあげたい』と書いていたんです。
じゃあ、やりたいこともないし、一度初心に帰って、この気持ちに従ってみようかと思ったのです。
しかし、僕は神主に資格がいるということを高校3年生で初めて知ったんですよね。エスカレーターでなれるんじゃないのって(笑)高校3年生の夏まで進路が決まっていなくて、進学なのか就職なのかそれすらも全く決めてなかったんです。
そこで、神主専門の学部・コース、大学生をやりながら神主の資格を得られる、というお話を初めて聞かせてもらいました。その方は見た目も若々しくてイケメンで、趣味がバンドでギターをされている方でした。
その方は僕が言うことを当時全部肯定してくれて。「分からないことが当たり前だから。なった先もどうなるかなんてわからないものだから」と背中を押してもらいました。
最終的にはそれが東京にある大学で、東京で送る大学生活に惹かれた部分もありました。決して最終的によし神主になろう、と決心してそこの大学に行くことにした訳ではなかったんですよね。
國學院大學神道文化学部へ進学
専門的にどうしてもこの授業を学びたいとモチベーションのある方は、もちろん大学に行かれる選択肢もありかとは思います。しかし経済的、時間に余裕がない人は、集中的に神主のイロハを1~2か月の期間で学んで資格を取るという方法もあります。これは全国どこにでもある、支所のようなところですね。結構そういうパターンの人も多いです。
大学の雰囲気
この勉強がどうしてもしたい、古事記をもっと読み解きたい、神話をもっと勉強したいという、神社のルーツ・根幹に関わるようなことを勉強がしたいというモチベーションを持って来られる方が2割。
あとの1割は本当に少数派でしたが、元々他大学に行かれていた人が、色々な事情があってそこに通うのを諦められて、うちに入ってきたという人です。多分ですが、学部とかどういった内容の勉強をするかをあまり検討されずに入られた人なのかな、という方もいらっしゃいました。
僕が通っていた大学は、祭式を学ぶ専用の教室がありました。そこに入って、お祭りの色々なシチュエーションを、基本的なところから教えていただきます。それがあるのが2年生になってからです。
1年生の時は基本的には座学でした。神主の衣装は自前で用意しなければならないので、祭式の授業があるときは、教科書を詰めたカバン、プラス衣装を風呂敷に包んで通っていたので、結構手間だったように記憶しています。
明治神宮の中にいる神主さんの講習もありますが、普段やっていることを、場所や環境、教えてくださる人が変わっただけで、基本的にはそこでやる実習は大学でやることと大きな差異はありません。
実習期間は1週間くらいで、行かせていただく神社さんによって実習内容は違います。伏見稲荷神社に行かれた方はご存じかもしれませんが、千本鳥居を潜った先が山になっています。そこを夏に汗だくになりながら上がって、山の上にあるところでお参りをして下山するというカリキュラムも組み込まれていました。他にも、『着装』といってお祭りの時に着る専用の衣装に着替えるのですが、そのお宮の宮司さんとなると衣装もすごく豪華で。そういった着替えを補佐する…といいますか、僕らが上から下まで着させていただくんですね。その着装に長けた方に一から教えていただいて、実習に参加した人同士で実際に着装をやることもありました。
そして地元へ
戻るのを辞めようかと思い、先にこっちで職を決めようかという動きも若干はやっていましたが、全く決まらなかったんですよね。勤めようと思ったのは一般企業ではなくて、神社さんのところに就職活動をしていましたがダメでした。
僕、大学3年の時に「もう無理だ、限界だ、辞めさせてくれ」と親族の集まりの中で言ったことがありました。長期休暇で実家に帰省していた時に親戚の集まりがあり、この場で言おうと考えていて。
まずはワンクッション置くために、先に叔母夫婦の家を訪れ伝えました。そこでてっきり怒られると思っていたのですが、「辛かったんだね、よく頑張ったね」とこちらが泣きそうになるような言葉をもらったんです。ここで少し手ごたえを持って、いざ家族のいる本丸へ。
今思えば、大学生活については母親に一番心労を掛けさせてしまったと思います。大学に入学して、こんな田舎で育った奴がいきなり大都会に行き何をしたかというと、当然遊びますよね(笑)確かに神主の資格が取れる大学に通ってはいたけれど、決してなりたいという強いモチベーションを持って来た訳ではないので、数ある誘惑にものすごく負けて(笑)大学生の時にずっとストリートダンスにのめり込んで、結果どうなったかというと、1年生の時の総獲得単位数が9単位でした(笑)普通その4~5倍はあると思います。
テストも受けていなかったです。そもそも1年の頃は大学の仕組みもあまり分かっていなくて、どうすれば単位がもらえるかも知らなかったんですよ。テストを受けないと何にもならないんだと(笑)
そういうこともあって、大学3年生で辞めようと思う、という身勝手にも程がある発言をしてしまったので、母親は泣き崩れてしまいました。
その時は「ああ、やってしまった」と。まだ怒られた方が良かったと思いましたね。
3年生の時にゼミが始まって、2年間同じ先生の元で授業に参加し、自分でテーマを考えて、それについて論文や書籍を紐解いて勉強し、3年の終わりに中間レポート、大学4年の最後に所謂卒論を提出することになりました。大学3年の時に、興味も何もないカテゴリーのものを何か一つ取り上げて、興味のない論文を紐解いて、労力も時間もかけて完成させるということが意味が分からなかったのです。何とかそれを1年はやってきたけど、もう一年続けるのは絶対に無理だと思って。
「辞めたい、疲れた、もう無理だ、僕結構頑張ったけどもう無理だよ」という気持ちでした。
俺は何なんだろうと思い2年生で心を入れ替えて、毎日授業を受けて何とか単位の巻き返しを図ったりもしていました。それが3年生のゼミでまた心が折られて、やっぱり無理だと。よくよく考えたらそこまで神主になりたいとも思わないし、神主になってやりたいことなんて何もないし。
それを伝えたら想像だにしていなかった反応が返ってきまして。結局、やはり母親が泣いてしまったということがきっかけとなったのかもしれません。これはダメだな、言ってはいけないことを言ってしまったと思い、数日後にはもう少し頑張ってみると伝えて、学校に戻り、1年間頑張ってやりきりました。
初めて何かをやり抜いた
例えば小学校の頃も4年間野球をやっていて、それでやりきったなと思って。野球は大好きでしたし、中学でも野球部はあるし、中学の顧問の方から野球部の誘いもあったのですが、それもなんか嫌だと思って。
小さい町なので同級生で中学も野球をするであろう奴が何人かいて、頭の中で打順やポジションをシミュレーションしたら、僕入る所無いじゃんって。今では試合に出てスタメンに入ることが全てではないとは思えるのですが、当時は試合に出られないならば「じゃあいいや」と、そこで頑張ることはできなかったんですね。
小さい頃にやっていた書道でも段を持っていたので、やはり級で終わらず段がいいなと思いました。そして段獲得のためだけに3年間頑張って、結局初段はいただきました。でもそこでやっぱり終わっちゃうんですよ。初段取れたからもっと上を目指すとかは考えない。何かに一生懸命にはなれるけど、決してその先は…という。飽きやすくって(笑)
自分の中で一定のところまでできたらもういいやとなっちゃうんですよ。
この仕事をしていて嬉しかった出来事・エピソード
おじいさん生きとったら喜んどったろうで」みたいなことを言われて。ただただ帰ってきただけなのに、人ってこんな風に温かく迎え入れてくれるんだと思いました。決して神主の資格を取ったからではなく、周りから見たら自分のところの神社を受け継ぐために、守っていくために帰ってきたんだと解釈されて、嬉しい言葉を投げかけていただきました。
おじいちゃんの頃から一緒に神社を見守っていただいている総代さんなので、やはりそういった方からすると気持ちもひとしおだったのではないかと思います。
それが今でも忘れられないですし、何かある度にそういう風に言ってくれる人が日南町にはまだまだ沢山いらっしゃるから、頑張らないといけないと思っています。
アニメ話ができる神主!?
神社って決して皆様が思っていらっしゃる程敷居が高いものではないですし、特段用意していただくものもありません。フラットに僕と話すことがきっかけで、色々なアニメ、漫画を知っている人がいるんだと知っていただければ、いつでもお話大歓迎ですので、よろしくお願いします。
神主を志す若者へメッセージ
ですので、決して塞込まない様に。もし僕と全く同じ境遇の方がいるのであれば、絶対に悪いことにはなりません。「神主だから俺の人生もうだめだ」ということは絶対にありません。僕もそれに近いくらいのことを考えてはいたのですが、全然そんなことはありません。確かに気は進まない、乗り気にはなれない、勉強できるかどうかも自信がない…ものすごくよく分かります。
でも、それを全部乗り越えて神主になって、それをご家族や昔から知っている地域の方に、僕がしたような報告をすると、ものすごく喜んでくれます。どれだけくじけたり心が折れそうなことが何度あっても、それを乗り越えるということも人生の中では欠かせないことだと思います。僕がそうであったように。大学生活での色々なことを含めて全部が財産になります。思い起こせば、望んだ大学4年間ではなかったけれども、絶対に経験しておいてよかった4年間だったと思えますので、恐れずに挑戦していってもらいたいです。
最後に
今後の夢や目標
次の世代、そのまた次の世代、というリレーを僕で途絶えさせるわけにはいかないとは思います。これはどこの神社さんでも共通して、跡継ぎ問題の悩みが尽きないと思います。やはり御多分に漏れずうちの神社もそのうちの一つです。次に繋げるために、平たく言うと嫁さんですね(笑)一生独り身だったらこのリレーはここで終了してしまいますので、何が何でもパートナーを見つけて、今僕が持っているバトンを、次に生まれてくる自分の息子や娘に渡して、それを次に繋いでくれるまではやはり見届けたいと思っています。
読者へメッセージ
まず誤解の無いように言っておきたいのですが、今どきの若い神主さんが全員僕みたいなやつでは無いということです。きちんと信念や志を持って活動している若い神主さんも沢山いらっしゃいますので、僕が若い神主代表というようには思わないでいただきたいです(笑)
日南町という足を運びにくい土地にある神社ですので、もしこのインタビューをご覧になって興味が沸いた方でも、なかなか腰が上がらないと思う方もいるかもしれません。僕も、不便だとは今でも思っています。しかしここ最近になって自分の住んでいる町が好きになってきているんですね。何がきっかけということはないのですが、やっぱりここいいよな、とじわじわと自分の中で思い始めた状態です。
本当にどなたでも、理由は何でもいいので、日南町というところに霞神社があるということだけでも、覚えていただけたらと思います。その中でも、もしアニメや漫画が好きだったら、いつでもいくらでもお話のお相手にならせていただきますので、よろしくお願いします。
霞神社 神主/禰宜
鳥取県日野郡日南町出身
1992年1月21日生まれ小学生の頃は野球をやり、中学生では剣道を始めた。変に機転が利く分、頭の中でシミュレーションをしてしまう自分がいた。自分の限界をすぐに決めていた。だから何事も長続きしなかった。
それでも他の家とは違う神社の子は、次第に神社を継ぐという現実を受け入れていかなければいけない。その反動で思春期には親へ反発していった。
幸か不幸か、自分の中の限界をすぐに決めてしまう彼にはしたい事がなかった。進路を決めなくてはいけない高校3年生の頃に、神主になるには資格が必要だという事を知る。
結果的に両親の期待に応えてか応えずか、國學院大學神道文化学部へ進学。鳥取県日南町で育った彼にとって、東京の街は何もかもが刺激的であった。1年生の頃は綱渡りで単位を取得していく事となる。
真剣に打ち込めないまま大学3年生となる。その感情とは裏腹に、講義や実習も本格さを増していく。自身の熱量とのギャップが拭い切れないものとなっていった。
よく思い返せば神主になりたいわけではない。大学を辞めたいという言葉を親に突き付けた。そして目にしたのは母親の涙だった。もうあの頃の反抗期の自分とは違うんだ、と彼はそこで知ることとなる。いつも強かった凛とした母親の涙が、彼を強くした。
大学へ戻り卒業。そして鳥取県日野郡日南町へ戻ることとなり、晴れて神主へ。大好きだった祖父と同じ仕事だ。
式典では人とは違う格好をして、大きな声を出して注目を浴びる。子供の頃は恥ずかしいと感じていた仕事が、今では少し誇らしく思えた。
彼が人生の中で、初めて何かをやり抜いた瞬間であった。
霞んでいるが淀んではいない。
霞んでいても濁っていない。
人々の息遣いがより深い"霞み"を生み、その"霞み"は山々をより美しく引き立て、人々の生活を豊かにした。
彼の未来もまた、霞んで見えているが淀んではいない。
『- KASUMI -』
インタビューを終えて
伊田廣長さん、ありがとうございました!
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