多分野でマルチな才能を発揮している文化人の登場
今回ご出演いただくのは石橋直子さん。 マルチにご活躍されている石橋直子さん。何をされている方だと説明すれば読者に伝わりやすいのでしょう。普段、ご自身の事をどういう風に紹介されていますか?
時と場合によりますが、「吟士」を名乗ることが多いですね。旅する吟士(笑)芸事の多くに共通することかもしれませんが、身近にいないと、なにやってる人か分からないじゃないですか(笑)で、「え?なに?」って、興味もってもらいたいな、と。
そういう"何をやっているのかよくわからない人"を掘り下げて、取り上げるのが当メディアの目的でもあります。きっと、興味を持っている読者が多いと思います(笑)
うちのメディアとしては初めてとなる学校の先生の出演。しかも国語教師。そして物書きさんとしてもご活躍されています。すごく緊張しています(笑)だって、テキストとして残るから。というわけで、記事の編集まで願いしていいでしょうか?(笑)
マイナーなことばかりやっている私ですが、取り上げていただいてありがとうございます。
そう、国語教員と、細々とした物書きもやっています。読むことと発信することが好きで、気がついたら、こんな感じになっちゃってました(笑)
国語教員としての"石橋直子"さん
高校時代の古典が楽しかった
ここからはそれぞれの活動について掘り下げて聞かせていただきたいと思います。 様々な活動をされている石橋さんですが、生活基盤としては県立高校で国語教諭をされています。 いつから教師になろうと思ったのですか?
「なろう」と明確に決めた日があったかどうか…。
ただ、高校時代の古典の授業が楽しくて、恩師も楽しそうで、一つの生き方として、魅力を感じていたことはよく覚えています。ちなみに、そのときの夢は、大きな車を運転して移動図書館をすること、でした。とにかく、本と一緒に生きていたかったんでしょうね。
分担すること、共有すること
移動図書館、楽しそうですね。 教師・教員という仕事をしていく上で大切にしている事や心がけている事を教えてください。
分担すること、共有すること、ですね。
もともと人を頼ることが苦手な方で、それで結果的に迷惑をかけてしまったことや、もっと周囲に助けを求めていればもっと上手にできただろうなっていうプロジェクトがたくさんあって…。それに、自分とは違う人と協働できた方が、はたらいていても面白いし、生み出されるものにも広がりがあるんじゃないかと。
教師という仕事の魅力
教師という仕事の魅力、やり甲斐について聞かせてください。
私は「読みもの」が好きなので、授業のために読み解いたり学んだりして伝える、というその一連をお仕事にできているのが最大の魅力です。
というと堅い印象があるかもしれませんが、「読みもの」って、対面していない人に共感できたり、なんなら同じ時代を生きることのない誰かの生き方に触れたりすることさえできたりする媒体なんですよね。
これを楽しみながら発信して、生徒と共有できるって、素敵だなって。やりがいも、生徒と一緒に作品を楽しめたとき、ですね。
一人で読み解いていくのも面白いですが、それを自分より若い誰かと共感できるって素敵だと思うなぁ。
あと、生徒の成長を感じたとき。でも、生徒ってひとりでにどんどん成長していくので、そして、そのきっかけってどこに転がっているか分からないので、”やりがい”っていうと、彼ら彼女らに失礼な気もしています。
ともあれ、この現場にいてよかったなあ、って思うのは、そういう時間を過ごしたときですね。
生徒の成長について
人としての成長は成績や点数だけでは計れないと思いますが、石橋さんの考える、生徒の成長について教えてください。
あらためて考えると、成長ってなんなんでしょうね。人によって、また、場面によって違うので、難しいところですよね。
苦手なことや自分の弱さと向き合えるようになることも成長だし、周囲への思いやりを行動に移せるようになった姿にも成長を感じます。
生徒のささいな変化や成長を見つけてくれる先生だと、嬉しいと思います。
自分にも周囲にも優しくなれること、大切にできること。
自分や周囲のことを信じてあげられること。そして諦めずに挑戦できること、が、今、私の考える成長なのかな、と思っています。 数字で計りがたいところにこそ、成長があるし、だから、学校という場に集まり、ともに学ぶことに意味があるのかもしれませんね。
生徒から学ぶこと
では逆に、生徒から学ぶ事、成長させてもらう事について、石橋さんの体験やお考えを教えてください。
学ぶこと、たくさんありますね。生徒と過ごすなかで自分の成長の必要を感じることも。高校生って、大人なので。
ひとつの人格として向き合っていると、彼ら彼女らが、私自身に足りないものをもっていると感じる場面もたくさんあります。
高校生はとても大人ですよね。皆がそれぞれ、もう自分の世界を持っている。
気配りができる、行動力がある、我慢強い…。挙げはじめるとキリがないのですが。 あと、生徒から怒りや不安や不満、悲しみなんかをぶつけられて、自分の足りないことに気づく、という体験もしてきました。
これも、成長って言えるんでしょうか。 こちらが様々な道を示したり、範を示すことも大切ですが、一緒に学んで一緒に育つ、というのも一つの理想ですね。
働く前と働いてからのギャップ
教員として、働く前と実際に働いてみてからのギャップはありましたか?
たくさんありました。学生時代の私は「先生=授業をする人」だとばかり思っていたのですが、実際は授業の時間と同じかそれ以上に、授業準備の時間や事務仕事の時間、部活動の時間があるんですよね。
思い返してみると、自分達が遊んでいる時間も先生はずっと何かしていたなぁ(笑)
古典の授業をする先生の姿を見てこの道への思いを強めただけに、そうした授業以外の時間こそ、驚きの連続でした。現場に出て最初に衝撃を受けたのは、キャリア関係なく「部活動顧問」になるんだということ(笑)私は一年目に未経験の弓道部を担当することになり、最初は不安でいっぱいでした。
キャリア関係ないのですね。しかしながら、関係ないとは言え多少は優先されるようなイメージを持っているのですが、どうなのでしょう。
あ、もちろん、得意分野がある方は、そちらで活躍できるような配慮があると思いますよ。その部活での経験があったり、専門的な指導ができる教職員が得意を活かせる部活動の顧問となったら、生徒にとっても教職員にとっても、幸せですしね。
そういうの、よく耳にしますよね。「あの顧問の先生、昔はその道ですごい人だった」って。
ただ、部活動も多様化しているし、必ずしも高校時代の経験と担当部活動が合致するわけではない、というところでしょうか。
それに私は、これといって得意分野がなかったので…。それこそ、生徒と一緒に学び、一緒に成長させてもらった部活動経験でした。
弓道部の顧問として
未経験の弓道部の顧問となる事が決まってから、まずはどういった事に取り組まれたのですか? 私なら…うーん、とりあえず一旦Google先生に聞いてみようかな(笑)
幸いなことに、地域の指導者の方が定期的に来校して指導してくださる部活動だったんですよね。だからこそ未経験者に任されたのではないかとも考えられるのですが…。
その方に教えていただきながら生徒と一緒に練習したり、地域の社会人向け弓道教室に通ったりしていました。そのまま地域の弓友会に入って練習していた時期もあったりして、気づけばまもなく弓道部顧問歴が10年に届くんです。ご縁ですね。
まさしく生徒と一緒に学ぶ、素敵だなぁ。 地域の教室や会に入られたりと、正面から弓道を向き合われたのですね。
正面から、かどうかは分かりませんが、とりあえずやってみようと取り組んでいるうちに、なんとなくこの部がしっくりくるようになって。これはあとから分かったことですが、弓道って年齢を重ねてもできる武道ですし、全ての高校に部活動があるわけでもない。
そのためか、未経験で顧問になって、それから始めた教職員仲間が多いんです。そんな背景もあってか、最初から他校の顧問の先生方にあたたかく迎えられ、色々と教えてもらえたというのも、弓道部に身体がなじんできた大きな要因の一つだったと思います。
なるほど。そう考えると皆さん、乗り越えてこられた道ですね。 私も、もちろん未経験なのですが、"弓"ってカッコいいですよね。構える佇まいも凛々しい。テレビゲームなどで弓が武器として選べる場合、迷わず選びます。おっと、話がそれてしまった。
嬉しい脱線、ありがとうございます。実は、去年は弓道のアニメもやっていたんです。かっこいいっていうイメージが広まって、新入部員が増えると嬉しいなって思っています(笑)
本当にかっこいいと思います。"光"とか"聖"属性っぽいイメージとかありますし(笑)
話しを聞くと、教員側にとっても大人になってから新しい事に取り組むキッカケになるのかもしれないですね。もちろん、取り組み方は先生によって様々だとは思いますが。
そうですね。少なくとも私は、部活動のおかげで、新しい世界を知ることができました。
あと、失敗や挫折とのつきあい方が少しだけ、しなやかになったかもしれないですね。新しいことに挑戦すると失敗することだってあるじゃないですか。
新入部員と昇段試験受けたのに、自分だけ落ちちゃったりとか(笑)学生時代から、体育は苦手だったんですよね。
最初から抜群の指導力を誇る先生だっているけど、私の場合は、苦手なこと、弱みや、失敗、そんなものを共有することで、だんだんと弓道部の一員になってきたように思っています。
石橋さんだけ試験に落ちちゃった事もあるのですか!? なんか…可愛い先生だなぁ(笑)
何でもスーパーにこなしてしまう石橋さんにも、苦手なものがあるのですね、これは意外。
いやいや、もったいないお言葉をいただいてしまい恐縮なのですが、苦手なもの、結構たくさんありますよ。とりわけ、運動全般は…。昇段審査のあと、心なしか部員たちが優しく接してくれたように感じました(笑)
ズバリ、どんな先生?
これは…難しいですね。自分ではよく分からない、というのが正直なところです。生徒がよく知っているだろうとは思うのですが、そんなのあらためて聞くことないし、聞いたところで、本当のところは分からないんでしょうね。
答えになっていませんね、すみません。「授業してるとき楽しそうでいい」とはよく言ってくれますね、生徒たちが。
教員という仕事、やはりハードですか?
公のメディアで、仕事のハードな部分や実は休みが少ないといったような話はあまりできないのかもしれませんが、労働時間が長いイメージがあります。
えっと、言える範囲で良いので教えてもらえますか?(笑)
最近は教育現場がブラックだとかブラック部活だとかがメディアに取り上げられるようになってきましたよね。民間でもっと忙しいお仕事もあると思いますし、この現場しか知らない身としてはコメントしづらいのですが…。
部活動のお話しもありましたが、授業以外での業務多そうですし。
今の私の力量では、なかなか週休二日の定時帰宅で仕事を完了するのは難しいですね。部活動をもっていると、生徒が残って活動していますし、それより先に帰宅するわけにはいかないですしね。でも、少しずつ働き方改革を推進しようという動きは出ていますよ。
教育現場におけるIT技術導入
地域によって変わると思いますが、昨今の教育現場におけるIT技術導入、ICT化など教えてください。
ここ数年の変化はめざましいですね。電子黒板や実物投影機、タブレットの台数も増え、授業で活用しやすくなりました。国語はとにかく板書量が多いのですが、その一部、たとえば古典の本文など、電子黒板で映せるようになったことで、これまで板書に充てていた授業時間を、他の形で使えるようになりました。
テストの点数と社会人としての活躍
テストで良い点をとることと、大人になり社会人として活躍する事とどう結びつくとお考えですか。
今のテストだけで計れない社会人基礎力もある、という前提で聞いていただけると嬉しいのですが…、テストで力を発揮できるというのは、学ぶことと向き合えている、とか、自分で学べる素地を養っている、そういったことを意味する側面もあると思います。
学問には知的好奇心や、ある種の忍耐力も必要です。自立・自律ができて実を結ぶもの。
テストで成果を上げたという結果以上に、その過程で養った、自ら学ぶ力とか、それに必要な好奇心や忍耐力が社会でも評価されてほしいと思っています。
勉強へのモチベーション
学校の先生に一度聞いてみたかった質問でした(笑)
石橋さんは特に学生時代、勉強する事へのモチベーションはどのように保っていましたか?
なんでしょうね。得意な科目は単純に好きだから、その思いに突き動かされて学んでいました。あと、授業担当者が好きで、この人に褒めてもらいたい、とか。
確かに、先生のキャラクターや教え方で楽しさが違ったなぁ。やはり、面白い先生の授業は眠くなかった(笑)
でも、全教科にわたっての学び、というと、私のモチベーションの保ち方はかなりネガティブでしたね。自己肯定感が低くって、自分から学問をとったら何も残らないから、そして自分は動き続けていないと自分の価値を喪失していくからって、そう考えて、なかば強迫観念にかられるように勉強してました。
なにもしていない自分を受け入れられない、という傾向は、ずっと自分の中に根を張っていますね。あまりいいこととも思えないのですが…。
一人一人の「自己実現」
先生として、生徒一人一人の「自己実現」に対してどのように向き合っていますか。
難しいですね。そもそも、「実現したい自己」ってなんだろう、というところから始まる問い…。
言葉や文章を生業にしている方に対して、レベルが高いとは言えない質問だったかもしれません(笑)
だんだんと難問になってきました(笑)
「どう生きれば、自分は社会の一員として豊かに生きたと言えるのか」というのは、生徒に限らず、全ての大人、ひとりひとり違うんじゃないかな、と思っているので、まずは、個々の生徒にとって、どの方向を目指し、どう進みたいかを引き出すことが大切なように感じています。
面談や日々のやりとりで、そのあたりをまず言葉にできるように、「いい問いを立てる」というのが私たちの役割の一つかな、と。で、切り拓きたい道が見えてきたら、そこに向かって前向きな努力を重ねられるよう、環境を整えたり、激励したりする、その繰り返しですね。
教育現場のストレスケアについて
働き方改革の話をしていただきましたが、教育現場のストレスケアについて石橋さんのお考えを聞かせてください。
教員の、ですよね。月並みですが、一人で休息できる場所・過ごし方と、安心して一緒にいることのできる仲間、この二つが必要かな、と。
私たちには守秘義務があるので、ついつい仲間内で集って世界が狭くなりがちですが、一緒にいる仲間は、教育現場の人でも、そうでない人でもいいと思うんですよね。安心できること。安らげること。そのあたりが大切なんじゃないでしょうか。私にとっては、教育現場とは違う世界の人と一緒に、仕事と全然違うことを考えたりやったりしてる時間が一番の息抜きですね。
学校の先生を目指す若者へメッセージ
教師、石橋直子への最後の質問。 この仕事を志す若い方、学生の方にメッセージをお願いします。
頑張る姿は美しい。本気でやった先に喜びがある。 子どもたちの姿が好きでこの世界にやってこようとする人には、期待以上のドラマがある現場だと思います。
子どもたちも、そして私たち大人も、たくさんの汗と涙を流します。 学問が好きでこの世界にやってくる人も、毎日その学びの魅力を説いて、自分が学び続けられる現場をお約束します。 他のお仕事同様、けっして楽しいことばかりではないのは事実ですが、やっぱりこの現場は、楽しいですよ。
物書きとして
代表作「おしゃべりな出席簿」
ここからは物書きとしての石橋直子さんに迫っていきたいと思います。 代表作や直近の活動について教えてください。
物書きといっていいのかどうか…。
そして、代表作と言えるかどうかはちょっと自信が無いのですが、一番よく読んでいただいたのは、朝日新聞島根版で月に一回連載していたコラム「おしゃべりな出席簿」ですね。
91回まで書かせていただき、2019年3月の回をもって終わりましたが、4月からは同じく朝日新聞島根版の「元気力」というコーナーの執筆陣に交ぜていただけることになりました。
日々の生活のことをこうして書かせていただけるのも嬉しいですが、物書きとしては、郷土の伝承や、不思議でひっそりとしていて、ちょっと怖い話を書いていきたいな、という思いもあります。
地方文学賞をいただき、発信する契機となった作品は、だいたい、古典ネタか怪談ネタですね(笑)
連載回数91回!
月に1回の連載で91回というのは、かなり長期連載ですね!
はい、ありがたいことに8年間連載させていただきました。内容は、本当にささいな、学校で起こる日々のことですね。
席替えを楽しみにする生徒のこと、学級日誌を英語で書いてきた生徒のこと、文芸部や演劇部の生徒の姿、もちろん、弓道部の生徒たちのことも。ときには生徒から「嫌い」と言われて傷ついたことも、疲れて余裕が無くなっていた頃なんだかクラスとうまくいってないように感じていたことも、そのままに書いてきました。私の成長記録みたいなものです(笑)
すごい赤裸々ですね。連載は終了されたとの事ですが、過去の記事を読める媒体はありますか?
そうですか?生徒も同僚も見るし、それだけに変に飾れないからそのまま書き続けて今に至りました(笑)
ネットでは過去1年分だけ、さかのぼれるようになっています。朝日新聞デジタルの地域コーナーにあります。
http://www.asahi.com/area/shimane/articles/list3300097.html
過去の連載で反響が大きかったもの
過去の連載の中で石橋さんの中でのお気に入り、または反響の大きかったものを紹介してください。
やっぱり、苦しかったときのことを書いた回に思い入れがありますし、そのときは様々な感想をいただきましたね。自分の中で一番記憶に残っているのは、「直子」と生徒から呼ばれていたときのことを書いた回です。
生徒との距離感を見失っているときはいつも苦しい、思ったより心を開いていなかったんだなと感じるときも、たとえ親しみを込めてであれ不本意にも呼び捨てされるときも。
そんなもやもやを抱えていて、クラスともうまくいかなくて、肩を落として入った夜の教室の教卓から、「直子先生、がんばって」って、赤鉛筆の走り書きが出てきたんです。
しかも、はがされた掲示物の裏(笑)「先生」の字が斜めで、あとから付け加えたんだ、と思うとおかしくなった。
というだけの話なのですが、生徒は意外とこちらの様子を見ていて、大切なときは、伝えたいことがきちんと伝わるように、一生懸命言葉を探してくれていたんだということを届けたくて書いた回でした。第8回目ですね。
掲示物の裏というのも本当にリアル。学生時代を思い返した読者も多かったのでは。
教育現場って面白いんですよ。教員になったばかりの頃、「信じて信じて、期待を裏切られたり、傷つけられたりするのも、仕事のうちだ」なんて、先輩から教えられたりもしたけど、その逆もたくさんあります。
そんなエピソードをたくさん書く中で、もしかしたら「かつてやんちゃな生徒だった誰か」に届くことがあるかもしれませんね。当時はそんなことまで考えず、徒然なるままに書きましたが(笑)
元気力について教えてください
石橋さんが新しく加わる事になった元気力、とはどのようなコーナーなのでしょうか。
朝日新聞さんの言葉を借りると、「各界の元気人たちに執筆してもらうコラムです。その人ならではの生き方を通して元気をお届けします。」とのことです。
「元気人」認定されました(笑) 臨床心理士の方も、落語家の方も、農業女子の方もいる、面白そうなコーナーです。
2009年、第1回山陰文学賞エッセー部門大賞を受賞。10年には第11回難波利三・ふるさと文芸賞特選を受賞
2009年、第1回山陰文学賞エッセー部門大賞を受賞。10年には第11回難波利三・ふるさと文芸賞特選を受賞されたそうですが、どのような作品だったのですか。
前者は、「おにごっこの記憶」という作品でした。おにごっことは言いながら、オニ役の子以外は、オニに追われて逃げる「人」ごっこをしている。オニは一生懸命手を伸ばし続けるのに、誰にも届かず、誰からも遠ざけられるばかり。そのオニの孤独を描こうとしたエッセイでした。
私は安来市出身なのですが、安来には「よもつひらさか」と呼ばれる、太古の女神イザナミが夫であったイザナギを追った地があるんです。
亡くなった妻を忘れられずに黄泉の国までやってきた夫だったのに、その死後の姿を見るや、引き返してしまう。イザナミはその夫の背を追って手を伸ばすのですが、懸命に伸ばしたその手は、憎くて愛しい人に届くことなく、現世と常世・死者の世界は永遠に分かたれてしまう、そんな神話があります。
もしかしたら、この憐れな女神の思いが、おにごっこのオニになって、さまよっているのではないか、そんな夢想を好きなように書き散らした話でしたね。
「まつぼっくり咲いた」
後者は、「まつぼっくり咲いた」という作品です。これは老老介護をしていた祖母のことを書きたくて。母方の祖父母が、長く二人暮らしをしていたんです。
私は、おしゃれで元気で、若い頃から「ハイカラ」と呼ばれるような生き方をしている祖母が大好きだったのですが、祖父が倒れ、祖母が在宅介護をするようになる。小学生から高校時代にかけてのことですね。
そうすると、色々なことを我慢して祖母が介護をしているように見えるんです、幼かった私には。
「ハイカラ」と呼ばれるような生き方をしていた人だから、余計に我慢して見えてしまいますね。
高校時代は毎日のように祖父母の家に通っていたのですが、手伝わせてくれないのが歯がゆくて、あるとき、語気荒く「もっと私を頼ればいいのに、なんで自分ばかり犠牲になってるの」と祖母を責めたことがありました。
そのときに、「おそらく人生最後になるこの仕事で、一番いい仕事をしたいの。犠牲じゃない、これが幸せ」、と返されたことが忘れられなくて。その姿、硬い芯をもって花開いたかのような、まつぼっくりに似た祖母の生き様を書こうとしたエッセイでした。 どちらも、私にとって大切な作品です。
素晴らしいですね。現在、この二つの作品をどこかで読む事は可能ですか?
前者は「季刊山陰」の13号に、後者は難波利三・ふるさと文芸賞作品集に掲載いただきました。
少し前の作品ですので、今でも書店に並んでいるかは怪しいのですが、「季刊山陰」は県内書店で販売していますし、島根日日新聞さんに問い合わせていただければお求めいただけるのではないかと。
後者は大田市役所さんが窓口です。でも、両方とも、山陰両県の図書館にはあったりします。
受賞当時の様子、心境など
受賞当時を振り返ってみて、反響や様子、石橋さん自身の心境など教えてください。
そのときの嬉しさと後ろめたさははっきりと覚えています(笑)ありがたいことに、職場ではとても祝福してもらえたんですよね、こっそり書いていたのに、最後に新聞に載っちゃったので(笑)
うーん、こっそりではなくなってしまいましたね(笑)
そうしたら、朝、出勤したときから、まずは警備員さんに「おはよう、これ、あんたかね」なんて声かけられたり。
とても理解のある職場で、受賞翌日は職員朝礼で紹介いただき、さらにはたしか…壮行式だったかな、学校行事の式典でもご紹介いただきました。
もちろん受賞は嬉しくもありましたが、そのころはまだ教員経験一年目で、実際日々の業務をこなすだけで精一杯、ミスも多い、そんな時期だったので、退勤後にひっそりやっていたことを取り上げられることで周りからどう思われるのか、心配だったりもしました。
でも、杞憂でしたね。あとから知ったのですが、県庁や教育委員会では、関係する記事を庁内で回覧しているらしいんです。こっちが勝手に身がまえていただけで、公私の「私」の部分も含めて、受容していただけてたんですよね。
そんな経験もあってか、最近は物書きとしての自分を発信しやすくなりました。最近は、職場でも「○○たより」みたいなのを任せていただくことが増えましたよ。
原稿を執筆してから掲載されるまで
石橋さんが原稿を書いてから記事として掲載されるまでの流れや編集さんとのコミュニケーションなど、教えてください。または裏話など。
駆け出しの頃は、何回か記事のやりとりをしました。担当さんからも、「たくさんぶつかり合って原稿を磨こう」といったことを言われていたので、私が出稿する、直しが入る、でも納得いかない部分は私がまた異議申し立てをする、みたいな。
全部、eメールを介してですね。最近は、原稿を出して、基本的には担当さんに表記のことをチェックいただいてます。
念のため、といった形で、チェック&訂正後の原稿が送られてきますが、内容に大きくかかる変更はないため、そこからこちらが意見することはほとんどないですね。
裏話、というか、忘れられないのは、初代担当さんとの出会いです。最初は、バーの常連同士として、たまたま臨席したんですよね。
お互い、マスターとの会話を聞くに、常連ぽいけど、面識はない。
それなりに意識してたんでしょうね。ちなみに初代担当さんはスキンヘッドのナイスミドル。気になるけど声かけにくいじゃないですか。
そうしたら、あっちから突然、「ねえねえねえ、壊れかけのラジオってさ、壊れてるよね」って、尋ねられたんです。
あっけにとられつつも、「あ、はい、壊れてますよね」って返すと、そのまま、また自分の時間に入っていかれる…。
しかたないから私も隣でゆるゆる飲んでるんですけど、しばらくしたら、「ねえねえねえ、死にかけのばあさんって死んでないよな」って。
私はもともと言葉の使われ方への興味がとても強いので、こういう問題提起がとても面白くて、そこからいっきに意気投合しましたね。
そのとき、先方は私が物書き志望だとは知らなかったのではないかと思うのですが、私たちのやりとりを見ていたマスターが、「この子、いい文章書くんだよ」って紹介してくれて。
思えば、そのバーのマスターが私の作品を読んでくれてて、あ、ジャズバーなのですが、スコアをおいてる本棚の片隅に、私の作品を置くコーナーを作ってくれるぐらい応援してくれてたことが、今につながってるんじゃないかな、と。
一昨年、かな、勤務地の離島・隠岐に遊びに来てくださいました。これからも、このご縁は大切にしたいですね。
言葉の力や可能性、面白さ
文章を紡ぐ事の面白さ、言葉の力や可能性について、石橋さんのお考えを聞かせてください。
なんでもできることと、楽になれること、でしょうか。もちろん、書いているときは苦しいことの方が多かったりするんですけど、締め切りもありますし(笑)、でも、書いて楽になることっていろいろとあるんですよね。
自分の内面を言葉にするって、そういう一面があるのかなと。誰かが書いた作品に触れるときにも同じことが言えて、単純に娯楽として読むこともあるけど、ときどき、まだ自分では言語化できていなかった鬱々とした気持ちとかが、そこに言葉として表現されている、そういう出会いで心が楽になる、または生活が、視点が豊かになる、そんなときがあります。
言葉の力の一つだと思います。 あとは、書くことによって、現実世界では物理的に結びつかないもの同士をつなげたり、映像にはならないような何かを描いたりできるのも文章を書くことの魅力だと思います。
文章を介して、全く違う時代の人に共感できるのも、「書き記す」という人の営みがあってこそ。昔の人が、自分の心が揺れたそのときを、言葉にして誰かに伝えようとして、今に残っている、それが今の人の心を打つ。おもしろいですよね。
物書きとしての目標
今後、石橋さんが物書きとして伝えていきたい事をおしえてください。
私は古典が好きなので、古典作品や昔話、伝承などを身近に感じられる作品を描いていきたいですね。あとは、島根の風景や人を。松江を舞台にした怪談や、戦時中の言い伝え、浦島伝説にまつわる話、隠岐の祭りを扱った小説など書いてきましたが、これからもこんなものを細々と書けたらいいな、と思っています。
旅する吟士『石橋縁岳(えんがく)』
詩吟を始めたきっかけについて
旅する吟士『石橋縁岳(えんがく)』さんとしても活動されています。22才で準師範位を取得されたとの事ですが、詩吟を始めたきっかけを教えてください。
これ、よく聞かれるんですけど、特にそういう「お家」ってわけでもなく、実は、小学校の福祉クラブの活動だったんです。小学5年生の時だから、10歳くらいですね。
担当の先生が詩吟をやっていらっしゃって、福祉施設訪問の出し物として教えてもらいました。
その後、その先生は定年退職されたんですけど、詩吟は継続して教えてくださって…。 今はその先生はもういらっしゃらないのですが、その出会いがあって、現在の私がありますね。
では、小学5年生から22歳で準師範位を取得されるまで、ずっと詩吟をされていたのですか?
そうですね、やめずにずっと。ただ、一度、流派は変わってるんです。大学進学を機に上京したら、これまでやっていた流派の教室がなくて…。
NHKの文化教室で詩吟をやっているところを見つけたので、そこに入門しました。その流派で今も活動をしています。
そもそも"詩吟"とは、どういうもの?
そもそも”詩吟”とはどういったものでしょうか?また、どのような部分が魅力的ですか。
詩歌を味わい、伝えるためのひとつの形だと思います。
漢詩や和歌を吟う(うた・う)芸能なのですが、その基本にあるのは声に出して詩歌を味わうこと、伝えることかなと。古くから漢詩や和歌は声に出して読み上げられていたといいますが、その延長に詩吟があるのではないでしょうか。
丁寧に読み上げ、語尾を中心に詩吟特有の節回しで吟(うた)い上げます。その中で、書いた人の思いを感じ取ったり、伝えるための工夫を凝らすことができたりするのが魅力ですね。
隠岐國縁吟会
離島である隠岐の島への異動。そこから、島に初めてとなる詩吟教室"隠岐國縁吟会"を設立されました。経緯や反響など聞かせてください。
隠岐に異動が決まったとき、実は、松江で教場を立ち上げて1年くらいだったんですよね。松江縁吟会というのですが、このお稽古が継続できるかということに気を取られ、隠岐で教室を開くというのは当初、頭にありませんでした。
高校の近くに隠岐國(おきのくに)学習センターという施設があるのですが、そこのスタッフの方から、ワークショップをしないかと持ちかけられたのがきっかけです。
2回に渡るワークショップで、島にゆかりの偉人・後鳥羽上皇の和歌を吟じる企画をしたのですが、こちらにお越しいただいた方から、これからもやってほしいと言っていただき、隠岐國縁吟会を立ち上げるにいたりました。
後鳥羽上皇の和歌を吟じる企画となると、かなり反響も大きかったのでは。
たまたま、ワークショップにお越しいただいた方の中に小学校の校長先生がいらっしゃったりして、小学校新校舎の竣工式でも詩吟をしてくれないかと丁寧なお葉書をいただいたり、あと、ケーブルテレビのディレクターの方が、後鳥羽院の和歌を吟じる番組企画をやろうとお声がけくださったり。自分で何かをやったというより、ほんと、周りの力でここまで連れてきてもらったような思いがしています。
和歌に長けていた後鳥羽院ゆかりの地ということもあり、詩吟との親和性が高い島だったんでしょうね。人と場の力ですね。まさに、ご縁です。
反響、というか、いろんなところで、「お、詩吟の先生!」と声をかけられます。
島では高校に勤めていることより、詩吟をしていることの方が知られているみたいで(笑)
遠隔詩吟システム
遠隔詩吟システムを導入しようと思った経緯を教えてください。 また、現在はどのような状況ですか?
自分が転勤族であるというのが大きいですね。いつまでも島にいるわけではない。会員さんが増えるにつれて、この会を続けるにはどうしたらいいのかを考えるようになりました。
隠岐は離島で島外に出るのにフェリーで四時間弱もかかります。冬だと五時間です。島を出るとお稽古が困難になるのが目に見えていたんですよね。
実際に、私が隠岐勤務になってから松江縁吟会はお稽古回数を減らさざるを得なくなり、会員さんも減ってしまいました。
隠岐は、教育にICTを導入しようという動きが早くからあったので、勤務校でもSkypeで島内外・国内外の生徒が交流をしたり、他の遠隔会議システムで授業をしたりする取り組みなどもありました。
これで詩吟ができないかな、と思ったのが始まりですね。 教育とICTってどんどん進んでいるんですよね。
それならば生涯学習にだって使えるはずだと。スタートはお稽古の充実だったのですが、次第に高齢者が趣味を介してつながるツールとして遠隔会議システムを使いこなすっておもしろいんじゃないかと。
そういう挑戦事例を、目の前にいる元気いっぱいの高齢者会員の皆さんと作っていきたいというふうに、主軸が変わっていきました。
もちろん個人差はあるのですが、離島中山間の高齢者は、体力や手段と言った面でお出かけにくさを抱えている傾向にあるのではないでしょうか。でも、同じ趣味の人と出会いたい思いはある。新しいものを楽しめる好奇心だってある。
離島住まいでも高齢者の方でも、趣味を存分に楽しんでほしいです。
そういう人たちが交流できるようにするため、遠隔詩吟という挑戦をしてみたいなと考え、高齢者×ICTの可能性を探るプロジェクトとして、機器導入をしようと思いました。
そういう思いだったので、発信できるかたちでこのプロジェクトを進めようと、昨年の9月から12月にかけてクラウドファンディングを行いました。目標額には届きませんでしたが、100人以上の方からお力添えをいただき、今夏を目標に、機器導入を進めています。
当初は出雲・石見・隠岐の旧三国に設置して交流を図りたかったのですが、まずは、隠岐と松江の二台設置を実現させる予定です。
高齢者×ICT
高齢者×ICTという取り組み。一見難しそうに思えますが、近くで見ている石橋さんはどのように感じている?
思った以上に円滑に入ったな、と思っています。機器導入までのつなぎとして、今はappear.inを使って月に一回お稽古をしているのですが、それでも「わーすごい!」ってみんな喜んでくれて。
ただ、機器のセッティングとかは会員さん以外の若い方にお願いしていたりもするんですよね。それがいいことのようにも思えるし、会員さんができる体制を構築する必要があるのではないかなとも思います。
このさじ加減というか…そのあたりには難しさも感じていますね。
まあ、当面の目標は、機器の導入をして、一番簡単な最低限の操作でつなぐところまで、マニュアルを確認しながら会員さんだけでできるようになるってとこですね。会員さんの様子を見ていて、それは十分できるようになっていくと思っています。
IT機器に慣れていない高齢者の方だからこそ、率直な意見が挙がってきそうですね。 それは、遠方と繋がる事の喜びであったり、もしかするとシステムの問題点であったり。
そういう面はたしかにあるかもしれないですね。私たちって子どもの頃からSNSツールが身の周りにあったけど、そうでない世代にとって、「テレビ電話で遠隔地の人と一緒に楽しめる」って、それだけで嬉しいみたいです。
appear.inでつないだとき、いつも画面に手を振ってくださる会員さんがいて和みますね。課題なども浮き彫りになっていくと、おもしろいですね。高齢者が使いこなせるICTを追究していくうちに、かなりバリアフリーなかたちが生まれていくのではないかと。
改めて、クラウドファンディングってどうでしたか?
終わってみると、やって良かったなと思いますが、やっている間は苦しかったですね。お金は稼ぐより集める方が大変なんだと思いました。
お金を集めるために毎日SNSを更新する自分に疑問の念が生じてきたり、自分たちの目指すところがあっているかどうかも不安になってきたりして。
でも、たくさんの人に隠岐國縁吟会のことを知っていただけたこと、応援していただけたこと、本当に励みになりました。リターンの一環として、島での吟道大会にお招きする、というものを掲げていたのですが、最終的に島外から20人を上回る人が来島してくださる見通しになりました。
遠隔詩吟を推進する立場ではあるのですが、やはり、芸事において、対面に優るものはないと考えています。
海を越えて吟友を島にお招きし、一緒に詩吟をする場をもてるようになったことも、クラウドファンディングというかたちをとったからこその副産物ですね。
資金を集めるためだけではなく、芸能文化を知ってもらう宣伝としてクラウドファンディングが活用できたら、理想的ですね。
そうですね。お金を集めるだけなら他のやり方もあったかもしれませんが、クラウドファンディングを行うことで、応援してくださる方がこんなにいるんだと実感することができました。
会員さんが積極的に企画、公演実施
島に初めてとなる詩吟教室を設立された後、縁岳さんは高校教諭という立場上、本土への異動となってしまいました。
しかしながら、現在では隠岐國縁吟会の会員さんが積極的に企画を行い公演までされています。どのようなお気持ちで見守られていますか?
嬉しいですね。遠隔詩吟プロジェクトを思いつく以前から、準師範位を取得する方が島に生まれるまで、つまり、私のあと、指導者となってくれる方の誕生を見届けるまでは、責任もって関わろうと思っていました。
私がいなくても自走する会にしたいなと。そうしなければ根付かないだろうなって。
まだ、準師範位をとれる会員が誕生するまではしばらくかかりそうなのですが、会員さんだけでボランティア公演を企画してくれたりして、会が走り出している。嬉しいことです。もちろん、ちょっとだけ寂しさもありますが…。
『石橋縁岳(えんがく)』さんの今後の目標
旅する吟士『石橋縁岳(えんがく)』さんの今後の目標を教えてください。
まずは、吟道大会の成功ですね。会員さんが楽しんでくれて、島外からの参加者の皆様にも満足していただける、応援してくださった島の方も、この企画に乗って良かったなと思ってもらえる形で吟道大会を終えるのが今思っている成功の形です。
そして、一過性の交流にせず、それこそICTなどを使いながら今回であった吟友との関係をよりよいものにしていきたいですね。 あと、個人的な目標なのですが、所属している流派の全国大会に出場したいです。毎年、地区代表として中国四国地区大会には出場を果たしていますが、その先にはまだ行けていないので。それだけの力量を身につけていきたいですね。
山陰、島根県について
島根県、安来市の魅力
ここからは地域性の話を少ししていきたいと思います。島根県安来市出身の石橋さん。大学進学後は県外にも出ておられました。改めて、島根県や安来市の魅力を教えてください。
神話や歴史を様々なところに感じられるのが島根の魅力ですね。私の出身は安来の中でも十神(とかみ)というところなのですが、十月、神在月には神様が出雲に集まると言われるじゃないですか。
十神山は、その神様が酒盛りをする地。旧暦十月には登ってはならないと言われていたそうです。禁忌を破って舌先から徐々に石にされてしまった男の伝説も聞いたことがあります。
怖い…けど、神話ってなんだか惹かれるんですよ。イザナギが亡くなった妻イザナミに会いに行く際に通ったとされる黄泉の国への入り口、黄泉比良坂(よもつひらさか)もありますし。生活にかなり近いところに、いにしえ人の営みも感じられる、そこがいいですね。
松江は水の都と言われたりもしますが、豊かな水に囲まれているのも個人的にはとても気に入っています。私、水があるところが好きなんです。海とか川とか、滝とか。お堀もあるし。今年は10年に一度の船神事「ホーランエンヤ」の開催年。こういうとき、島根っていいなあとあらためて思いますね。
隠岐の島について
ここまでのインタビューでも隠岐の島の話が沢山挙がりましたが、隠岐の島での生活はどうでしたか。
居心地がよかったですね。自然が豊かで、毎日海を見て過ごせる。夜は静かで、いい意味で真っ暗。民話の語り部さんから不思議なお話を聞く機会も多くありました。
あと、詩吟やったり物書きやったり、ともすればやや浮いてしまいそうな私なのですが、変な言い方かもしれないけど、呼吸がしやすい環境でしたね。
あ、もちろん、これまでがものすごく生きづらかったとかそういう訳ではないのですが(笑)さまざまな形で島が注目を集めていて、教員仲間も、それ以外のUIターン者も、周りの人たちがかなり個性的だったんですよね。
隠岐はその特色だからか、ニュースで取り上げられることが多いですよね。
もともと島にいる方々も、慣れているのか、島外から来た人たちにとても温かい。いい刺激をたくさん受けたし、詩吟教室の立ち上げから遠隔詩吟プロジェクトまで、自分のやりたいように挑戦をさせていただきました。島で生活をして、自分が大きく変わったなって思っています。
私は隠岐の島へ行ったことがないのですが、隠岐の島上級者の石橋さんからオススメの観光スポットがあれば教えてほしいです。
好きなところが多すぎて選びにくいのですが…。
まずは、私の住んでいた中の島(海士町)、好きだったのは北分大橋です。有名な観光名所というわけではありませんが、大きな橋から見下ろすと水底が青く見えて、とても落ち着きます。
いいですね。石橋さん目線でのオススメを知りたいです。
明屋の展望台は、放牧されている牛の近くでどこまでも続く海を眺めることができます。
歴史好きには、絶対隠岐神社には行っていただきたいですね。後鳥羽上皇をお祀りしています。近くに後鳥羽上皇の身の回りのお世話をしていた村上家の資料館や、後鳥羽院資料館もありますよ。 別の島の話もすると、島後・隠岐の島の景観も素晴らしいですよ。
沈む夕日が灯火のように見えるローソク岩は定番ですね。私が好きなのは裏というか内側から滝を見ることができる壇鏡の滝、本当にトカゲそっくりの形をしたトカゲ石、あと、白島海岸ですね。
特に、白島には赤法印という浦島伝説に似ているようで最後が大きく違う不思議な伝承があって、それにまつわる赤法印の石というのがあるんです。
だいたい、私が勧めるオススメスポットは水があるところか石があるところになってしまうのですが、色々な人から情報を集めて、ぜひお気に入りの場所を探しに、隠岐に足を運んでみてください!
現在は島根県益田市勤務
のどかで過ごしやすいところです。あと、校種を越えて先生方が元気で、子どもたちのために新しいことを積極的に取り入れようとしている感じ、励まされます。学校を越えた活動が色々とあっておもしろいですね。
いわゆるコンパクトシティー。自然も豊かなのですが、駅やバス停、大型店や家電量販店、コンビニ、あと、空港まで、それぞれそんなに遠くない位置に全部ある。
島暮らしと違って逆に戸惑ったりもしますが、便利ですね。グラントワが有るのも魅力かな。
実は…休日は詩吟で益田にいないことが多いんです。だから、どうしても仕事にまつわることの感想寄りになってしまいました。プライベートでどんな楽しみ方があるかは、これからまだ時間をかけながら探していきたいと思っています。
実は私、2年連続で益田市を訪れています。2018年はCHEMISTRYのコンサート、2019年はMISIAのコンサートが”島根県芸術文化センターグラントワ”で催されました。
著名なアーティストが訪れたり、石見地域の芸術文化拠点としても良い施設ですよね。外観も内観もお洒落。あの佇まいが何とも言えない。
そうなんですね!ようこそ益田へ!グラントワ、おしゃれですよね。次お越しの時は声かけてください。それまでに益田を案内できるようになっておきます(笑)
最後に
石橋直子さんのこれから
いよいよインタビューも終盤です。マルチに活躍されている石橋さん。 今後の目標や夢を聞かせてください。
これは、他の方の受け売りなのですが、「芸事を自分事に」するためのお手伝いというか、しかけ作りをしていきたいですね。「芸事を自分事に」は、知人の茶道家さんが言っていたのですが、とても感銘を受けました。
古典作品も、古典芸能も、昔の人が今を生きる私たちと同じように心打たれたり思い悩んだりしたその思いの発露なので、現代人が触れても我が身に引きつけて考えて心打たれる部分ってあると思うんですよね。国語教員として、物書きとして、吟士として、それを伝えることを一生の仕事にしていきたいですね。
読者の方へメッセージ
長々と話してしまいましたが、お読みいただきありがとうございました。芸事を自分事に、そして高齢者×ICT、なにがどこまでできるか分かりませんが、旅する吟士のチャレンジを見守っていただけると嬉しいです。
もし、この記事から、詩吟や遠隔会議システムによる生涯学習に興味を抱いた方がいらっしゃいましたら、お気軽にご連絡ください。一緒にやってみたいとか、こういう活用の仕方があるのではないかとか、なんでもかまいませんので。Facebookでも、「遠隔詩吟プロジェクト」ページを設けています。どうかよろしくお願いします!
石橋 直子(いしばし なおこ)
国語教員/物書き/旅する吟士
1984年11月12日生まれ
島根県安来市出身
県立高校国語教諭。2009年、第1回山陰文学賞エッセー部門大賞。10年、第11回難波利三・ふるさと文芸賞特選。
県立高校の現役教員という仕事の傍ら、旅する吟士『石橋縁岳(えんがく)』としても活動をする。これまでに、『松江縁吟会』『隠岐國縁吟会』を立ち上げる。
自身が転勤族な事から、距離が離れた場所から詩吟を楽しめないかと模索。隠岐の島という離島の特色もあってか、遠隔詩吟システムを企画立案しクラウドファンディングを行う。
物書きとしては、「おにごっこの記憶」で2009年、第1回山陰文学賞エッセー部門大賞を受賞。10年には「まつぼっくり咲いた」で第11回難波利三・ふるさと文芸賞特選を受賞する。
また、朝日新聞島根版では、コラム「おしゃべりな出席簿」を連載。連載回数は実に91回。
facebook
https://www.facebook.com/naoko.ishibashi.902
インタビューを終えて
石橋さんの手で、誰も読んだことのない言葉を紡ぎ、届けてほしいです。
石橋直子さん、ありがとうございました!
The following two tabs change content below.
山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。
1 件のレスポンスがあります
[…] […]