一級建築士の萬井さん
コンセプトムービー『environment』
今回は、米子市のよろい環境計画事務所代表であり、一級建築士の萬井博行さんにお話をお聞きします。萬井さん、よろしくお願いいたします。
よろい環境計画事務所について
自己紹介
建築の設計事務所をしております。事務所を開いてから約20年経ちました。物件数はおよそ住宅が70件、それ以外のものが十数件あります。
お客様の年代は30~50代と幅広く、鳥取県・山陰を中心として活動しております。住宅以外で言いますと、個人病院であるとか、店舗やオフィスといった小規模の個人の方を相手にした建物を設計しています。
屋号へのこだわり
よろい環境計画事務所制作実績
屋号に"環境"とありますが、こだわりがあればお聞かせください。
僕らの仕事は設計であり建築を作る仕事です。お客さんとの対話の中でどういった形が良いのかをゼロから作るという意識で、土地やその人、その形を自分の中に取り入れ、どういう”環境”を作ってあげればいいのかということを考えており、屋号に入れました。
徹底的に自然素材にこだわった設計が特徴的な設計事務所です。自然素材を多く用いる事で、そこで暮らす人々はどのような影響を受けるのでしょうか。
住宅メーカーのほとんどは工場でつくられた規格住宅です。対して、うちが作っていきたいのは自然の木や土、あるいは紙といった自然の材料をなるべくそのまま使うことを大切にしています。そうすることによって、自然のサイクルや波長と、人間の波長が何となく揃っているような気がするのです。何となくですけどね。
例えば木だったら、人間の呼吸を吸ってくれて、調湿効果があります。また新建材のように有害物質を含んでいないので、体に優しいです。新建材を使用した家というのは、微量であってもそういったものが放出されているため、そこに住む人はある程度影響を受ける部分はあります。
実際アパートで生活していた時に喘息だった子供が、建てられた自然素材の家に住んで喘息が治ったという声もあります。そういった声を聞くと、ある程度の効果を感じますね。
木というのはそれ自体に変化や成長があるのも面白いですよね。
そうですね。木も種類によって、成長の仕方や色の焼け具合が違ってきます。それを見て感じながら、一緒に生活していく楽しさもあると思います。
ホームページからの依頼が多い
お問い合わせの経路としては、どういったところが多いでしょうか
詳しく掴んでいない部分もありますが、ほとんどがホームページを見て来られます。おそらく、うちと感覚が近いお客様に選んでいただけているのかもしれません。
年に5~6件のペースで取り組んでいる
独立から約20年、これまでを振り返っていかがでしたか。
現在は、年に5~6件のペースで取り組んでいます。当初は件数が少なかったり、逆に10件くらいを扱いオーバーワークだと思うこともありましたが、最近は自分ができる範囲のペースで取り組めています。
今は、自分の作りたいものと依頼されているものが、割と近いスタートから始められている感じがします。その点では振れ幅が少なくなってきている感覚があります。
『東福原の家Ⅱ』
本日は『東福原の家Ⅱ』の現場で取材をさせていただいております。まだ完成前だと思いますが、この家の見所を教えてください。
この家はお客様が左官職人の方でした。まずはその左官職人の技術を生かした家ができないかという点が一つ。
そして、ご主人も奥様も作ることに対して挑戦的な方でして、最初に言われたのが、「どこにもないような、今まで作ったことのないような家を作ってほしい」とおっしゃりました。そういう意味合いでは、クリエイターとしての闘争心を掻き立てられるものだったと思います。
この壁が”搔き落とし”と言いまして、昔ながらの左官の方法なのですが、実際この壁ができる方は日本で20人くらいしかおられないそうです。そのお客様の師匠の方が米子におられ、県外の仲間の方と来ていただいて、実際に左官をされました。
この20年経って培われてきたと感じるのは、パートナーシップを組む職人さんや、実際に木材をつくる製材業の方との繋がりができたことです。鳥取県は木材が豊富なので、大山の木や智頭の杉がある場所へ実際に行き、自分で材料を見てこれを使いたいと言うことができるようになったことが大きいと思います。
事前に一緒に木を選ぶことができる
お客さんとも一緒に、木材の段階から確認をすることができるということですね。
そうです。そういったことはよくあります。
一緒に山に行って見に行くと、こちらが思った以上にすごく喜ばれます。その場でお客様の元々のイメージとは違ったものを選ばれることもあり、それはそれでありだなと思います。
木は包容力があって、ある程度統一感は欲しいですが、どれでないといけないということはありません。ここはこれでなければ、という訳ではなく、年月が経っていくと段々馴染んで調和していくという面白さがあります。
自分の住む家に、近くの木が使われて作られるというのは嬉しいものでしょうし、実際過ごしやすいのではないでしょうか。
はい。そこの環境で育った木で家を建てることというのが、僕は一番だと思います。
数々の賞を受賞
『鳥取県・木の住まいづくりコンクール』では最優秀賞、『中国電力エネルギア住宅作品コンテスト』審査員特別賞を受賞されました。どのような案件で選ばれたのですか?
木の住まいは3回くらい受賞しておりまして、最優秀をいただいたのは岸本の家でした。それも周辺のロケーションを生かした建築で、平屋建ての日本建築でした。
実はあまり僕は賞に興味がないものでして(笑)評価をいただいたのはすごく嬉しいのですが、建築の賞は何か大きなテーマがあって、そこに則したものや、審査員の好みとかで決まってくる部分もあり、その側面も大事だとは思います。
しかし僕はどちらかというとそういう何か特別なことをするのではなく、当たり前のことをすごく高い意識で、高いレベルで表現できるような建築を作っていきないと思っております。
設計事務所に相談する利点
よろい環境計画事務所制作実績
ハウスメーカーや工務店ではなく、設計事務所に住宅の相談をする事のメリットをお聞かせください。
うちに来られる方のほとんどは、ハウスメーカーを回られて、「なんかピンとこないな」という方が辿り着いてこられます。お話を伺う中で、何か規格化されたものではなく、自分らしい住まい方や、それが何かははっきり分からないけれど、見つけてほしいという部分があるのではないでしょうか。
一緒に探すというのもお仕事の一つなのかもしれませんね。
建てる場所も異なるのでその条件によって、光の入り方や周りの景色、風の入り方も一つひとつ違います。その環境を読み取り、その方の好みと合わせてどういった形が良いのかを提案するというのが、設計の一番大事なところだと思います。
もちろん先ほどお話したように、どうしても自然素材というのは、色々なメリットもある反面、デメリットもあります。自然のものですので、木が湿気で膨張したり乾燥したり、建具であったら梅雨時分には膨張して動きにくくなって調整することがあります。それは十分説明し、向き合い楽しみながら住んでいただけるようにしています。
こんな立派なお家ですと、予算が気になるところですが…(笑)
当然最初にご予算をお聞きして、予算と要望がかなり乖離していることもあります。そのあたりは話し合って、ここまではできる、ここは将来に回して、といったことを決めていきます。そういうヒアリングの中で作っていくと、予算から外れるということは意外と少ないです。
国立米子高専で非常勤講師を務める
国立米子高専では非常勤講師を務められています。どのような内容を専門にしているのでしょうか。
今米子高専では、設計製図という授業を受け持っていまして、学生が設計した施設の案を評価し、アドバイスする仕事をしています。
最近の学生さんたちはすごく上手なのですが、色々な知識があることで変に縮こまったりすることもあります。あまり法律のことや構造の細かいことより、自由な発想をどういう風に伸ばしてあげるかが大切だと思って教えています。
行く時は1か月に1度とか、それくらいのペースです。
僕が米子高専の学生だった約30年前の自分と重ね合わせて、初心に戻ったり、そういった気持ちでできることがいいですね。
萬井博行の素顔に迫る
幼少期・学生時代について
幼少期は大人しかったと思います。うちは女系で姉と妹がいるのですが、いつも迫力に圧倒されて大人しくしていました(笑)
ものづくりへの興味はいつ頃から持たれていたのでしょうか。
すぐ家の前に祖父母の家がありまして、おじいさんは売れない画家をしていました。アトリエがあって、そこで画集を見たり、絵の具で遊んだりしていて、その頃から何か作るのは好きだったと聞いています。
米子高専建築科に進学
米子高専を受けたのも、友達が受験していたので僕も一緒に受けよう、といった考えからでした。何かものづくりができる学校だとは思っていたのですが、なぜか友達は落ちて僕だけ受かってしまいました(笑)そういう経緯で米子高専に不純ながらも行くことになりました。
元々は鳥取市のご出身ということで、若くして西部に来られたのですね。
はい。実際に来てみると、東部と西部の人の気質の違いが面白いと思いました。鳥取の方というのは、意外と感情をあまり出さず、自分の思っていることを言わないのです。対して米子の方はすごくオープンなので、自分の感情を伝えたいといった部分があり、そこに最初は戸惑ったこともありました。
アパートに一人暮らしでしたね。自炊もして、料理は得意でした。
4年生で一度休学をする
入学してから最初の数年間は思っているような勉強が少なく違和感があったそうですね。その後、高専の休学を決意されます。
4年生に上がってすぐの頃に休学しました。休学期間は1年間です。
何か作ることが中心で、そういった勉強ができるのかなと思っていたのと、実際に高専でしていた学術的な勉強の仕方とのギャップを感じていました。
何か自分のやりたいことと違うのではないかと。その時の担任の先生に相談した際に、「そうは言ってもせっかく入ったのだから、1年間設計事務所でバイトをしてみて、向いているかどうか考えてみたらどうか」とアドバイスをもらい、1年間設計事務所に行きました。
設計事務所でのアルバイトの期間中はどういった経験をされましたか。
まだその時18歳でしたので、仕事でできることは本当に限られていました。線を淡々と描いたり、紙を折ったりといった感じです。ただ、実際に作る現場のスタートの過程やその空気に触れられたことや、その事務所で色々な現場に行って職人さんが作る空気を肌で感じて、これはすごく素敵な仕事だと初めて思いました。
復学、そして就職
はい。復学した時に思ったのが、今まで自分があまり向いてないなと思っていた勉強が、実は意味のあることだったということに気がつきました。例えば構造の勉強はよく分からないと思っていたのですが、実際に働いたことで、この構造が実はこういうことに役に立つのだということがよく分かりました。それはすごく良かったです。
そこはすごく小さな個人の事務所だったのですが、木造住宅ができるということと、色々なことに挑戦的な事務所だったということで就職を決めました。
案件としては主に住宅を担当していたのですが、最初に担当した案件がすごくてですね…(笑)
そこの社長は本当に破天荒な人で、そのプロジェクトを僕に全部任せて海外旅行に行ってしまったのですよ(笑)僕はお客さんとの打ち合わせも一から行い、積算から図面も何も分からないところから全部やって、その経験がものすごく活きましたね。
人間って、異常なプレッシャーとか緊張感の中で何とかしようとして得た知識や経験というのは、後々にも結構活きてくるものです。
退社後は学生時代にアルバイトをしていた設計事務所に移られました。きっかけは?
理由は松江の事務所が経営難で潰れちゃったからです。そこでどうしようかと思った時に、以前の米子の事務所でバイトをしていたのですが、ちょうどそのタイミングで従業員さんが一人辞めてしまったので、勤める話が出ました。
槙文彦氏の事務所との共同設計
鳥取県立美術館の案件を担当、そしてこの案件は憧れの建築家、槙文彦氏の事務所との共同設計だったそうですね。槙氏といえば、〈幕張メッセ〉、〈横浜アイランドタワー〉、最近では〈島根県立古代出雲歴史博物館〉を手がけた建築設計界の重鎮とうかがっています。
槙文彦さんという方は日本を代表する建築家でして、建築界のノーベル賞と言われるプリツカー賞を獲っておられます。そこが当時県立美術館をコンペで獲得し、鳥取から誰か一人派遣しなさいということになり、僕が行くことになったのです。
槙さんというと、設計をやっている人間なら知らない人はいないくらい有名な建築家でして、事務所に行くと東大の大学院を卒業したような人ばかりいて。とても自分がいるような環境じゃないと思ってやっていましたね。24-25歳くらいの頃の話です。最初は雑誌で見る方が目の前にいるのですごく緊張して話かけられなかったくらいです。本当にすごく貴重な経験になりました。
共同設計のプロジェクトは、東京の槙事務所で長期間に渡って行われました。この期間は東京に住んでおられたということですか?
2年間はほぼ向こうにいました。計画が終わって、実施設計の時には何か月間か帰ってきましたが、それ以外はずっといました。
2年後、鳥取県知事に就任した片山前知事の意向で設計がほぼ終わっていたにも関わらず、プロジェクトは凍結されます。当時はどのような心境でしたか。
本当に頭の中が真っ白になりましたね。実は設計はほとんど終わっていて、いよいよそれを提出して工事に入るという段階でした。本当に楽しみなタイミングだったのに、それがいきなり無くなってしまったということで、考えられないという感じでした。
29歳で独立
よろい環境計画事務所制作実績
鳥取県に戻った後に29歳で独立されます。独立する事は目標としてずっと持っていたのですか?経緯を教えてください。
目標としては持っていました。
しかし独立したいという思いがそこまで強かったわけではなく、とにかく何か作りたいという気持ちが大きかったのです。勤めていたところもすごく良い事務所で、物件も任されてはいたのですが、やはりそこの事務所のカラーを意識しながら設計していた部分もありました。
自分を抑えていた訳ではないですが、色々なことに挑戦したいという思いや欲求、自分の作りたいものを実現させるためには、独立して自分の事務所を立ち上げるのが一番だと思いました。
よろい環境計画事務所が最初に手掛けた、鳥取駅前に建設した鉄筋コンクリートの学習塾が話題になりました。
独立の際に、鳥取で私が通っていた学習塾に挨拶に行ったのです。その際にたまたま鳥取駅前でこういったプロジェクトを考えているというお話を聞きした。しかしその時は僕の実力も全く分からないので依頼するわけにはいかないですよね。そこでその時に入っていた工務店さんとうちでコンペをして、勝ち取ったというのが最初の経緯です。
例えば上後藤の住宅は、平屋建ての100坪くらいの家でしたが、設計期間1年半、施工にも1年近くかかった結構大プロジェクトでしたね。
よろい環境計画事務所の代表作『上後藤の住宅』
建築家として大切にしていること
萬井さんの建築家として大切にしていることを教えてください。
僕が作る建築は山陰を中心にしているので、その環境を考えることです。山陰は、雨や雪が多く日照時間が短いという点を考えると、家で過ごす時間がすごく長いと思います。差し込む光を考えても薄暗いイメージです。
しかし、それをネガティブなイメージとして捉えるのではなく、逆に山陰のもやっとした自然光をどう取り入れるのかということを大切に考えています。うちの設計は、山陰らしく軒が非常に深く、雨が壁に当たらないような設計をしています。
軒が深いことによって直射光を入れず、柔らかい間接光をいかに室内に取り入れるかということを考えます。このように採光計画に関しては、間接的に入る柔らかい光を家の中にどれだけ入れることができるか、ということをまず一つテーマとして挙げています。
自分が家に帰りたくなるような光のある家が素敵ですね。
日中外で働かれる方は、家にいる時間は日の落ちた時間であることが多いと思います。そこでいかに快適に暮らすかを考えた時に、ライティングはすごく大切だと思います。
設計事務所によっては、ライティングを業者に任すところもあるようですが、僕はそれは言語道断だと思います。ライティングは必ず自分で計画し、この空間に合った光をどういう風に入れるか、壁に当たるとどういう発色をするかという点は綿密に考えています。
そして人がいる所がどこで、目線の先にどういう光があるのかとか、そういう抑揚をつけた光を意識しています。
完成品のバランス感覚
クリエイターや職人は自分のこだわりがあるのは大事でも、一方で案件として取り組む時には、お客様に合わせていくのも大切だと思います。そのあたりの難しさもありますよね。
そう思います。お客さんと合わせる技術や調整する能力は確かに上がってきました。しかし、そこで無意識のうちに自分を抑えてしまうということがないように、自分をもう少し我儘に主張してもいいのではないかと最近思います。
着地点が近いところで取り組むより、なるべく遠くのところ、ゴールがどこなのか分からない怖さのような感覚は、常に持っておきたいと思いますね。
嬉しかった出来事やエピソード
これまでお仕事をされてきてやり甲斐を感じた出来事や、嬉しかったエピソードを教えてください。
作り手としては、場合によって、何か目立ったものや面白いものを作りたくなるものですし、そういう欲求も必要だと思います。しかし自分のスタイルとしては、それよりも、当たり前で常識的なことを、洗練されて高いレベルでできるということを大切に考えています。
最後に
今後の夢や目標
住宅に関して言えば、自分のやりたいことがある程度出来つつあると思っています。
自然素材を使った住宅を作る者として、すごく大きなテーマで言うと、林業の問題や、職人さんの高齢化や若い人のなり手がいないことが挙げられます。その理由として、世の中が合理化・効率化してきていて、僕らのような手間ひまかけてものを作るということが減ってきているせいではないかと思います。
この仕事はすごく魅力的でかっこいい。しかしそれだけではなく、林業や職人さんにもきちんとお金が回り、しっかり雇用ができて、安定した収入があって、生活できた上でそういった魅力的な仕事になるということを、仕事を通じて広げられていったらいいと思っています。
そういったシステムやプラットホームが変わっていくと、若者の職業への捉え方やイメージが変わるかもしれません。
やはり、ものづくりの根本ってそこだと思います。しかし非効率なことばかりしているとどうしてもコストが高くなりますし、コスト意識は持っていなければならない点ですので、すごく難しい問題だとは思います。ただその中でも、ものを作るというスピリッツは必ず必要だと思うので、そこには葛藤がありますね。
読者へメッセージ
設計事務所は敷居が高いイメージがありますが、とにかくまずは相談するだけでいいです。設計事務所のほとんどは、実際に気軽に相談していただいて、仕事に結びつかなくても、その人にとって何かしら良い方法をアドバイスしてあげたいと皆思っています。
よろい環境計画事務所にも、ぜひ気軽に相談にお越しください!
今回の鳥取×働く人はよろい環境計画事務所代表の萬井博行さんでした。萬井さん、ありがとうございました。
萬井 博行(よろい ひろゆき)
よろい環境計画事務所代表/一級建築士
1972年生まれ
鳥取県鳥取市出身
大人しかった幼少期、姉と妹がいるがいつも迫力で圧倒されていた。近所に祖父母の家があり祖父が売れない画家をしていた。祖父のアトリエで画集を見たり絵具で遊ぶのが好きだった。振り返れば、その頃から物作りに興味があったのかもしれない。
その後、米子高専建築科に進学。志望動機は仲の良い友人と一緒に受験する事であったが、友人は落ちてしまい萬井は合格。結局、萬井だけが米子高専建築科に通う事になった。鳥取県東部出身の萬井は寮には入らず、若くして一人暮らしを始める。
入学してから数年間は想像していたような内容ではなく違和感を覚える日々。高専4年生の頃に休学を決意。建築や物作りが嫌いになったわけではなく、ただただ飢えていたのかもしれない。
休学中は1年間設計事務所でアルバイトした。実務を経験する事によって、高専での学術的な勉強が必要な事を肌で感じる事となる。
卒業後はいくつかの設計事務所で勤務。
そこで鳥取県立美術館の案件を任される事に。建築家槙文彦氏の事務所との共同設計だった。この共同設計のこのプロジェクトは長期に渡って行われ、2年間は東京の槙文彦氏の事務所に居座る事になる。雑誌で見かけるような建築家に囲まれて、萬井の経験と感性は研ぎ澄まされていった。
結果的にこのプロジェクトは片山前知事の意向により中止になってしまったが、この2年間はかけがえのない時間となった。
その後29歳でよろい環境計画事務所として独立。最初に手掛けた、鳥取駅前に建設した鉄筋コンクリートの学習塾が話題に。
現在では開業してから20年経過。現在は、年に5~6件のペースで取り組んでいる。
自然素材にこだわり抜いた20年。これからも萬井は自然素材と寄り添っていく。
公式Webサイト
https://yoroi.info/
facebook
https://www.facebook.com/profile.php?id=100006546420354
インタビューを終えて
まだ完成前の物件での撮影でテンションが上がりました。
どの実績も美しく、こんな人に家を建ててほしいと感じました!
萬井博行さん、ありがとうございました!
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山陰ペディアの名ばかり委員長。
担当はシステム、デザイン、ライティング。
本業はWebプロデューサー。
好きな事は、ゲーム・アニメ・お酒を飲むこと、歌うこと。
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